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貴方が笑わない世界がいい  作者: 藍ねず
アレス編 嚆矢の章
22/152

22. 他

今回は三人称視点で参ります。

涙ちゃん視点はお休みです。

 

 嘉音は涙が歩き去った方向を見つめ、白が見えなくなれば力が抜けるように座った。彼は目の前が歪む感覚を抱きながら慎重に寝ころんでいく。息を吐いて芝に横たわった嘉音は、黄色がかった美しい空を見つめた。


 天から梯子でも下ろされたような風景は神々しく、少年は深呼吸をして体の痛みを和らげる。


 目を伏せた嘉音は、脳裏で涙の言葉を反芻した。


 ――ならば、私を最初に殺してくださいよ。私の体全部を斬りつけて、血だらけにして、目を見つめて「死ね」と言ってください。「お前は生きるに値しない」と(ののし)ってください。「生まれて来なければよかった」となじってください。体を殺すなら、心も一緒に殺してください


「あの心は……簡単に折れないだろうな」


 嘉音は肺を一杯に広げて空気を吸い込む。彼が生まれた瞬間から吸い込んでいる空気は清らかだ。不純物など一切ない神聖な空気。だからこそアレスに生きる涙達にとっては即効性の猛毒だった。一息でも吸い込めば肺を壊し、血管を侵食し、血反吐を吐かせて死に至らしめる。


 対して嘉音達にとってアレスの空気は汚れすぎている。吸い込めば焼けるように肺が犯され、四肢の末端が痙攣して吐き気を催す。例えるならば遅効性の劇物とでも言えるだろう。それを吸わない為にペストマスクを付ける嘉音達はしかし、アレスに行くことを恐れてはいなかった。


 万が一にもアレスの空気を吸おうとも、アテナに変えれば()()()があるからだ。


 アテナで育つ植物は世界の美しさと清らかさ、生命力を内に溜め込んで成長する。涙達がα(アルファ)β(ベータ)γ(ガンマ)と呼ぶ材料も例外ではない。清らかさの溢れる植物から薬を生成するパナケイアは、云わばアテナの真似をしているのだ。


「……愚かだな。救いなんてないだろうに」


 ぼやく嘉音は涙の姿を思い浮かべる。αやβの施設を壊し、アテナを駆けまわるペストマスクの姿を。


 アテナとアレスの交流について、その世界の在り方について、アテナで生きる者は物心ついた頃から刷り込まれている。涙達が知らないことを嘉音達は当たり前の如く知って育ったのだ。


 ヤマイは害悪であり、殺さなければいけないと言われ続けてきた。嘉音達が持っている殺意は「刷り込まれた殺意」とでも言えるだろう。


 殺すことが正しいから殺す。傷つけることが正しいから傷つける。生きていることが正しくないから罰を下す。


 ヤマイに対して刷り込まれた殺意を嘉音が疑ったことは無かった。それは当たり前だ。人を殴るのが当然として育てられた場合、人を殴らないと言う選択は正しくない。もっと言えば、初めて会った相手には笑うことが普通であると刷り込まれれば、初対面で笑わないことは悪になる。


 だからこそ、嘉音は今までヤマイと言葉を交わした事など無かった。交わす理由がなかった。殺す対象と会話する必要性を感じなかった。


 ――ヤマイも、生きるのに必死なんですよ


 涙の言葉に嘉音は思いを馳せる。彼は流れ出る血液を感じ、既に赤く染まっている芝を横目に見た。


 それは涙の血か嘉音の血か、傍目からでは判断できない。赤黒く汚れた芝は新しく嘉音の血を吸い、その毒々しさを増した。


「君達は、死ぬことが正しいって教わってきたんだ」


 嘉音の指先が芝をむしる。彼は赤黒く染まった芝を空に掲げ、どちらの血か判断できない事をあざけていた。


 彼の鎖骨の下には涙がつけた真一文字の切り傷が残っている。残るように嘉音が望んだからだ。彼女を殺すと決めた瞬間を忘れない為に。自分の手で涙の体も心も殺すと誓った痛みを消さない為に。


 目を伏せた彼はアテナの風を感じ、深い呼吸を繰り返した。


「――生きてるか」


 嘉音が目を伏せて何分経ったか。


 静かに近づいてきた少年に声を掛けられ、嘉音はゆっくりと瞼を上げた。


 黒い髪に灰色の目。整った顔立ちをしている男は首に防音ヘッドフォンをかけ、無表情に嘉音を見下ろしている。服装は嘉音と同じ白地の制服であり、美しさを纏う少年は人目を引いた。


 彼の腰には拳銃が下げられている。それは――涙のβの袋を撃ち抜いた武器だ。


 涙が嘉音同様に顔を覚えた少年。初めて彼女がアテナへ入り込んだ日、屈辱を与えた男。


 彼は仰向けに倒れている嘉音を見下ろし、首筋から黒髪が流れ落ちた。嘉音は綺麗な少年の顔を見つめている。


「生きてるよ。出血も止まり始めてる」


「そうか。医療棟まで運んでやるよ」


 嘉音は少年に肩を貸されて歩き出す。二人は水晶の林へ入り込み、嘉音は自分の血痕を目で追った。


「ほんと、そういう性格直した方がいいと思うな」


「なんのことだ」


「負傷してるヤマイを追わず、味方に手を貸すところ。だから()()()()()重傷を負うんだ」


 わざとらしく息を吐いた嘉音。肩を貸す少年は視線を明後日の方へ向け、暫しの沈黙を挟んだ。


「……あれは俺が油断したからだ」


「はいはい。それじゃ、今追わない理由は? 俺以外の血痕見たでしょ?」


「お前の怪我が重傷に見えたから」


「何それ、阿保らしい」


 嘉音は眉間に深い皺を刻む。肩を貸す少年は無表情のまま聞き流し、嘉音は心底納得がいかない気分に陥った。


 銃を持つ少年は嘉音と共に、ヤマイ殲滅団――ニケに所属している。


 殲滅団(ニケ)とは、アテナの中で運動面・知力面・精神面を総合して選ばれた若者達の団体であり、白地に金装飾の制服は団員の印。幼少期からアテナの在り方やヤマイの害悪について学び、十五歳になる時に試験を受け、合格した者が入ることを許される。


 殲滅団(ニケ)になることはアテナを救う名誉の一端を担える事であり、誰もが憧れる立ち位置である。アレスへ飛ぶことが許された数少ない者達でもあり、アテナが掲げる目標の為に日々尽力していた。


 そんな殲滅団(ニケ)の中でも、銃を持つ少年は一目置かれている。手にかけたヤマイの数は群を抜いており、彼に任せれば問題ないと誰もが思うほどに。アレスから来るペストマスク達の現れ方についても気づいたのは少年である。


 ――あいつらは何処にでも現れるわけじゃない。帰還した地点に再送されてる。だから自分が追っていたヤマイがどの辺りで消えたか覚えとけよ


 殲滅団(ニケ)の中でも少年を慕う者――朝陽や空牙達は彼の言葉通りに行動を取り、嘉音もよく肩を並べてアレスへ飛んだ。自分達の目的を遂行する為の選択をし続けてきた。


 涙達がプラセボやメディシンを作る材料が欲しいと思うように、嘉音達にも欲しいものがあって両者は敵対している。涙達にしてみれば「なぜ殺意を向けられるのか」と言う話ではあるが、嘉音達にとってはそれが当たり前なのだ。


 アテナとアレスはお互いに知ることを放棄している。歩み寄る素振りも気持ちもなく、ただただ刃を交える荒廃した関係。差があるとすれば、アテナは自分達の在り方やアレスのことを学んでいることだろう。彼らは無知に生きるアレスのように手探りの日々ではない。


 だからこそ嘉音は、肩を貸す少年の煮え切らない態度が不服であった。少年は考えを読ませない目をしており、嘉音は疑問をぶつけてしまう。


「聞きたいんだけどさ、なんで殴打のペストマスクを撃ち殺さなかったの?」


 少年は微かに眉を動かし、その反応を嘉音は見逃さない。「殴打のペストマスク」とは涙を表す言葉であり、殲滅団(ニケ)の間では有名なことだった。


 嘉音の腕を持ち直した少年は、声に呆れを滲ませる。


「それはいつの話だよ」


「初めてあの子がアテナに現れた日。君の腕なら袋よりも心臓を狙えたと思うんだけど」


「あの日は()()()()()だったんだ。照準がズレた」


 少年は目を伏せながら返答する。()()に響いた痛みを思い出しながら。涙のβを撃ち抜いた時、ペストマスク越しでも彼女の怒気は伝わっていた。


 嘉音は少年の返答にやはり納得できない。彼の中では疑念が沸々と湧き上がり、言葉は鋭利さを含んで零される。


「……そういえば知ってた? アテナに連れてきたヤマイを、アレスへ返した奴がいるんだって」


「へぇ、初耳だ」


 少年は眉一つ動かさず相槌を打つ。その姿に嘉音は苛立ちを募らせ、少年の肩から腕を引いた。


「おい、」


「君だろ、ヤマイを逃がした馬鹿は」


 嘉音は貧血になりかけの状態で自立する。対峙する少年の肩には赤黒い血の跡が残り、嘉音は芝を踏みにじった。


「なんのことだ?」


とぼけるなんて君らしくもないね――おぼろ


 嘉音の目が細められる。対峙する少年――おぼろは形のいい口を閉じると、沈黙で答えてみせた。それが嘉音の苛立ちを助長すると分かっていながら。


「最近、殲滅団(ニケ)の警備体制が綻んでいるのを知ってるよね。それは急に出てきた殴打のペストマスクのせいだ」


 嘉音は自分の両手首を粉砕した涙を思い出す。彼にとってヤマイに後れを取り、施設を守り切れなかったことはこれ以上ない屈辱である。それ以降も一人アテナを駆け巡る涙を止められる者がおらず、殲滅団(ニケ)の負傷者は増えていた。


「殴打のペストマスクは朧、君のナイフを持ってたよ。君があのナイフを無くしたと報告したのはいつだっけ? あの大怪我を負って帰って来た時だろ」


「ヤマイに拾われてたのか。後味が悪いな」


 朧は嘉音から視線を外す。


 反射的に脇腹を撫でた少年は――あの日、あの時、流海と涙の歯車を狂わせた張本人だ。


 双子に手当てされ、涙の目を盗み、流海をアテナへ引きずり込んだ元凶。涙が「必ず殺す」と決めている相手。


 重傷を負った朧は、ヤマイに手当てされたと殲滅団(ニケ)の誰にも伝えていない。嘉音が流海について知らないのはその為であり、アテナにいる者は誰一人として朧の行動に気づいていなかったのだ。


 朧は自分の行動を話す気が無い。誰にも気づかせることなく、墓場まで持っていくつもりで口を閉ざしていたのに。


 刺さったままだった木の欠片を嘉音が抜く姿を、朧は見つめていた。


 嘉音は知らないことについての解答を求めている。


 朧は自分の行いについて秘匿することを望んでいる。


 両者はお互いの顔色を探り合った。腹の底が見えないお互いを。


 疑問が後から後から増えている嘉音に、くすぶる憤りを抑える気など毛頭ない。


「ヤマイは殺すべきなのに、どうしてそうしなかったのか理解に苦しむよ。君は今まで何度も任務を成功させてきたのに。今回に限って理性の糸を切れなかった理由は何?」


「俺がヤマイを逃がしたって決めつけてる言い方だな」


「疑ってるんだよ。殴打のペストマスクが君のナイフを持って、弟がアレスへ返されたような口ぶりをして。俺は直感で君を怪しいと思ってる」


「考えすぎだ。ナイフは普通に落としただけで、アレスへ返されたヤマイだって知らない」


 朧は抑揚のない声で返事をする。嘉音はますます眉間に皺を寄せ、視線を逸らせた朧の襟を掴んだ。流れる空気に緊張が張り巡らされる。


「しらばっくれるの止めてくれる?」


「決めつけんなよ。仮に俺がヤマイをアテナへ連れ込んだとして、死ぬ前にアレスへ戻すなんて不可能だろ」


 朧が上着のポケットから砂時計を取り出す。それを逆さにすれば彼らはアレスへ飛ぶことが出来るが、その仕組みは涙達の物と同じである。


 逆さにすればアレスへ行ける。砂が落ち切る前にもう一度逆さにすればアテナへ帰れる。帰った場合は砂を全て片側へ落としきらなければ再度アレスへ行くことは出来ない。上着やマスクの確認も必要である為、アテナへ行くことが出来るのは一日に一時間だけ。自分以外の砂時計を逆さにしてもアレスへ行くことは叶わない。


「マスクも何もないヤマイが、一時間もアテナの空気に耐えられる訳がないだろ」


 仕方がなさそうに息を吐く朧。彼は嘉音の手を襟から離させ、疲れたように息を吐いた。


 嘉音の空気は全く納得していない様子だが、今の朧の発言を覆せる材料が彼には無い。


 重たい空気を背負った嘉音は、血が固まり始めている額を触った。


「……分かったよ。君の発言全てを覆せるように材料を集めてやるから。待ってなよ」


「どうしても俺を裏切り者にしたいんだな」


「疑わしきは罰せよ。その考えの元だし、俺は今すごーく機嫌が悪いからね」


「嫌な時に声をかけたもんだ」


 朧は呆れたように肩を落とす。嘉音は朧の髪を軽く掴み、胸に溜めていた不満を吐き出した。


「全部、全部、あの殴打のペストマスク、涙って子のせいだ。あの子が容赦なく壊した人員や施設の再生にだって時間を取られてるし、そのせいでアレスへ行くって言う本来の目的の遂行も遅れてるし、なんなら出会っても常に負け続けで永らえる俺の精神状態は大変よろしくないし……!」


 嘉音のこめかみに青筋が浮かぶ。


 苛烈な破壊者――それが殲滅団(ニケ)の中で噂される涙の姿であり、嘉音は常に彼女に負けてきた。


 今にも叫び出しそうな嘉音に対して、朧は憐みの視線を向けている。


「ストレス溜まってんな」


「その元を辿れば朧に辿り着くんだよ」


「濡れ衣だ」


 嘉音は少しだけ朧の首を絞める。絞められている男は顔色一つ変えないと知っていて、それでも嘉音は苛立ちをぶつけずにはいられなかった。


「俺のストレス度を見たんなら自白しなよ。どうしてヤマイを逃がしたの。きっとそのヤマイを逃がさなければ、殴打のペストマスクは現れなかった。俺達の今は狂っていなかったんだ」


 ――それはいい。仲良く弟とお揃いだ


 涙の言葉を聞くまで、嘉音は本気でペストマスクを剥ぐ気でいた。しかし彼女の一言によって疑問が生まれ、手を止めざるを得なかった。


 ――もう帰るのかい


 ――いいえ、行くんです。材料を取りに。弟の為に


「あの子の弟をどうして生かした」


「嘉音」


 朧は嘉音の両肩を掴む。灰色の目はやはり感情を読ませることが無く、嘉音は舌打ちした。朧に答える気が無いと気づいていたからだ。


「俺は殲滅団(ニケ)だ。ヤマイを救ったりしない」


 朧の声に揺るぎはない。嘉音は頬を痙攣させ、ため息を吐きながら距離を取った。覚束ない足取りで歩き始める友人に合わせて、朧も足を進める。


「嘘でしたって撤回するならいつでもしてよ。そのお綺麗な顔を一発殴るだけで上への報告はしないであげるから」


「撤回しないから殴られる心配もないな。そんなに疑うなら、証拠と方法を集めて俺の顔を殴りにくることだ」


 口を曲げた嘉音はそっぽを向く。朧は聞こえるようにため息を吐き、ポケットの中で砂時計の縁を撫でていた。


 朧が言うように、彼が流海をアテナへ連れ込んでいても死ぬ前に戻すことは不可能である。しかし流海は生きてアレスへ戻っており、だからこそ涙は実働部隊(ワイルドハント)に所属している。


 朧は内に溜めた感情を嘉音に悟らせないまま、脳裏に男女の双子を浮かべていた。


 ――ヤマイが怪我人に手を貸してはいけませんか? 差別ですね


 涙の声を朧は覚えている。覚えているからこそ、βの袋を撃ち抜く時に気づいたのだ。自分が照準を定めた相手が涙だと言う事に。


「涙って子は俺が殺すから」


 嘉音は前を向いたまま宣言する。路地裏で自分に傷を負わせた涙を思い出し、彼女の微笑みに背筋をなぞられながら。


 ――他の人に目移りしちゃ、嫌ですよ


 肩を押さえながらも自分を見つめていた涙に、嘉音は確かな殺意を覚えていた。


「他の奴になんて殺させない」


 朧の足が止まりかける。彼が横目に見た嘉音は忌々し気に腕や足の傷を確認しており、朧は静かに奥歯を噛んでいた。


誰しも内に秘密と感情を抱えていた。

しかしまだ、全てを明かすには早すぎる。


***

次回投稿は土曜日を予定しています。

涙ちゃん視点に戻ります。

よろしくお願い致します。

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