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32. 望

今回と次回は三人称で参ります。

 

「あ、いばらちゃん」


「永愛……」


 朝凪いばらがパナケイアにやって来たのは涙と別れて数時間後のことであった。ベンチに置き去りにされた彼女は涙の背中を追うことが出来ず、コートをクリーニングに出し、一度帰宅をした。そこで新しいコートを選んで羽織り、涙の上着とお礼のお菓子を持ってパナケイアに来た次第である。


 そこで彼女が会ったのは竜胆永愛だった。二人はお互いの私服を何の気なしに確認し、軽く挨拶をしておく。


「こんにちは、いばらちゃんも今日メディシン打ちに来たの?」


「こんにちは。私は涙さんを探して……メディシンは昨日、打ってもらったから」


「そっか。涙さん今日もアテナに行ってないといいけど……」


「……どうかしら」


 永愛はいばらの顔にさした陰りに気づく。彼は少女の腕にある涙の上着にも気が付き、何かあったのだと察していた。


 永愛といばらの関係はそう長いものではない。二人は実働部隊(ワイルドハント)に所属することで出会い、得意とした武器の相性が良く、考え方も近い為ペアを組んで来た。それともう一つの理由もあるのだが、それは口外できるようなものではない。


 永愛といばらの間には両者の合意と利益があり、結果的に一種の居心地の良さを二人は感じている、ということだけは言えるだろう。


 しかし、だからこそ永愛は分からない。こうしていばらが言い淀んだ時、一歩を踏み込んでいいのか彼は判断できないのだ。


 いばらはいばらで自分の感情を整理している。体全体に酸素が渡るよう緩やかな呼吸をした少女は、俯き加減だった視線を上げた。


「まずは流海さんの病室に行ってみようと思うの」


「そっか。良かったら俺も行っていい? メディシンは急いでないし」


 永愛が微笑めばいばらも安堵するように眉を下げる。彼は、小さく頷いた少女と揃って涙を探す為に歩き出した。


 道中でいばらは自分のコートに珈琲がかかったことや、それに伴って起こった事を口にした。自分の整理を続けたいから話したように見えるが、それは永愛にとって重要ではない。話してくれたと言う事実が彼には大切であり、いばらに謝罪しなかった男達には憤りを覚えていた。


「相手の人達、謝らなかったんだ」


「うん……でも、私も私で慌ててしまったし、涙さんには本当に迷惑をかけてしまったわ……」


 肩を落として空気を暗くするいばら。彼女は美しい見目と裏腹に、繊細で大人しい性格の持ち主だ。少なくとも永愛の中でのいばらはそうであり、事実、彼女は自分の意見を大きく主張することは無い。自分が悪くなくとも謝罪を口にし、申し訳なさを抱えるタイプだ。涙がアテナに行き続ける事に関しては心配が優先されて吠え気味であるが。


 いばらは永愛の顔が歪んでいると気が付き言葉を探す。少年は直ぐに彼女の雰囲気が変わった事を察し、眉を下げて微笑んだ。


「ごめんね、変な顔して。その時に涙さんが一緒に居てよかったなーと思いつつ、やっぱりムカついちゃってさ」


「だ、大丈夫。私がもっと避けてればって言うか……駄目ね、やっぱりこういう愚痴っぽい、暗い話は」


 はにかむいばらは緩いウェーブのかかった髪を触る。天然の髪質は彼女の雰囲気に合っていると永愛は思っており、紫がかった黒髪を撫でつける少女を見つめていた。


 彼女はいつも見目に気をつかう。人一倍神経質になり、他者にどう映るか過敏になる。それは彼女の性格故であり、彼女のヤマイが引き起こした一種の心の病気だろう。


「いばらちゃん、綺麗だよ」


 だから永愛は、少しでも彼女を安心させていたかった。彼女に肩の力を抜いて欲しかった。


 いばらは髪を撫でつける仕草を止め、泣き出しそうな顔で笑っていた。


「……ありがとう」


 永愛はいばらの表情を見て肩の力を抜く。


 彼女はヤマイを口にしたくない。口にすることは他者に影響を与え、彼女の心を掻き乱すから。


 それでも、知って欲しいと思う気持ちも彼女にはある。自分のヤマイを知って、受け入れて、求める言葉を与えて欲しいと願ってしまう。だからいばらは涙に自分のヤマイを告げかけた。コートを処理してくれた涙に対して、いばらは何処かで「大丈夫だ」と思ってしまったのだ。


 しかしそれは思い過ごしだった。


 ――そんな、優しい声で呼ばないでください


 涙は確かにいばらを拒絶した。その瞬間、いばらは確かに傷ついたのだ。空穂涙とはそういう人間であると知っていた筈なのに。


 涙はいつも一線を引いている。いばらが近づけばそれ以上の距離を取り、手を伸ばしてもすり抜ける。触れた筈なのに煙のように巻かれて、涙は決して近づかせてはくれない。


 いばらは涙が怪我をすることが嫌だった。怪我をしても止まらない姿は正直理解ができないし、頑張り過ぎていると分かれば止めてしまいたくなる。どうかそれ以上無理をするなと。どうか自分を大切にしてくれと。


 これは一体どんな感情からなのか。


 この感情を、人は優しいと言うのだろうか。


 いばらには分からない。ただ心配で、ただ無理をして欲しくない。それだけの感情すらも涙は耳を傾けず、時折眉をしかめて永愛やいばらを見つめている。


「……涙さんは、いつも分からないと思わない?」


 いばらは点灯するエレベーターの回数表示を見つめる。永愛は隣に立つ少女を見て、正直な言葉を口にした。


「……分からないね。何を考えてるのか、どうしてあそこまで頑張れるのか……どうしてあんなに、強くあれるのか」


 ナイフで刺されても斧で斬り付けられても、血だらけになっても涙はその歩みを止めない。それは同じ実働部隊(ワイルドハント)のメンバーから見ても異常であり、ある種の恐怖に近い感情すら沸き立ってきた。


 空穂涙には――生に対する執着が無さすぎる。


 彼女は矛盾の塊である。弟が生きることを望みながら自分が生きることには頓着せず、他者の言葉に耳を傾けるくせに跳ね除ける。


 ――流海が怪我をしてなかったら、それ以外は等しくどうでもいい。それが私です。業務的で不道徳。自己中心的で我儘で面倒で……だから心配しなくていいですよ、私に申し訳ないと思うだなんて朝凪と竜胆の心労にしかなりませんから


 永愛は傷だらけの涙を思い出し、彼女の言葉を反芻した。


「流海君が怪我しなかったら、それ以外は等しくどうでもいいってさ……涙さん自身のこともどうでもいいって言ってるのと同じだよね」


 永愛の言葉にいばらは奥歯を噛んでしまう。初めて涙と会った日を思い出しながら。


 いばらは直ぐに謝罪を口にしてしまうことがある。自分が悪いのか悪くないのか、どうして今謝ったのか分からずに口にする「ごめんなさい」は彼女の足元をグラつかせ、一度吐く毎に自信を失わせていく。


 誰もいばらを「悪くない」と言ったことは無かった。笑って流すだけで肯定も否定もしない。それは結果的にいばらの謝罪に価値は無いと言うようで、だから彼女は自信を失い続けながらも必死だった。


 必死に自分のヤマイと向き合って、必死に周りを気遣って、必死に毎日息をして。


 だから涙と出会った時、芯の通った冷静な姿勢に羨ましさを覚えた。全てが分からない状態である筈なのに動揺を見せず、正面から自分を見つめてくる黒い瞳は今でも鮮明に思い出せる。


 しかしそれ以上にいばらの中で涙を強く印象づけたのは、彼女の返答だった。


 ――別に悪くないと思うので謝らないでください


 その言葉で、いばらの中で涙は「知りたい人」になった。


 ――嫌な態度をとった私の方が悪いです。ごめんなさい


 自分に非があると口にできる涙は「良い人」になった。


 あの時の会話がいばらにとってどれだけ重要かだったか、涙は知らない。彼女は気づいていないといばらは知っている。知らないと知っている。それでいばらは、良かったのだ。


「いばらちゃんはどうしたい? 涙さんと、これから」


 永愛からの投げかけに少女は唇を結んだ。


 蜂蜜色の目をした少年は静かに少女を見つめ、回答を待っている。彼が予想した回答がくるとどこかで知っていながら。


 いばらは少しだけ口を開閉させ、湧き上がる言葉を吐き出した。


「――もっと、知りたい」


 二人の前でエレベーターが到着する音がする。


 いばらは言葉を探す表情で永愛を見上げ、少年は彼女の答えを急かさない。いばらは必死に呼吸をし、まとまっていない言葉を並べた。


「涙さんのこと、私、何も知らないの。いつも何を考えてるのかとか、どうしてあんなに頑張れるのかとか。きっと、嫌だなって感じることもあると思うのに、でも、でも、涙さんはそう言うの教えてくれないし、私達が止めてもアテナに行っちゃうし……」


「……そうだね」


 エレベーターの扉が開く。しかし二人が乗り込むことはなく、立ち止まったままの彼らを気にかける研究員などいなかった。


 いばらは涙の上着を抱き締めて、ハンマーを握る血だらけの少女を思い出す。


 きっと涙はいつか壊れる。いつか立てなくなる。いつか知らないところで、死んでしまう。


 いばらはそれが怖いから、心配だから、常に止める言葉を口にしてきた。しかしそれが聞き入れられたことはない。涙は決して止まらない。


「止めても駄目なら、私は――いっしょに行きたい」


 揺れていたいばらの視線が止まる。


 永愛はいばらの瞳を見つめて、アテナで涙がくれた言葉を思い出した。


 ――始まりがどうであろうと、二人には私に無いアテナでの経験があるんでしょう? その経験に私が勝てる筈ないでしょうに


 それは謙遜から出た言葉ではなかった。あれは素直さから出た言葉であり、自分が思うままを口にしたのだと思わされた。


 涙について知っていることと言えば、あの言葉の真っ直ぐさだ。


 正しいことは自信を持って正しいと口にし、悪いと思うことは悪いと目を背けない。


 だからこそ永愛は、涙を怖いと思うと同時に凄いと思うのだ。相反する印象を持ち合わせながら声を掛けるのだ。


 永愛は微笑んで、いばらの言葉に頷いた。


「一緒にアテナへ行きたいんだ」


「そう。そうすれば、涙さんが一人で怪我することはないでしょ? 私は涙さんみたいに強くないし、勇気もないわ。それでも、あの人だけ怪我が増えていくのは耐えられないの」


「俺もだよ」


 いばらの目が微かに見開かれる。微笑む永愛はいばらの肩を叩いてからエレベーターに乗り込み、〈開〉のボタンを押した。


「だから、一緒に強くなろっか、いばらちゃん。涙さんに置いていかれないように。俺達の場所に留めておくことが出来ないなら、俺達が追いつくしか道は無さそうだから」


「……えぇ、えぇ、そうね、そうよね」


 いばらは破顔する。泣き出しそうな顔で笑った彼女は足を踏み出し、エレベーターに乗り込んだ。


「止められないものね、涙さんは」


「そうだよ。だからまずは……判断力とか、体力がいるかな?」


「頑張るわ」


「俺も」


 笑った二人は肩を竦め合い、回数ボタンを押した後〈閉〉のボタンに指が伸びる。


 そこへ小走りに、エレベーターへ乗り込んで来た少年がいた。


 灰色の髪が揺れて、腕に下げた買い物袋が音を立てる。


「あ、朔夜君、こんにちは」


「永愛、朝凪も。こんちは。悪いな飛び乗って」


「こんにちは、大丈夫よ、何階に行く?」


「三階で」


「一緒だね」


 上着のファスナーを少し下ろした伊吹朔夜は、申し訳なさそうに眉を下げる。永愛といばらは律儀な彼に微笑みを向け、エレベーターの扉は閉められた。


 先に乗り込んでいた二人の空気は酷く穏やかだ。


 朔夜はそう感じながら深く問いかけることはしなかった。声をかけたのは永愛の方だ。


「今日はメディシンの投与日だっけ?」


「小夜がな。今ちょうど打ってる所だ。あいつメディシン打ってると直ぐに寝るから、その間にアテナに行ってた」


「朔夜君?」


 永愛の空気が重たくなり、朔夜の視線が明後日の方を向く。いばらは二人の間で複雑そうな顔をした。灰色の少年の腕で揺れる買い物袋には、アテナ帰りの小腹を満たす食糧が入っていたのだ。彼は妹が寝ている間に仕事をし、目覚める前に傍へ帰りたいのだろう。


 いばらは朔夜の行動を想像しつつ、永愛の空気がお説教モードに入ったことに気づいていた。


「もー! 涙さんもそうだけど、朔夜君もこれで何連勤してるの!?」


「……いつも通りだ」


「いつも通りは週七勤務ってことでしょ! 今に体壊しちゃうよ!?」


 眉を吊り上げて文句を叫ぶ永愛。ぐうの音も出ない朔夜は気まずそうに肩をすぼめ、いばらは永愛の背中を叩いておいた。エレベーターは三階に到着したことを音で告げる。


「あー、ありがとな。二人も三階に用事か?」


「えぇ、ちょっと涙さんを探してるの。まずは流海さんの病室に行こうかって話してたのよ」


 エレベーターを降りた朔夜にいばらが答える。そうすれば灰色の少年は足を止め、気まずさを捨てた瞳で振り返った。


「あいつ、来てるのか」


「きっとね。涙さん、休みの日は絶対に流海さんの所に行くみたいだから……多分、今日もいると思うの」


 いばらは涙の上着を腕にかけ直す。朔夜はその動作を見つめ、永愛にも視線を向けた。見られた少年は蜂蜜色の瞳を頷かせ、朔夜は爪先を床に打ち付ける。腕時計を見た少年は爪先の向きを変えた。


「俺も行っていいか。あの双子とは話したいことがある」


「それは構わないけど……」


「……小夜ちゃんは大丈夫?」


「大丈夫だよ、まだ寝ると思うから」


 顔を見合わせた永愛といばら。二人は不思議そうに頷き、朔夜は口を結んでいた。


真っすぐな貴方を凄いと思ったんだ。


***

次話は月曜日投稿致します。



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