21. 罵
桜のヤマイが解けた後、私は朝凪に叱られた。桜と共に叱られた。ヤマイで安易に実験を行うことは危険だと正論を言われ、二人っきりで棚が倒れる以上の事故を起こしていたらどうする気だったのかとお説教された。
「分かりましたか!? もう!」
「申し訳ございません……変に思われなかったことに気が大きくなり、軽率な行動を取った自覚がありますわ……」
「誘ったのは私ですし。良い実験結果が得られたと思ってます」
「もしかしなくても反省してませんね!? 涙さん!!」
その後、私のみ朝凪に追加で怒られた。私はいつも決めたら突っ込んでいくとか、自分の考えに忠実すぎるとか、発想が突飛すぎるとか。私は朝凪の目を見ながら流海に怒られることも考えており、そちらの方が嫌だなぁとぼんやり考えていた。
竜胆は頭を抱えた朝凪を宥める。彼も百面相状態であり、私は二人が道具室から一時退席した間に支度を整えた。二人が戻って来ると、今度は「アテナに行かないで」と言われそうだったからだ。伊吹は気づけばいなかったので無視である。
「あ、あの、お怪我の方は……」
「大丈夫ですよ、この程度。日常茶飯事です」
私は眉を下げた桜の頭を撫でた。彼女は何も悪くないとを知って欲しくて、アテナへ行くのを止めて欲しくなかったから。
目を丸くした桜を横目に、私は転移室へ向かった。ウォー・ハンマーを持って走るのにも慣れたな。良き。
「あ、」
「……よぉ」
転移室には先に伊吹がいた。私は会釈だけして腕時計をつける。特に私達の間に会話はなく、お互いの行動にだけ意識を向けた。挨拶も無しに砂時計を逆さにすれば、背後でも人が砂になる感覚がする。
タイミングが被ったことは問題ない。辿り着くのは前回の帰還場所であり、伊吹と同じ場所に私は再構築されないから。
アテナで私は作り上げられる。神々しい空と白銀の大地が視界に入る。同時に私は――迫った薙刀を脊髄反射で躱した。
上体をのけ反らせて目の前を通過した刃を見る。背中に若干の痛みが走ったが仕方がない。
一息つく間もくれないとは、アテナの連中はとことん底意地が悪い。嫌いだな。
「避け方が雑だよ」
馬鹿にするような声を聞いて、わざと背中から地面に倒れ込む。薙刀は素早く私の顔面に向かって叩き下ろされたので、体を捻じって横へ転がった。
白銀の芝を薙刀が叩き切る。私は地面を転がりながら体勢を整えようとした。ウォー・ハンマーを握り直して片膝を地面に着けば、薙刀を振り回す相手は力強く地面を蹴る。
黒い短髪と灰色の目。中性的な顔立ちをしている彼――「嘉音」は容赦なく殺意を向けてきた。
立ち上がってウォー・ハンマーを横に振る。そうすれば「嘉音」の薙刀を殴り飛ばすことができ、私は腕に力を込めた。
頭の重さにもっていかれそうだったハンマーを握り直し、「嘉音」の顎に向かって振り上げる。振りかぶって落とすよりも、その場所から振り上げた方が最短距離で殴れるというものだ。
舌打ちした「嘉音」は顔を後ろに引いて、踏み込みかけていた足も下げる。無理やり体勢を崩したが連続でハンマーは叩き込めない。だから私は「嘉音」を観察した。
視線を這わせて薙刀の位置や「嘉音」の状態を見極める。彼の指には黒い指輪がつけられていた。両手合わせて漏れなく十個。その意味は汲み取れず、嫌な予感だけはした。痛みを受ける覚悟はしておこう。
おかしな話だ。殺気が漏れている相手を、事故が来る時と同じ気持ちで対応しようだなんて。どちらも命に関わるくせに、対人の方が観察しやすいと思う私はやはり異常なのだろうか。
――お前には恐怖というものがないのか?
柊の言葉を思い出しながら腰後ろのナイフを抜く。薙刀もウォー・ハンマーも中距離が得意な武器だ。距離を取るのではなく詰める方がいい。接近戦に持ち込めばどちらも得意道具が使いづらくなるだろ。
だから私は憎いナイフを握り締め、「嘉音」の懐に潜り込んだ。
「二度も同じ手を食らうとでも?」
薙刀を捨てた「嘉音」が私の両手首を掴み、左足の甲を踏まれる。私はペストマスク越しに「嘉音」を見上げ、手首に感じた痛みに気づいていた。
手首に小さく穴が開いた気がする。見れば手首からは血が滴り、痛みを感じているのは黒い指輪と触れている位置だと理解した。そこで初めて、私はそれが「暗器」だと察する。やはり無知は大敵だな。
指輪の内側には刃でもついているのだろう。浅く手袋越しに食い込んだ武器は、手首を捻って拘束を解かせるか悩ませた。
このまま両手を捻じって引けば距離を取れるかもしれないが、それだと手首全体が傷つく予感がする。それは後々ウォー・ハンマーを握ることに障害が出そうで嫌なんだよな。
それに、左手に至ってはぎりぎりの位置で握られていない腕時計が邪魔だ。ナイフを捨てて右手が抜けたとしても、左手は時計が余計な障害になって抜けづらいかもしれない。面倒だな。
踏みにじられる左足を動かそうとしても体重をかけられる。右足は動くが、膝蹴りを入れるには近すぎる距離である。今なにかしらの動作をしても、対処できる主導権を持っているのは「嘉音」の方だ。
握り締められた手首から赤黒い血が滴り落ちる。それは白銀の芝を汚すから、私は路地裏の会話を思い出した。
「汚染されましたね」
少しだけ声を張ってやる。そうすればマスク越しでも「嘉音」に声が届くだろうと思って。ナイフは今となっては邪魔なので捨てておいた。
目の前に立つ男は手首を握る力を強める。そのまま顔を静かに近づけてきた。
ペストマスクの目元に顔が寄せられる。これは頭を前に振れば嘴で攻撃できるのではなかろうか。いや、嘴が潰れてライオスが零れたりしたら困るな。まだ何も材料を集めていないのに、呼吸を奪われるなど御免だ。
「汚染された場所は刈り取ればいい」
「ならば貴方の手も切り落とした方がよろしいかと」
体を前に寄せて手首を「嘉音」の手に押し付ける。そうすれば血はより流れ、彼の掌も汚し続けた。
顔を顰めた「嘉音」の鼻先がマスクに触れている気がする。その高い鼻がへし折れたらいいのに。これは普通に頭突きしたら鼻の骨くらい折れるのではなかろうか。試すか? 試すか。
私は少し頭を後ろに引く。しかし素早く「嘉音」は私の後頭部を右手で押さえつけ、左手で両手首を掴んできやがった。苛立ちが私の胸で燻り始める。
こういう時に男女の体躯差が嫌になる。同性の中で自分の身長が高めだろうと何だろうと、結局は異性との差が歴然なのだから。流海に抱き締められている時はその差すら安心できるのに、「嘉音」との差と距離には苛立ちしか浮かんでこない。コイツどうしてくれようか。
目の前の奴から離れる方法を模索する。「嘉音」は私の後頭部を押さえつけ、灰色の瞳がマスクを覗き込んできた。
「君はどうやって死にたい?」
「死に方を選ばせてくれるだなんてお優しいですね。おすすめはありますか?」
嫌味を混ぜて言葉を返す。「嘉音」の感情を揺らしたくて、その瞬間を見逃したくなくて。
灰色の目が細められる。しかし隙が出来る程ではなかった為、私も「嘉音」の目を見つめ返した。
「おすすめは――理性を捨てさせることかな」
「へぇ」
両手首を握る手に力が入る。左足にも体重をかけられ続けるが気にしない。私は自分の指が動くことを意識の隅で確認した。
「俺達の殺し方は大概そうさ。ヤマイに理性を捨てさせて自滅させる。そうすれば他のヤマイも巻き込んでくれるからね」
「どうやって理性を捨てさせるか気になる所です」
「これ以上は口外不要だよ。俺が実際に体験させてあげるから」
「あぁ、それは嫌ですね。ヤマイを殺すことしか考えていない貴方達と同レベルになり下がるだなんて」
「……なに?」
「私達をヤマイだから殺処分しようとする貴方達は、既に理性のない下等生物だと言っているんです」
煽る為に嘲笑う。
そうすれば「嘉音」のこめかみに青筋が浮かんだから、私は感情の揺れを見逃さなかった。
私は「嘉音」の手首にかけられるだけ指をかけて力を込める。同時に膝を曲げて「嘉音」の片手を勢いよく下に引いた。
引かれるまま体勢を下げられた「嘉音」の額に頭突きをかまし、手首の拘束を一瞬で離す。血飛沫が飛んだが傷はどれも浅いため問題ない。「嘉音」の手首に指をかけられると言うことは、ハンマーを握る事にも支障はないのだろう。後頭部を押さえていた手も緩んだ。
これで距離が取れるかと思ったのだが、「嘉音」は足を踏む行為だけは止めなかった。
駄目か、私の煽りスキルでは相手を激怒まで持ち込めなかったとみる。怒りは渾身の力を発揮させると同時に、相手の理性を霧散させると踏んでいたんだけどな。
素早く顔を上げた「嘉音」が両手を握り合わせて振り上げる。殴られるな。
私は後頭部を勢いよく殴られたが、痛みは許容範囲内だった。白い帽子が地面に舞い落ち、奥歯を噛んで目眩に耐える。
私は地面に倒れる前に「嘉音」の足を掴んで引き倒した。そうすれば私と彼は仲良く地面に倒れたから、素早くウォー・ハンマーとナイフを拾う。立ち上がったのは私が先だ。
「逃がすと思うな」
後ろから肩を掴まれて地面に叩きつけられる。呻く前に仰向けになされ、見上げた空は今日も綺麗だった。アレスの空とは違うのだと、変な懐かしさが湧いてくる。
清らかな世界の中、「嘉音」は私に馬乗りになってペストマスクの縁に指をかけた。反射的に彼の手を止めれば、この間の路地裏とは立場が逆だと笑いそうだった。
「仮面を取れば、私は何分で死ぬんでしょうね」
「十分も持たないさ。なんなら経験すればいい」
「それはいい。仲良く弟とお揃いだ」
私は「嘉音」の両手首を握り締める。内臓から湧き上がる苛立ちは酸素マスクを付けられた流海を思い起こさせて、額が熱くなった。
お前達がヤマイを殺そうだなんて思わなければ良かったんだ。そうすれば私はアテナになんて来ていないし、あの子もアテナに行きたいだなんて言わないし、そもそも命の危機だって感じなかったのに。
全部お前達が悪い。ヤマイを悪いものだと決めつけて、理由も知らせずに殺意を向けるお前達が悪い。治す薬を作りたいだけなのに、聞く耳を持たないお前達が悪い。
どれだけ害悪だと言われようとも、私達は悪くない。
目を細めた「嘉音」は少しだけ指に力を込め、私のマスクに再び顔を寄せた。
「それ、どういう意味?」
ぎりぎり聞き取れる声量で問いかけられる。私は「嘉音」を押し返すかマスクを死守するか逡巡したが、マスクの死守に努めておいた。
「……どういう意味とは?」
「そのままだよ。マスクを取ったら君の弟と同じになる? 意味が分からないね」
私はそこで違和感を抱く。
私に問いかけるこの男は、アテナからアレスへ返され、生きているヤマイがいると――知らないのではないか?
アテナの空気を吸ってボロボロになった流海が浮かぶ。考えたくはないが、アレスに返されなければ流海は死んでいた。アテナで苦しみ、アレスで死を待つ時間すらもなく。
苛立ちと恐怖が同時に湧き上がる。しかしそれを爆発させる前に、私は頭の中の冷静な部分で考え続けた。
相手側で情報が共有されていない。共有される程度のことですらない。誰かがわざと――隠してる?
疑問に対する仮説を張り巡らせた私は、どうするべきか眉根を寄せた。
これを正直に答えるべきか。それとも嘘をつくべきか。
流海を守るために、私はどう選択するのが正しいのか。
あの子を傷つけさせないために、私には何が出来る。
「私だけが答えるなんて不平等なのでは?」
苛立ちを嫌味に混ぜて発言する。「嘉音」の手首を握り締めれば、彼は少しだけ私から顔を離した。私は灰色の目を見つめる。
「私の質問に貴方が答えるならば教えましょう」
「……どうして俺がヤマイの言うことを聞く必要があるのかな」
「私達は殺し殺されの対等な関係だからですよ」
「……俺が、ヤマイと……対等?」
そうだよ、私達は対等だ。優劣がなければ上下でもない。私達は異世界を行き来できて、戦う理由を持った対等者だ。
しかし、この言葉はきっと「嘉音」にとっては侮辱になる。
だから怒ればいい。怒って冷静さを欠けばいい。
私は流海の情報なんて渡さない。あの子を晒す気など毛頭ない。質問に答えてくれたら教えるだなんて大嘘だ。
黙った「嘉音」を私は見つめた。いつ怒り出すか、いつ声を荒らげるか。その時にまた私は動き出せばいい。コイツにばかり構ってやる時間などない。追いかけてくるならアレスで来なよ。
しかし、「嘉音」は怒らなかった。
怒ることなく私のマスクから手を離し、顔を覆って肩を震わせた。
あ、コイツ――
私は「嘉音」の下から抜け出そうと動くが、相手は私の両手首を地面に押さえつけた。
灰色の瞳と目が合う。弧を描いた目と視線が絡む。
「どこまでも愚かだな」
私を押さえつける男は――恍惚の笑みを浮かべていた。
心底馬鹿にして、どこまでも嘲て、哀れみすらも垣間見得る笑顔を私に向ける。
「対等なわけが無いだろ――追い出された君達と俺達が」
私のヤマイが発病する。
一番近い水晶のような木にヒビが入り、私達に向かって倒れてくる。
私は「嘉音」を見つめた。倒木に気づいた男は避けようとしない。笑いながら私だけを見てやがる。
「ほらね、君はやっぱり害悪だ」
両手首が自由になる。だから私は「嘉音」の片腕と胸倉を掴み、巻き込み事故を覚悟した。
私達に目掛けて倒れた木が砕け散る。お互いに肩や頭に衝撃を受けながらも見つめ合い、砕けた枝葉が陽光を乱反射した。
見た目よりも脆い木に安堵する。痛みを無視して息を吐く。下敷きにされていたら肋骨くらいは折れる気がしたのだ。
自分の二の腕や手の甲に木の破片が突き刺さる。こめかみから流れた血はアルアミラに吸い込まれた。
私の上に乗り続ける「嘉音」も同じように流血する。こめかみから赤い血を流し、肩や太ももに木の欠片が突き刺さっているのに。
彼はまだ口角を上げようとするから、私は両手で男の顔を覆ってしまった。
周囲に響くのは甲高く宝石が砕ける音。
舞い上がる砂埃すら美しい世界で、私は「嘉音」の言葉を反芻し続けた。
――追い出された君達
誰が、なんで、何処から、何処へ。
私は流れ出る血を視界に入れ、苛立ちながら「嘉音」を押しのける。引きつった足を踏み出してウォー・ハンマーとナイフを握れば、手に力が入らなかった。
武器が地面に落ちる。その歯痒さに余計に苛立てば背後から手が伸びてきた。
後ろから回り込んできた手を見る。血だらけの右手は私の喉元を押さえ、締め付けてきた。
微かに息が出来るだけの強さ。指輪の刃がアルアミラを突き破る。
私は肘鉄を準備するが、それより先に相手の声を聞かざるを得なかった。
「無知で毒を孕んだ君達は、何も分からないまま死ねばいい」
額を熱くした私は肘鉄を「嘉音」の脇腹に入れる。呻いた男は後退し、私は手の甲から木の欠片を引き抜いた。
「醜く足掻いて生きますよ。誰を傷つけても、誰にいらないと言われても、私達は何も悪くないのだから」
欠片を美しい世界に投げ捨てる。私の汚い血液で芝を汚し、アテナを汚染するが如く。
歯を食いしばってウォー・ハンマーとナイフを握った私は、血だらけで立つ「嘉音」を視界に入れた。
「今日はもう行きます。貴方は汚染された芝でも刈っていればいい。続きをしたいならばアレスでお声がけください」
「俺にまた背を向けるだなんて、余裕だね」
「満身創痍のくせに、強がりなんて見苦しいですよ」
苛立ちと嫌悪を混ぜて声にする。どうせその足では追いかけて来られないでしょうね。
間を置いた「嘉音」は、私の背に言葉を投げた。
「もう帰るのかい」
「いいえ、行くんです。材料を取りに。弟の為に」
足を引きずりそうになりながら進む。「嘉音」はそれ以上発言せず、肌が感じ続けていた殺意も止まった。
それを質問する気が無い私は、止めないならば楽だと思いながらアテナの林を進んだ。
「……意味分かんね」
頭の中には、詰め込まれた疑問が渦巻いている。
歯車が緩くぶつかり始める。
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次話投稿は、3日挟んで水曜日を予定しています。すみません。
96時間ほどお待ちいただければと思います。




