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102. 疲

 

「それでは皆様、迎えの車を向かわせておりますので、もう少しだけお待ちくださいね」


「ありがとうございます、小梅さん」


 桜と朝凪のスピーカーによる電話を聞き、全身から力が抜ける。私達は、疲れきった状態でパナケイアで待機することとなった。職員達も私達をどうこうするよりも避難を優先し始めたらしく、柘榴先生の研究室に隠れていれば切り抜けられる状況となったのだ。出来るならば今すぐパナケイアを出たいところだが、職員を相手にする体力が私達には残っていない為、朝凪が駄目もとで桜に連絡し、一つ返事で助っ人を送ってくれる返事が来た。恐るべき桜。


 静かな研究室の中、今の状況で、嘉音達について話し合える状況ではなかった。


 なんでだ、とか、どうして、という疑問は多く残った。しかし、あいつらの状況を語れるような気力は既に私達にない。


 私は流海と肩を寄せあって目を閉じる。誰の顔も見てしまわないように。固く手を繋いだ流海からは深い呼吸が時折聞こえ、疲労が溜まっているとわかった。


 かく言う私も、自分で体勢を維持できるかどうかさえも怪しい状況。流海の肩に頭を乗せて、ここがパナケイアでなければ即座に眠るような体をしている。


 疲れ切ったまま目を閉じていれば、夢を見てしまう気がした。だから薄く瞼を上げて部屋を見れば、肩を寄せあった朝凪と竜胆、伊吹の膝に頭を預けた小夜の姿が見えた。


「……無茶するなよ、小夜」


「……だって」


「だっても何もねぇ」


「叱らないであげてください、伊吹」


 ぼんやりと瞼を上げて、伊吹に言葉をかける。そうすれば、兄は眉間に皺でも刻んだのではなかろうか。想像する私は、体勢を整えるために流海の腕に手を回した。


「小夜が来てくれなければ、私も流海も満足に戦えませんでした」


「すごく助かったよ、小夜ちゃん」


「私、役に立てましたか?」


「「とっても」」


 流海と声を揃えて少女を肯定する。誰かの役に立ちたいのだと叫んだ少女を受け入れる。そうすれば小夜がはにかんだ気がした。気のせいだろうな、私はそんな顔見られないし。


 小夜が走ってくれなければ、私は嘉音のペストを砕くことはできなかったし、朧の銃に対応することだって出来なかった。


 だからありがとう、小夜。


 私は気持ちをこめて目を開ける。そうすれば、兄の膝からこちらに顔を向ける小夜がいた。彼女は少し乾いた包帯を煩わしそうに搔いていたので、私は自分の鞄に触れる。……うん。


「小夜、よければ包帯を変えましょうか」


「いいんですか?」


「いいんですよ。私は包帯乱用機ですから」


「るーい、」


 流海がふてた様に私の首に額を寄せる。皇からの不名誉な呼び名を片割れに愚痴っていたのだが、それに反応したらしい。皮肉だよ。


 不思議そうに顔を傾けた小夜の元へ、流海と一緒に近寄っていく。流海は背後から私の体に腕を回し、所謂バックハグである。可愛い満点。疲れたね、片割れ君。その鎖は桜の家で壊せるかな。壊そうね。


 小夜が上体を起こし、私に背を向ける。流海、私、小夜の順に、みんな揃って伊吹の方を向くというのはなかなか面白い。伊吹は居心地悪そうに視線を明後日の方へ向け、小夜は包帯を緩めていった。


 湿った包帯を小夜が巻きとり、私は小夜の目に後ろから包帯を被せるようにする。小夜が包帯を押さえようとした手が私の指に触れて、少女は驚いたようだ。


「ごめんなさい」


「いいえ、こちらこそ。汚れているでしょう」


 小夜の顔から後頭部へ包帯を回す。そこで見た自分の手は赤黒く変色した場所がいくつかあり、それはすべて返り血なのだと嫌でも思い知った。


 パナケイアの職員を殴った血。

 抑制部署員を殴った血。

 ……猫先生を抱きしめた血。


 綺麗にメリケンサックの部分だけ血がついていない。武器をつけていた部分は殴りすぎによって若干うっ血しているが、これといって支障はなかった。指を動かすと少し痺れるような程度だ。


 小夜の顔にもう一度包帯を回し、緩さなどを確認する。今更ながら思ったが、これは私が包帯を渡して小夜が巻けばよかったのではなかろうか。小夜が背中を向けたからというのもあるが、早とちりが過ぎたな。力加減が分からない。


「小夜、平気ですか?」


「はい。涙さんの手は、いつも優しいですね」


 小夜が楽しそうに包帯を触っている。私の手が優しいという意味が分からないのだが、深く追求していいかも分からなかった。


「涙はいつだって優しいから」


「ですね、ですねぇ」


 私を挟んだ流海と小夜が意見を一致させる。当の私からすれば疑問符しかない会話だ。何を言っているんだこの子達は。


「優しいというのは朝凪や竜胆のことを言うんですよ」


「いばらさんと永愛さんも優しいです。涙さんから見てお兄ちゃんはどうでしょう?」


「お兄さんはお節介に分類される優しさですね」


「だって、お兄ちゃん」


「そーかよ」


 伊吹がぶっきらぼうな返事をする。私の腰では流海が腕に力を込めたので、私は少しだけ後ろに体重をかけた。流海は黙って目を閉じている。それを知る私は小夜の包帯を巻き終えて、少女は満足そうな空気で振り返ってくれた。


「ありがとうございます、涙さん」


「ウォー・ハンマーとクロスボウのお礼です」


「その後たくさん守ってもらったのに。特に流海さんには」


「気にしないで。流石に放っておけなかっただけだから」


「はぁい」


 小夜が明るい声色で私に抱き着き、私と流海の手に触れる。私達は同時に考えて、小さな小夜を邪険にすることはなかった。


 流海と私は小夜をあやすように手を繋ぎ、灰色の少女は私の鎖骨に額を寄せる。私は前から小夜、後ろから流海に抱き着かれて人間サンドイッチ状態だ。幸せかよ。


 この程度で幸せなどと言うのかと思われるかもしれないが、私にとっては些細なことが幸せにできている。誰かが傍にいてくれる、流海が怪我をしていない、片割れ君と一緒にいられる、手を繋げる。それが私の幸せだ。誰にも否定させないし、笑わせない。


 私は小夜と流海が手を繋ぐという稀な光景を横目に、驚いている伊吹を確認した。


「鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してますよ」


「……涙はともかく、流海が自主的に涙以外に触るって、そんな機会あるのかよ」


「僕のことなんだと思ってるの?」


「涙依存症」


「それは否定しないけど、僕だって年下の女の子を無下にはしないよ」


「年下でよかったぁ」


「そっかそっか」


 驚く伊吹をよそに、私の前後では穏やかな会話が為されている。流海が涙依存症を否定しないのもプラスポイントで穏やかだ。私も流海依存症って名乗ろうかな。


 思った時、なんとなく朝凪と竜胆の方に視線が向かう。二人は目を瞑って少しでも疲れを取ろうとしているようで、手には力なく武器が握られていた。


 ……最近依存から抜けそうになってたなんて、自分では気づけないよな。


 意識せずして依存から抜け出すなんて不可能だと思ったのに、新しい依存に近いなにかが染みとして滲んでしまえば、なんて。


 私は口を結んで小夜の頭を撫で、鞄の蓋が開いてしまわないように気を配った。


 理性決壊薬と、アレスの空気解毒薬。


 ……柘榴先生は無事に病院に着いたかな。皇は二人をきちんと運んでくれたかな。連絡手段がないので確認できないのだけれども。


 治そうね、柘榴先生。治ろうね、猫先生。


 治って四人がまた揃った時、薬を柘榴先生に渡すんだ。渡して、先生が見つけた兆しの糧にしてもらうんだ。


 パナケイアがどうとか、アテナがどうとか、私には大きすぎて考えたくもないんだけど。きっと研究していけば知ることになる。このまま嘉音達と関わり続ければ、私達は辿り着くはずではなかった場所に辿り着いてしまう。そう思った。


 今歩いている道は、流海を治したいっていう私の正義は、色々な道と交差してる。もしくはこの道が色んな道を巻き込んで、大きく大きくなっているのかもしれない。


 私は静かに息を吐き、嘉音の黒い目を思い出す。血を吐いて苦しんでいたくせに、アイツも朧も死ななかった。立ち続けて、言葉を発したんだ。


 隣に置いたウォー・ハンマー。それは鳥頭を砕くために選んだ武器。今まで、アイツの頭を砕くために多くのものを砕いてきたのに。やっとたどり着いた仮面は砕いても意味がないだなんて。


 なんて皮肉で、なんて滑稽なのだろう。


 あぁ、どうしてさ、どうしてだよ。なんで、なんで、あぁなんでッ


 ……苛立ったって答えはない。いつもいつも、一番肝心なことは喋らずに鳥頭達は去るのだから。


 殺したい気持ちも揺らいで、正義も揺らしで、自己の正義感が芽生えてしまって。


 愚かだな、愚かだよな。お前達も、私もさ。


 私は小夜の頭で手を止めて、静かに静かに目を伏せた。


 それから実験室には雨音だけが響いた。空気を揺らし、葉を揺らし、大地に打ち付ける雨すらもアレスは汚れているのだろうなと思ってしまう。


 雨がすべて洗い流してくれたらいいのに、なんて、こんな汚れて雨では何も流せない。


 私は小夜と流海の心音や体温を感じながら、桜が送ってくれた誰かを待った。おそらく、というか十中八九、桜がよこす迎えなんて人物は一人しか思いつかないんだけど。


 私は朝凪を少しだけ横目に見て、言葉なんて浮かばなかった。


 それからどれほど待ったか。


 不意に遠くから微かな爆発音が聞こえた気がして、私は瞼を上げた。伊吹達は気づかなかったようだが、私と流海だけは聞こえてしまった音だ。


「流海」


「……たぶん火かな。崩落とかじゃない」


 声を潜めた流海に頷き、小夜の頭を何の気なしに撫でる。少女は眠たそうに顔を上げ、私は近づいて来る足音も拾った。


 研究室の出入り口を見る。その足音は小走りであり、息を潜めて室内に舞い込んだ。


「……お前ら生きてるか?」


 息をついてやって来たのは、銀髪に青い目を持つ男。桜の付き人、身体年齢十九歳の柊は全身白い衣装を纏っている。


 それは実働部隊ワイルドハントの衣装に似ているが、フードがついているところが違った。白いフードを目深に被った柊は、私達を確認して嘆息する。


「全員動けるか?」


「動けますよ」


「動けるよ」


「一番血だらけの奴らが即答するな」


 横暴だ。


 私は流海とプラセボの入った袋を持ち上げ、散漫な動きで顔を上げた伊吹達を確認する。全員今にも意識を飛ばしそうな、半分夢現のような表情だが、どうにかこうにか動けそうだ。踏ん張りどころかな。


「行くぞ。まだ周囲には職員もいるし、警察もき始めている。裏から外へ行くぞ」


「はい……」


「警察かぁ……」


 朝凪と竜胆はよろつきながら立ち上がり、柊はフードを被りなおす。廊下を確認した男は足音もなく歩き始め、その速度は競歩に近かった。他人を思いやる気持ちはないのだろうか。そんな悠長なことを言っていられない場面なのか。


 諸々の言葉も気持ちも飲み込んだ私達は、足に鞭打って柊に続く。


 男は窓の外を時折確認し、本当に人気のない通路を選んで下まで降りた。かと思えば裏の非常口に向かう手前で止まり、扉付近に立っている抑制部署員にサイレンサー付きの銃を向けるではないか。なんの躊躇もなく。


「柊」


「安心しろ、気づかれる前に撃つ」


 へぇ……。


 私は何も言わず、柊は相手に照準を合わせている。自分が暴力に麻痺していると自覚したのは、この時が初めてだった。


 柊が一息で引き金を引けば、抑制部署員の膝が的確に打ち抜かれる。苦悶の表情を浮かべて倒れかけた奴らの顔に、柊はボーラで追随した。


 鉄球は相手のこめかみにクリーンヒットし、重たい音を立てて二人は倒れる。その間に建物が少し揺れ、外からは消防車のサイレンまで聞こえ始めた。


「……柊君、何したの?」


「俺達が通った道とは反対の棟に火をつけてきた」


 あぁ、お前だったのか、さっきの音。


 流海と目も合わせずに納得し合う。柊はさも当たり前と言った口ぶりで、倒れた抑制部署員の横を歩いていた。


「一点の惨事に周りが目を向けている間に、俺達は進むぞ」


 何となく、そこで思う。男の声色は伊吹の家にいた時とは少し違う気がする、と。


 私はその点を指摘せず、柊の後に朝凪達と続く。柊に続いて雨に打たれれば、確かに反対側の棟で火の手が上がっていた。……放火犯、とは言わないでおこう。


「何してる、さっさと来い」


 柊に呼ばれて、白いワンボックスに全員でなだれ込む。誰が運転するのかと思えば柊がそこに座ったので、私達の頭には疑問符が飛散した。伊吹が若干上擦った声で確認する。


「おい、葉介なにやってる」


「ヤマイのおかげでそれらしい免許は取れている。安心しろ」


 こいつの安心しろの基準おかしくねぇか?


 免許とか法律とか、色々な言葉が頭を回ったが、実年齢より上の見た目をした柊が運転席に座れば()()()姿になったので、誰もそれ以上追及などしなかった。もうここまで来たのだ。どうにでもなれの精神である。ただただ疲れて、ただただ眠い感情が自棄にさせているのかもしれない。


 柊の運転は驚くほど安全運転で、いまパナケイアから出てきましたという焦りが全く滲んでいない。それがきっと桜の傍に居続けられる資質なのだろうと思いつつ、私は流海と肩を寄せた。


「寝てていいぞ、少し迂回してお嬢のご自宅に向かう」


「……では、お言葉に甘えます」


「あぁ」


 柊の了承を得た瞬間、小夜の方から寝息が聞こえ始める。それは朝凪、竜胆、伊吹にも伝染し、私と流海も移ってきた。


 微睡みが瞼を重くする。


 話さなければいけないこと、考えなければいけないこと、それは沢山あるはずなのに。


 今は……今だけは全部忘れて眠ろうって、思ったんだ。



少しだけ、おやすみ。


***

次話は日曜日に投稿予定です。


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