110. 斧
クレセントアックスは三日月型の刃がついた戦斧。長さや刃の大きさから重量のある武器だと考えられる。恐らくあの刃ならば斬るだけでなく潰す能力もあるのだろう。当たりが悪いと、いや、当たりが良いと上半身を真っ二つに出来るらしいから。
しかし、その斧を武器とする双子の肩は心許なかった。
細い肩は揺れている。彼らの表情を例えるならば、きっと苦悩が正しいのだ。
「どいてよ、そこ」
「その人達、処分するんだから」
重量感のあるクレセントアックスが持ち上げられる。朧も嘉音も小さく呻くだけで、言語は何も発しない。雰囲気が変わることも無く、朝陽と夕陽がやって来ることは分かっていたようだ。
流海はクロスボウを構え、凪いだ空気で照準を合わせる。哀れな双子の顔は見ず、腹部を狙って矢を据える。
私は嘉音達から手を離し、ウォー・ハンマーを構えた。
「処分とは、また物騒ですね」
「「お前達のせいだろッ!!」」
双子の額に熱が募る。二人の背後で扉は重く閉まり、一瞬の静寂が広がった。耳に残る静けさには様々な呼吸音が乗り、同じ顔をした少年達は荒く犬歯を見せている。だがその口元に似合わず、灰色の目は潤んでいた。
「お前達がいなかったら、」
「かき乱さなかったら、」
「朧さんも、嘉音さんも、」
「螢も、空牙もッ」
「「汚れなかったのに‼」」
悲痛な叫びが部屋に木霊する。声は鋭く棘になる。
けれど私にも流海にも刺さらない。揺れる朝陽と夕陽の声など痛くない。傷にもならない。
この子達の言葉は、八つ当たりをするように、まるで力ない拳で叩くように弱いのだから。
「だから俺達が、処分しないと」
「処分しろって、命令だから」
「「その人達は、アテナの汚点だから」」
震えた声では説得力がない。
寂しそうに歪んだ顔では何も為せまい。
嫌々振り上げた斧では何も斬れまい。
私はウォー・ハンマーの頭を下げ、流海はクロスボウの照準を合わせることをやめた。
「殺したくないんでしょ。なら殺さなくていいじゃん」
なんとも当たり前のことを流海は問う。私も同意見の言葉に純粋な双子は何を思ったのだろう。朝陽と夕陽は肩を震わせ、怒りと無力で瞳を濡らした。
「これは主の命だ」
「汚れは消すんだ」
「汚点はいらない」
「だって、ッ」
「だって‼」
「「アテナは清く、正しく、美しいからッ‼」」
そんな言葉は求めてないよ、愚かな子。
「そこに、君達の心がないじゃないか」
流海の言葉に双子の呼吸が止まる。
固まる二人はクレセントアックスを何度も握り直し、今だ、次こそと、踏み出せない足をじらしていた。
私は倒れる四人が見えるように身体を引く。流海も同じように後退し、片割れは続けるのだ。
「別に、僕も涙も嘉音達を救いたいとか思ってないよ。殺すなら殺せばいい」
「ですが、殺せば貴方達の人生は後悔で濡れますよ」
「本当は殺したくなかったのに」
「でも命令だったから、仕方がなかった」
「それでも」
「だって」
「「アテナの為にやったんだ?」」
流海と息を揃えれば、朝陽と夕陽は唇を噛む。
嘉音の背を追っていた子ども達。
殲滅団を信じていた双子。
朧のことを尊敬だってしていたのだろう。
螢や空牙は妹分、弟分だったのかもしれない。
そんな子達に、巨大な斧は重すぎる。
呼吸の浅くなった夕陽を見る。落ち着いた毛先の少年は血の気の引いた顔をする。私と流海が道を開いてあげたのに、武器を下ろしてあげたのに、彼の膝は震えている。
「夕陽」
腹部に力を込めて呼びかける。灰色の瞳は大きく震え、嘉音が噎せる音も聞いた。
「やらないと、夕陽」
「分かってる、分かってる、分かってるッ」
朝陽に対し、夕陽は何度も言葉を繰り返す。肩で息をする少年は、自分の呼吸が高く浅くなっていると気づいているのだろうか。
「待っても治っていなければ、殺しなさい」
「回復していないのなら処分しなさい」
「「染まっているなら、洗いなさい」」
双子は自分に言い聞かせるよう言葉を零す。灰色の目は嘉音を見て、朧に映り、螢と空牙を凝視した。薄く開いた空牙の目はアレスで見た時と変わらず、黒と白に染まったままだ。
「ぁ……」
夕陽の目の縁に滴が滲む。細かい震えが止まってしまう。
少年は、弱々しく斧の先端を床につけた。
朝陽は顔を歪めてクレセントアックスを振り上げる。片割れの分まで自分がやると言わんばかりの気迫だ。彼は大きく足を踏み出して、目指すは嘉音の首だろうか。
私も流海も止めはしない。だって私達には無関係だもの。その三日月で私達を狙うなら話は別だが、朧達だけを狙うなら構う必要はない。私と流海に必要なのはアテナの情報をくれる相手、私達の話を聞いてくれる殲滅団だ。
それが嘉音達だけだとは、思えないんだよな。
私の脳裏には、顔を強張らせた名も知らぬ殲滅団達が浮かんだ。
嘉音達は暴れない。誰もが体を脱力させて、起こる全てを受け入れる姿勢だ。嘉音の目から流れていた泪も止まり、黒白の目が私を見上げることもなかった。朧の首を折れないのは残念だな。弱った雛鳥にはもっと苦しんで欲しかったんだけど。
私は朝陽の動きに視線を向け、少年の唇から血が流れていると知った。
三日月の刃が鈍く輝く。
その刃は今までどれ程ヤマイの血を吸ってきたのか。骨を砕いてきたのか。肉を断ってきたのか。
その刃で、仲間を傷つけたことは何度あるのか。
下瞼から雫を零した朝陽は、渾身の一撃を叩き落とした。
砕けた床の破片が飛ぶ。
抉れる音が木霊する。
だが、鮮やかな血飛沫は飛んでこない。
朝陽のクレセントアックスは嘉音の前の床を砕き、震える少年は膝から崩れ落ちた。
「「哀れだなぁ」」
流海と気持ちが同調する。
自分で取った刃ではなく、与えられた武器の重さはどの程度なのでしょうね。
「なら、どうしろって言うんだよ……」
「どんな道があるって、言うのさ……」
双子の目から大粒の泪が零れる。動きをシンクロさせるように左胸を掻き毟る。その姿が少年達の感情を物語った。
「言ってるよ、殺さなくていいじゃんって」
「そんなの出来っこないよ」
「殺せって命令されたんだから」
「貴方達はどうしたいんですかって話ですよ」
流海は朝陽の横にしゃがみ込む。
私は夕陽の傍に歩み寄る。
泣いている少年との初対面は、君のあばらを折った時だったね。
初めて私がアテナで出会った白い双子。殺意を持って斧を振り、折っても折れない心は強かった。
駄目だね。どうやら私と関わる人はみんな弱くなるらしい。
弱って、萎れて、涙脆くなるらしい。
「貴方はどうしたいんですか?」
嗚咽を噛み締めた夕陽は泪の拭い方も知らないのだ。
「ぼ、くは……僕は、?」
知っているのは武器の使い方と、自分の本音くらいだろう。
「殲滅団でもなんでもなく、夕陽という個人は、どうしたいんですか?」
こんな聞かれ方をしたのは初めてかい。
自分の意見を求められたことはなかったかい。
震える少年の灰色は、一瞬だけ深い黒に染まっていた。
「ッ、殺したく、なぃ」
染まった黒が灰に戻り、白を纏って、また灰に。
私はペストマスクの下で目を伏せて、たった一言の本音を受け止めた。
「なら、それでいいじゃないですか」
呆れた子。自分の本音を知りながら武器を持っていたのだから。
汚い世界。こんな細い肩に命を乗せて。
夕陽は顔を覆って武器を落とし、その場に崩れ落ちていった。
「朝陽、君はどうしたいの?」
流海は夕陽の片割れに問いかける。
朝陽は両手でクレセントアックスに触れていた。床に刺さった武器は重々しいと言うより、毒々しい。朝陽がクレセントアックスを掴んでいるのではなく、少年が斧に繋がれているように見えるのだから。
「俺が、どうしたいなんて……」
朝陽は気弱く言い淀む。
命令を、任務を大事にしてきたから。これはこの子の責任ではない。そう教えてきた者の責任だ。
個を潰して他の為に。ならば名前も違う武器も与えなければよかったのに。
無責任な世界。中途半端な個性が本人達の首を絞めている。
流海の嘴がこちらを向いた。私は小さく頷きを返す。
私の可愛い片割れ君は朝陽の毛先を弾いていた。
「言わないと君は人形のままだよ」
片割れの言葉で、浮かんだのはアレ。地下の入り口にいたアレ。生物でも動物でもない、怪物。
アレはきっと人形だった。人の形になれなかった人形だった。
人の形を得て、名前を貰い、武器を与えられた朝陽も根底は変わらない。使われるだけの人形だ。
少年は幼い肩を揺らし、クレセントアックスを硬く握った。
「……助けたぃ」
俯いていた顔が上がる。嘉音達を見る朝陽は、壊れそうな声で喘いでいた。
「嘉音さん達のこと、助けたいよ」
言葉にすれば感情が強くなる。
声を震わせる少年は、流海の白装束に指をかけた。
私の袖も壊れそうな夕陽に引かれている。
「「なら、そうしてみなよ」」
流海は朝陽に触れない。
私も夕陽の手を握らない。
立ち上がった片割れ君は再び私を見るから、私の足は夕陽から離れた。
「どんな方法で救うんでしょうか」
「どんな道があるんだろうね」
願望を望む為の道を、君達は自分で決められるのだろうか。今まで宙ぶらりんの個になっていた君達は、選び続ける負荷に耐えられるのだろうか。
私と流海の白装束が今度は強く掴まれる。
見れば、顔形の瓜二つな双子が立ち上がっていた。
「ヤマイの裾を掴むなんて、汚れますよ」
伝えようとも手が離れない。武器を手放してしまった双子は何も持っていないから。
灰色の瞳が黒く歪んで、白く光る。
私は夕陽の目を凝視し、流海は朝陽の姿勢を観察した。
「よごれても、いいよ」
「いま俺達が掴めるのは、」
「「ヤマイだけだから」」
じわりと滲んだ黒を見る。双子は揃って、無意識のように喉を引っ搔いた。
「嘉音さん達をここから逃がしたい」
「だから、手を貸して」
「「お願い」」
あぁ、その言葉を待ってたよ。
殲滅団からの言葉を狙っていたよ。
意地悪な私は口角を上げる。
ペストマスクに隠した顔を歪める。
「「なら取引だ」」
流海と声を揃え、純粋な双子の手首を掴んでみせる。
朝陽と夕陽の目には白がちらつき、私も流海もペストマスクを近づけた。
「手を貸してあげましょう」
「手伝ってあげるよ」
「「その代わり、情報を貰うよ」」
いつかのように、途中辞めになっていた会話の続き。
双子の顔が強張って、思い出すのは水晶の林。
掻き乱して、囁いて、悪魔の証明を突き付けて。
さぁ、汚れる覚悟を持て、無垢な双子。
それは私達の夢の糧になる。
「本部について問わせてもらいます」
「アテナや君達について教えてもらうよ」
「代わりに私達は手を貸してあげますから」
「母親や双子についても教えてあげるから」
「「さぁ、気になる話の続きをしよう」」
揺れた双子の視線が止まる。
私も流海も君達を離さない。
唇を噛んだ双子は、確かに首を縦に振った。
さぁ、互いを踏み台にしようじゃないか。
***
次話は月曜日に投稿予定です。




