36. 名
「僕達が、」
「最初に出会った」
「「戦闘員」」
暗さが増していく路地裏で、嘉音の言葉を復唱する。私と頬をくっつけている流海と目配せすることは無い。なんとなくの呟きは息をするように紡がれる。
私の脳裏に浮かんだのはビルから落ちてきた生きたがり。あいつを思うと苛立ちしか浮かんでこないのだが、嘉音はどうしてアイツについて知りたがるのか。
左肩から血を流しているように見える戦闘員は、クロスボウの矢を握力だけでへし折っていた。
「どうして貴方がそれを知りたがるんでしょうか?」
「情報共有とかしてないの?」
「私達が納得できる理由がなければ不公平ですし」
「僕達が話して得られるメリットがないと不平等だよね」
意図せずして流海と言葉を並べ合う。そうしていれば私の心臓は穏やかに拍動を始め、少しだけ片割れに体重を預けてみた。
しゃがんだ私と同じ高さに膝を折っている流海。正直体重をかけると揺れるかと思ったが、予想に反して片割れは私を受け止めた。日々の訓練は伊達では無かったと言う事だ。嬉しいねぇ。
私の左手は、腹部に回った流海の手を握り直す。もう片手は流海の右手に握られたクロスボウを共に支え続けた。その照準は確かに嘉音を捉えている。
嘉音はペストマスクを傾げさせた。左肩の出血は続いていると思うのだが、黒い上着に吸い込まれて判断が出来なかった。
「そいつは裏切り者かもしれないから、罰する為に教えて欲しいんだけどなぁ」
「「裏切り者」」
裏切り者とは一体なんのことか。
私と流海にとって、あの鳥頭は全ての元凶である。元凶であり最悪である。
そんな相手は同じアテナの戦闘員に「裏切り者」だと称されるのか。
私は流海の顔に頬を寄せ、眉間に皺を寄せた自覚があった。
「あの鳥頭は私達にとっての元凶です」
「それでいて最悪な生きたがりだよ」
「それ以上でもなければ」
「それ以下でもないね」
流海が私を見てもいいように口角を上げる。見れば片割れと横目に視線が合ったから、備えは役に立ったと安心した。
無表情の片割れが嘉音に視線を戻す。だから私も視線を向ければ、嘉音はクロスボウの矢を捨てていた。
「流海、君はアテナに連れて来られたのにアレスに戻されてる。それは一体誰がした? 誰が君に生きる時間を与えた? アレスの戦闘員がたまたま君を見つけて連れ帰ったと言うのかな?」
嘉音の問いに少しだけ流海の腕が揺れる。私は眉間の皺を深くして、流海が見つかった時の説明を思い出した。
――朝凪が言ってたんです。ヤマイがアテナに連れ込まれるなんて予想外だって。その後アレスに戻されたのは奇跡かもしれないって
あの日、朝凪の言葉を聞いた私は確かに思っていた。ヤマイを殺すことを目的としているならば、アテナにそのまま放置すればよかったのだ、と。そうされなかったから流海はここにいるのだと、私は深く安堵したのだ。
――聞きました。流海は第四十四支部の近くに血だらけで倒れていたと
そう、流海はあの時発見された。誰かがパナケイアに連れてきたのではなく、パナケイアの外に倒れている所を発見されたのだ。
ならば誰が流海をそこまで連れてきたのか。誰が流海をアテナからアレスへ連れ戻したのか。
流海が無事に見つかった事だけに安堵して、私は過程を考えることを忘れていた。一体、誰が流海に生きる時間を与えたのか考えないようにしていた。
「……覚えてないよ、誰が僕をアレスに連れ帰ったかなんて」
流海の低い声がする。揺れていた片割れのクロスボウは再び嘉音に照準を合わせ、私もその手首を支えた。嘉音は一歩だけ近づき、流海を見つめていると分かる。
「覚えてることはない? 君を連れて行った戦闘員がどう行動したかとか」
「覚えてないって言ってるよね? 僕が向こうに連れて行かれて覚えてるのは、苦しかったことと血を吐いたこと。その後は意識朦朧とするだけで……」
流海の言葉は一瞬止まる。微笑んで見れば黒い瞳が私に向き、静かに額が寄せられた。
寒い空気の中でも温かな流海の体。合わせた額や腕から伝わる温もりに肩の力を抜けば、流海の左手が私の首の傷を押さえてくれた。
「涙の名前を呼んだよ。何度も、意識が途切れるまで、ずっと」
その言葉を聞いて、少しだけ鼻の奥が痛くなる。
私に流海の呼び声は届いていなかった。私は彼の言葉を受け止めていなかった。
それでも同じことが一つだけあるから、私は笑い続けることが出来たのだ。
「私も呼んだよ。流海を呼んだ。お前がいなくなったリビングで、体を抉られる思いで泣きもした」
「嬉しいな、僕を呼んでくれたんだ」
「当たり前だな」
流海が私から額を離す。片割れは嘉音を見上げて首を傾け、私の傷を強く押さえた。
「僕が覚えてるのはその程度」
「……アイツはどんな態度をとった? アテナに帰った瞬間、君を置いて離れたのかい?」
嘉音は再び距離を詰めてくる。相手はどんな表情をしているのか私には見当もつかず、流海の首筋に顔を預けることにした。
「僕を見下ろしてたよ。ただ見下ろしてた。アレスでしてた呼吸困難みたいな症状は落ち着いて、ペストマスクは外さずに僕を見下ろしてた。それだけだ」
首筋を押さえる流海の手に自分の掌を重ねる。今にもクロスボウの引き金を引きそうな片割れは、瞬きすらも忘れたような横顔をしていた。
私が見たことない流海がそこにいる。私が知らないことを経験した片割れの記憶がある。
それが流海との間に距離を作らせる気がして、だからこそ流海は実働部隊に入ることを望んだのだと納得してしまった。
私達は離れてはいけない。距離を取りすぎてはいけない。置いていかれたと感じた方が寂しくなってしまうから。自分達以外を見始めると、傷つき傷つけ苦しくなってしまうから。
脳裏に浮かんだ朝凪と竜胆がいて、腕を掴む伊吹もいて。
嫌だと言っているのだから近づかないで。友達だなんて、一体なにがお望みだい。
私達は君達をヤマイに巻き込みたくないし、いつか失うなら得たくないと言っているだろうに。
――お前達はお互いの明日が欲しいのに、どっかで生きることを諦めて、死んだ先に安堵を作って予防してやがる。そんな奴が幸せになれる訳ねぇだろ
あぁ、伊吹の正論はうるさいな。気を抜けば頭の中で流れてきて、意識が逸れる。
瞬きをした私は嘉音に視線を向け、ペストマスクを反対側へ傾げた戦闘員を確認した。
「……そっか」
嘉音はゆっくり天を仰ぐ。それから考えるように項を摩る動作をし、今度は私に問いかけてきた。
「涙が持ってるあのナイフは? 貰った物なのか、拾った物なのか」
「……どちらかと言えば拾った物ですよ。鳥頭の服から落ちてきたので、暴れられた時の為に離しておきました」
今の嘉音からは戦闘意欲が汲み取れなかった。だから私は答えることを選んでいく。
恐らくコイツは私と流海の問いにも少しは答えてくれるだろう。まぁ、こちらの答え損になったら殴るだけだ。
「アイツが武器を落とすなんて、考えられないな」
「知り合いなんですか」
暗闇に消えそうだった嘉音の声を拾ってみる。その口ぶりからして、嘉音が鳥頭と知り合いだと、しかもアイツと称せるほどの距離感であると知ったから。
私は嘉音を凝視する。彼は少しだけ間を作ると、足を踏み出して私と流海の直ぐ前にやって来た。
嘉音が私達と同じ目線にしゃがむ。黒いペストマスクは相手が何を考えているのか全く読み取らせなかった。
私は流海から手を離して、今すぐにでも嘉音に掴みかかりたくなる。
アイツの情報を寄越せと。あの鳥頭を砕く為に私はウォー・ハンマーを選んだのだと。
流海を苦しめたアイツを苦しめられるなら、私はなんでも望んでしまう。あの生きたがりのペストマスクを剥いで、アレスの空気を思い切り吸わせてやりたいと思うから。
しかし、離そうとした私の手を流海が握るから。
血が付いた手で、片割れが私の手を握り締めるから。
私は静かに行動を止めたのだ。
「君達はアイツを生きたがりとかって言うけど、それはどうして? 武器を拾えるまでの距離にヤマイが入れるなんておかしな話だ」
「流海は貴方の問いに答えましたよ」
「涙も君の問いに答えたんだ」
「だから次は貴方の番です」
「アテナの情報を僕らに頂戴」
「そうしなければ、」
「話せないな」
流海が嘉音の額にクロスボウを押し付ける。物騒で不思議な光景だ。嘉音の命は流海の指にかかっているのだと思うと、やはり目の前の男の殺意は本気ではないと思ってしまった。
人は容易く死んでしまうのに、嘉音は私を殺していない。理性を捨てさせて殺すと言い、何かの回数を確認して。かと思えば私から流海を奪った鳥頭について教えろと言う。
嘉音はクロスボウを掴むことなく、少しだけ思案する間を作っていた。
それから、抑揚のない声で話し出す。
「俺達が所属する団体、ヤマイ殲滅団の通称はニケ」
それはどこかで聞いた音。どこで聞いたのかと思い出せば、私に向かって名乗った少女が思い浮かんだ。
――私は、殲滅団の螢と言います!
「君達がアテナに来て盗っていく三つの材料。木の実はアムブロシア、水はネクタル、木の葉はシャラート。アテナの中でも清らかさが高いものばかりだ。俺達の間では薬の材料として重宝されてる」
初めて耳にした材料の名前。今まで奪ってきた物を私達は記号でしか呼んでいなかったが、それは私達が知らないからだと理解した。
αはアムブロシア、βはネクタル、γはシャラート。
綺麗な名だと思ったのは黙っていよう。
私は一度だけ瞬きし、次に聞いた嘉音の言葉に――息を詰めた。
「涙が持ってるそのナイフ……持ち主の名前は――朧」
心臓が一瞬、痛く大きく脈打った。
私は唇を強く結び、流海がクロスボウを握り締めた音も聞く。
嘉音は息を吐き、真っ直ぐ私達を見つめていた。
「どうだい。君達の問いに釣り合うだけの返答だと思うけど。さぁ、もう一度君達の番だ。答えてよ、君達がどうして朧を生きたがりと言うのか、どうして近づくことが出来たのか」
私の視線が流海と合う。ここで答えるのは正しい事かどうなのか。
嘉音は鳥頭――朧を裏切り者ではないかと疑っている。私はあの元凶の顔を、頭を、砕きたい。
ならば、そうだ、そうだよな。
身内の中で勝手に疑わしいと思われているならば、そのまま疑わしさで外堀を固めてしまえばいいのだろ。
――災いたる……ヤマイの、者はみな――死なねば、ならない
アイツの体だけを殺しはしない。
心も丁寧に、殺してやろう。
微笑む私は無表情の流海と頷き合い、嘉音に視線を戻していた。
「ビルの屋上から落ちてきたんですよ、傷だらけで」
「自殺したいのかと思ったけど、声を掛けたら生きたいサインをした」
「だから私と流海で手当てをし、」
「その弾みでナイフが落ちたんだ」
「だから回収。その後はこちらの施設で検査して、問題ないと判定されたので私が持っています」
「アイツが僕を助けようとしたかなんて覚えてないし、誰が僕を連れ帰ったかも知らない」
「結果的に、今の流海の体内にはアテナの毒があります」
「だから涙は僕の毒を治したくてアテナに行く」
「近々流海も参戦予定?」
「その通り」
「「話せることはこれだけ、終わり」」
流海と顔を寄せ合って嘉音を見つめる。
ペストマスクにクロスボウを突き付けられている男は息を吐くと、静かに片割れの武器を掴んでいた。
「肝心な所を知らないのか……しかもアイツの話と今のところ齟齬がなさそうだし、納得できないな」
「教えてあげたのに酷い言い草ですね」
「それに、僕らが教えた分に君の返答は見合わないよ」
「「追加要求」」
「……なら、無知な君達に一つだけ」
流海のクロスボウを払った嘉音。彼は立ち上がりながら砂時計を取り出し、逆さにした。その砂はまだ十分に残っていたと言うのに。
足先から砂になる戦闘員は、憐れむ声を与えてきた。
「君達ヤマイの故郷は――アテナだよ」
心臓が凍り付く。
呼吸が止まる。
私の頭は、一瞬真っ白に染まった。
「――ッ、なにをッ」
嘉音は追質問を許さず砂になる。その砂塵すら残さず消えた戦闘員の声が、私の鼓膜で反響した。
――追い出された君達
今の言葉に引きずられるように、過去の言葉が浮かんでくる。
その場に残った静寂と相反するように、私の中で心音が暴れ回る。
ヤマイの故郷がアテナとは、どういうことだ。私達はアテナで呼吸すらできないのに。お前達、殲滅団に殺されないように対抗しているのに。
それだとお前達は同郷の者を殺そうとしていることになる。同郷の者を汚染されていると言い、毒だと言って邪険にして――
――違う、毒だからだ。
毒だから、私達が毒だから、だから私達は追い出されたのではないか。いや待て、追い出されたとは一体いつのことだ。私の生まれはアレスだし、かつてアルバムで私と流海が生まれた日の写真を見たことだってある。しかし嘉音が嘘をついたのかと言われるとそうは見えないから私は何をどうまとめれば――
「涙」
視界が暗くなる。
クロスボウが地面に置かれる音がする。
無意識に早い呼吸をしていた私の目を隠す腕がある。全身を温かい体温で包まれて、私の鼓膜は一人だけの声を拾うようになった。
「考えすぎないで。落ち着いて、息をして」
「流海……」
「沢山の情報に溺れて、息を止めないで」
流海の言葉が私の緊張を溶かしていく。一人で暴れかけていた思考がほぐされていく。
私は片割れの首元にゆっくりと額を預けて、二人揃って路地に座り込んだ。
耳につけたままのイヤホンから伊吹の声が聞こえる。皇の声も聞こえる。安否の確認のようだ。
それに返事をしないといけなくて、戦闘員の一人は帰ったと伝えたくて。
しかしそれより早く、私の耳からイヤホンが外れてしまった。
見れば片割れが可愛らしい無表情で私を見下ろしている。微笑んでその手の中を見れば、私のイヤホンが転がされていた。
流海の手は私の腰を引き寄せて、お互いに向き合うように姿勢を取り直す。眉間に皺を寄せた片割れの顔がよく見えた。
「僕に集中して」
黒い瞳が近づいてくる。私の襟を少しだけ広げて、薄皮の切れた首筋が外気に震えた。
「あぁ、また傷が増えた」
流海の唇が傷に触れる。反射的に少し身震いすれば、片割れが私の両二の腕を握り締めた。
「……涙」
流海は何度も私の傷口に唇を寄せる。その柔らかさや喋るごとにかかる吐息に目を伏せて、私は片割れの腰に手を添えた。
「落ち着いたよ、流海」
「それは良かった」
「……嘉音が話したこと、他の実働部隊のメンバーは知ってると思うか?」
「知らないと思うに一票」
「やっぱりなぁ……」
呟けば軽く首筋を噛まれて肩を竦める。人の肩口を甘噛みする流海は猫のように可愛らしい為、私は声を出して笑ってしまった。
少しだけ後ろに重心を移動させれば、流海は追いかけるように首を噛み続ける。応急手当をすれば済むものを、舐めるだなんて本当に猫かもしれない。もしくは犬。可愛い満点花丸あげる。
勝手に満面の笑みを浮かべていると、耳元で流海は囁いた。私が見るべき現実を。
「僕達の故郷がどこだって構わないよ。今回の大きな収穫は一つだけ」
「……そうだな。嘉音は釣り合いの取れた返答だと思ってるみたいだが、全然だった」
「本当に。こっちは相手の質問に答えてあげたのに、向こうから貰ったのはアテナの基本的な情報って感じ」
「流海の毒を治す薬について問い詰めれば良かったな」
「ヤマイを治す方法は無いのかでも良かったと思う」
「それだ」
二人して軽く反省会をして、一つ得られた情報に口角を上げる。
私は流海の頭を柔く撫でて、ウォー・ハンマーを手に取った瞬間を思い出していた。
「流海を連れ去った極悪人」
「涙の平穏を崩した最悪の奴」
脳裏でウォー・ハンマーを叩き落とす。
目の前に浮かべたペストマスクを砕き壊した。
何度も何度も殴打して、マスクの原型が崩れるほど砕き倒す。
黒くどろりとした顔の奴を引きずって、アレスに連れ込み捨ててしまおう。
私達の日常を壊した生きたがり。初めて出会ったペストマスク。
「「――朧」」
私はお前を殺して、その面が血だらけになる様を拝みたい。まだ見る顔を砕きたい。
私と流海は元凶を噛み締めて、路地裏でお互いを抱き締めた。
今はまだ、大きすぎる話を見ないふりして。
双子は元凶の名を刻み込んだ。
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金土日での投稿が難しい為、次回更新は月曜日とさせて頂きます。よろしくお願い致します。




