27. 情
今回より〈交錯の章〉として始めます。
それに伴い「偶」から「不」までを〈嚆矢の章〉と致しました。
初めてマッキを鎮静し、体操服登校を余儀なくされて早数日。世間は寒風が吹き荒ぶ十一月へ入り、私はため息を吐く日々を送っていた。
「……なんだかなぁ」
私は制服の注文書を見下ろし、マッキ療養階で息を吐く。左目上に感じる頭痛は恐らく最近の交友関係のせいだ。
まずは話す時間を作りたいと声を掛けてくる伊吹。
――おい、空穂
――これから流海と訓練なんで帰ってください
――え……あ、おう、悪い
彼は意外と聞き分けが良いが、話さない選択肢を作ってこない。ふざけやがってと心底思う。私は可能な限り伊吹の事を避けていたいのだと察しろよ。意見の押し付け合いになることが目に見えているだろうに。
次はよく機嫌を薄暗くさせる流海。もちろん可愛いは前提で。
――へぇ、今日も伊吹君と話したんだ
――流海とデートだからって言っといた
――わぁい
ちょっと不満げな流海は、私が他者などアウトオブ眼中であると伝えれば明るい雰囲気になってくれる。まだ流海は朝凪と竜胆としか自己紹介していない筈だが気にしない。自己紹介する前から伊吹のイメージが流海の中でよろしくないとか私は気にならない。
片割れの薄暗さは不安の表れだ。私が他人と関われば流海から離れていってしまうのではないかと危惧してる。杞憂だよ。可愛い可愛い片割れ君。
朝凪と竜胆と言えば、私がアテナへ行くことを懲りずに止める姿に頭が痛むんだよな。
――涙さん!
――今日もアテナに!?
――行きますよ。そりゃ勿論
朝凪と竜胆は時折先回りをしているので困る。こちらが対応を考えるように相手方も対策をしているわけだ。学習能力が高いよね、本当に。だから最近の私は夜にアテナへ行き始めた。昼間は学校で、夕方からは流海の体力強化に付き合っているし。
四人とは別枠で、私を構う桜と柊にも掴まる日々である。二人はまた毛色が違うので色々と断りづらいのだ。
桜は私の衣装の耐久度研究だとか言って、切れにくい素材や衝撃吸収方法について研究し始めてくれた。お手を煩わせておりますね。
彼女の研究に付き合う柊には何かとお小言を零されるが、それでも無視されたりすることは無いから居心地が悪い。
――こちらの試作はいかがでしょうか!
――……すみません、肩が上がりません
――あら!?
――お嬢、試作八号も失敗です
……私の周りはいつからこんなに騒がしくなったのか。本当にため息が止まらない。
組んだ足を揺らせば座っているパイプ椅子の関節が軋んだ。耳につく音だ。
アテナから戦闘員が送られてくることも増えた。もしくは私が知らないだけで今の頻度が普通なのかもしれないが、体感的に増えたのだ。
――あ、
――見つけた
アテナの奴らに担当区域があるかどうかは知らないが、「嘉音」は約束通り私を狙ってくれる。お陰で体操服の裾などがよく切れるが、ヘルスへの被害を出さない働きで報酬が貰えた。
しかし喜ばしさよりも不満が募る。傲慢ではあるが、一時間弱の全力鬼ごっこに報酬が見合ってないからだ。主に量が。もっとメディシンの投与権利増やしてくれよ。三日分とか一気にくれ。ヘルスに怪我させてないし人目に付かない場所を逃げ回るし、こちらも隠密に努力しているのだから。
流海のメディシンは一日一袋を目安に投与される。ゆっくりと時間をかけて投与することで体内に満遍なく浸透するように。今の所あの子の体調面で目立った変化は見られなくて安心はしている。それでもやっぱり不安は拭えないから、どうにかこうにか流海の毒を治す薬を作りたいのだが。
「……上手くいかねぇなぁ」
制服の注文用紙の下からルーズリーフを取り出す。今まで採取したアテナの材料を書きなぐったメモだが、それらが柘榴先生の研究に良い影響を表したと言う報告はない。
「αの幹も葉も持ってきた。γの幹も駄目だったし、βに浮かんだ小島の土も駄目……水晶の花も、水の蔦も、宝石の枝も駄目、か」
再びパイプ椅子の関節が鳴る。足を組み直して息を吐けば、目の前の病室では患者の呻く声が響いていた。
そこにいるのは私が初めて抑制したマッキの男。プラセボを投与して無理やり鎮静化させたことにより、高熱と嘔吐、悪寒に幻覚と散々な症状が現れている。
パナケイアのマッキ療養階には患者が暴れた時用の檻が設置されている。檻奥の病室に繋がれている男は、一体どんな夢を見ているのか。それとも夢など見ないまま意識を朦朧とされているのか。
薄暗いこの階には呻き声が途切れることなく木霊しており、居心地は最悪であった。しかしそれでも、マッキが沈静された後の経過は学習しておきたいものだ。
「あ、涙さん」
「朝凪、柊も」
「ここに居たのか、お前は」
ワゴンにメディシンを複数個乗せた朝凪と、段ボールを持っている柊がエレベーターから下りてくる。珍しい組み合わせだと思って見つめていれば、何を思ったのか朝凪が説明してくれた。
「補充分のメディシンをマッキ担当の人達に渡しに来たんです。柊君は備品の交換を」
「……実働部隊って別名雑用係ですよね」
「勘違いするなよ。補助員の俺が頼まれていたんだが、見かけた朝凪が手伝ってくれているんだ」
「そうでしたか。流石朝凪。雑用係は柊ですね」
「い、いや、私はそんな……」
「朝凪は空穂や他の奴とは違って視野が広いからな。それに良いものだぞ、何でも頼まれると言うのは。それだけ信頼されていると思っているからな」
なんで自慢げなんだ、この男は。そして何気に私のことを視野が狭いと貶しやがった。若干癇に障ったが、朝凪の視野が広いことは事実なので黙っておくことにした。私には彼女に勝る度量は無い。
柊の今日の年齢は恐らく二十代後半だろう。スーツを着ている男の横では、朝凪が肩を竦めてワゴンの持ち手を握っていた。
「柊君は、凄いですから」
「ありがとう。さ、行くか」
「はい」
柊が箱を持ち直して管理室の方へ歩いていく。その後ろをワゴンを押して着いていく朝凪は、私に軽く会釈をくれた。
「そうだ涙さん、今日こそはアテナに行っちゃ駄目ですよ!」
「約束しかねます」
「もうっ!」
額を染めて怒ったような素振りをする朝凪。彼女は頬を膨らませながらワゴンを押し、私は軽く手を振った。美人はどんな表情も美人だこと。
彼女と柊は何か話しているようだが聞き取れず、私は椅子の背もたれに体重をかけた。少し俯いている朝凪が必死に顔の赤みを抑えようと、手で扇ぐ仕草をする。柊は澄ました横顔で口を動かし、朝凪は恥ずかしそうにはにかんだ。それは、話す男だけに向けられた微笑みだ。
「……へぇ」
* * *
「それで、マッキの人の様子はどうだった?」
「今日も魘されてたよ。プラセボの人体への影響は相当らしい」
「そっかぁ……いてててて」
「流海は体が硬い」
訓練室の床の一部にマットを敷き、流海の背中を押さえる現在。今日は天気が悪いため訓練室内で相手をする予定だ。流海が体力切れで倒れた後にでも、私はアテナへ飛ぶとしよう。
視界にも慣れる為にお互いペストマスクをしている訳だが、傍から見ればおかしなものだろうな。周囲の目なんて気にしないのだが。
私は流海の細い背中を押し、掌に感じる片割れの体温に安堵していた。
「プラセボはきっと、綺麗すぎるんだね」
「綺麗すぎる?」
「そうだよ、あ、痛い痛い痛い」
「ちょっと我慢しなさいな」
床をタップする流海を見ながら十数える。体重をかけるのを止めれば彼は直ぐに体勢を戻し、膝の裏を摩っていた。
「綺麗すぎると毒、ねぇ……」
「だと思うよ。汚すぎるのも駄目だけど、綺麗すぎるのだって駄目なんだ。だからきっと僕達はアテナの空気を吸えないんだと思う」
「綺麗は汚い、汚いは綺麗ってやつか」
「に、近い考えだと思うな」
流海の足を伸ばさせて再度背中を押す。そうすれば「うあぁぁ」と痛がる声が上がったが、こればかりはどうしようもない。体が硬くて怪我をする事態を避けるためにも必要なことだ。
私はアテナの美しい景色を思い出し、綺麗すぎるものが毒となっている現状を再認識した。
綺麗すぎて呼吸が出来ない。薬になるものは毒の中で育っている。汚い私達は、それでも綺麗に救いを求めてる。
私は流海の背中から手を離し、再び足の裏を摩る片割れを見下ろした。流海は独り言のように聞いてくる。
「マッキかぁ……僕らがなったらどうなるんだろうね」
「災害レベルだよ、きっと」
「もし僕がマッキになったら涙が止めてくれる?」
「勿論。私がマッキになったら流海が止めてくれるだろ?」
「勿論」
立ち上がらせた流海と背中合わせになり、両肘を交差させる。私が前に体を倒せば流海の背中が伸びて、再び「いてててて」と可愛らしい声がするのだ。見よ、この片割れの可愛さを。
思っていれば今度は私の背中が伸ばされて、爪先が少しだけ床から浮いてしまった。不覚。
「身長差が感じられて大変悔しい」
「涙ちっちゃいねー」
「怒っちゃうぞ」
「それは困る」
流海の笑い声を聞く。しかしそれは声だけ笑っているのかもしれない。顔に笑みはないかもしれない。
かもしれないを並べた頭はヤマイを抑制し、病は気からという言葉が思い浮かんでいた。
その時、訓練室の扉が開く。見れば驚いた顔の竜胆と伊吹がいたから、流海は反射的に顔を背けていると分かった。
なんたるタイミング。流海との時間に水を差すだなんて。いや、訓練室は公共の場か、我慢。
「空穂さ……じゃなくて、涙さん、流海君。ごめん、今どっちの表情をしたらいい?」
竜胆が顔を両手で覆って確認する。私達のヤマイを知らない伊吹も真似て顔を隠しており、その手には今日も手袋がつけられていた。もしも手袋を付けずに顔を覆えば、彼は凍ってしまうのだろうか。
ぼんやりと考えた私は、流海と組んだ腕を解いた。ペストマスクの縁を少しだけ上げながら。
「どの表情をしても私か流海のどちらかは発症するので、退室しますよ」
「あ、いや、大丈夫だよ。俺達の方こそ時間ずらして使うから」
顔を隠したままの竜胆が踵を返す。それを呼び止める隙は無く、残された伊吹は首を傾けていた。顔を覆ったまま。あざといとか言わねぇからな。
「……お前らのヤマイ、聞いてもいいか?」
「あぁ、私は笑顔を向けられると事故に遭うヤマイです」
「僕は笑顔以外を向けられると事故に遭うヤマイだよ」
伊吹の肩が微かに揺れる。小さく「そうか」と呟いた彼は何を考えているのか。顔を隠したままの灰色を見つめれば、くぐもった声が届けられた。
「教えてくれて、ありがとな」
「いいえ、いつかはきちんと共有しなければいけない事項だったでしょうよ」
そこで流海がペストマスクを脱いで伊吹の腕を掴む。手を剥がされた伊吹は容赦なく片割れのペストマスクを付けられ、素っ頓狂な声を上げていた。
無表情の流海は静かに目を細めている。
「これで大丈夫だよ。涙も伊吹君もどんな表情をしてもいい。僕が無表情でいれば涙は発症しないし」
「お、おぉ」
「流海、」
「改めて、僕は空穂流海。よろしくね」
「伊吹朔夜だ、よろしく」
手袋をした手を差し出す伊吹。流海は一瞬の間を作ってから握手をし、私は廊下を確認した。あまり伊吹と会話をする気はないし、流海と仲良くさせて荒波やらさざ波やらを立てたくないのだ。
「竜胆を追わなくて良かったんですか?」
「あー……そうだなぁ、あー……難しいんだよ」
頭を掻く仕草をした伊吹はため息を吐く。私は竜胆が去った方向に視線を戻し、不意に腕を引かれた。
見れば、丸めたマットを小脇に抱えた流海がいる。その黒い目は私を食い入るように見つめていたから、静かに瞬きをして応えるのだ。
分かってるよ、大丈夫。
私は、歩き出した流海の後に続く。
「あ、おい、良いのか」
「良いですよ。どうぞお使いください」
顔を向けることなく伊吹に答えておく。私の腕を掴む流海の手には微かに力が入るから、私は笑ってしまうのだ。そうすれば可愛い片割れは眉間に皺を寄せている。
「何で笑うかな」
「流海が可愛いからかな」
「釈然としない」
「良いさ。可愛い流海、大好きだよ」
「僕もだよ」
流海の手が私を離して手を握られる。私は片割れの手を握り返し、借りていたマットを道具室へ返しに来た。ペストマスクはまだ借りていよう。あと流海の分もあれば再度借りたいな。
インターホンを押せば、中に桜と朝凪がいるのだと分かった。
「流海は待ってなよ、返してくる」
「お願い」
片割れの頬を撫でて道具室に入る。ペストマスクを外しながら美少女二人に挨拶すれば、朝凪に声をかけられた。
「涙さん……今日も、どーしても、アテナに行くつもりですか?」
「勿論」
「もう! まだ昨日の怪我だって治ってないじゃないですか!」
朝凪は眉間に皺を寄せて私の背中を叩いてくる。私はと言えば桜にマットを渡してお礼を述べているわけで、桜色の彼女も口を尖らせていた。
「その通りですわ。ご無理はいけません! 怪我は治してからアテナへは行ってくださいませ!」
「桜までそんなことを言わないでください。朝凪と竜胆だけでも耳に響くんですから」
「耳に響こうが傷に響こうが、言い続けますからね!」
「そうですか」
桜の額を撫でた後に朝凪の頭を手の甲で軽く叩く。二人は揃って口を尖らせており、大変不満気だ。桜は今まで止めなかったのに、朝凪にでも感化されたのかな。
可愛い桜と美人の朝凪を見比べる。両手に花と言えるな。眼福。可愛い顔しても聞けない事には首を横に振り続けるが。
私は何気なく竜胆を思い出してから朝凪を見下ろす。彼女は目を瞬かせて首を少し傾けていた。私が見つめ返すと黙るのは何故だろうね、甘く優しいお嬢さん。
「どうしました? あ、もしかして声が本当に傷に響きましたか……?」
「いいえ、全く。今日も朝凪は綺麗で、桜は可愛いなぁと思ってただけです」
浮かんでいた感想を口にする。朝凪は目を丸くし、顔が緩みかけたらしい桜はペストマスクを付けてくれた。
「……綺麗、ですか」
「はい」
朝凪は口の中で言葉を復唱する。彼女の様子はどこかぎこちなく、肩は少しだけ震えていた。
てっきり朝凪は美人とか言われ慣れていると思ったのに、嫌だったかな。
「ごめんなさい、不快でしたか」
「いいえ……いいえ、違うんです」
朝凪が笑う。私に対して初めて笑ってくれる。
眉を八の字に下げて、それでも嬉しさが滲みでているような笑顔は――やっぱり綺麗だと思ったんだ。
「ありがとうございます、涙さ、」
朝凪の言葉を遮って、近くに置かれていた電気ストーブが爆発する。一瞬右足に熱を感じて、部品とかがぶつかって来た。火災報知器は作動してないから、まぁ大丈夫だろう。
「あぁぁぁごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ! ほんとに、私、私!!」
「す、すぐに医務室から治療道具を持って参りますわ!!」
「いや、大丈夫ですよ、この程度」
「駄目です!!」
「駄目ですわ!!」
「……えぇ」
顔面蒼白の二人を見送った私は、目を瞬かせながら道具室に入って来た流海に肩を竦めてしまった。
それぞれの感情が見えてきてしまう。
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次話投稿は日曜日を予定しています。




