表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
101/152

101. 躇

 

 喉が締まるような音を聞く。


 顔を押さえた嘉音が後ずさる。


 ペストマスクの破片を踏んだ私は、自分が見ている光景が信じられなかった。


「嘉音さん!」


「空気がッ」


 螢と空牙が走りかけ、その先を朝凪と竜胆が遮る。黒い二人は戸惑ったように武器を構え、朧は嘉音を見つめていた。


「嘉音」


 朧の声に心配はない。ただ相手の状況を確認するような、不思議な声色。まるで、()()()()()()()()()ような、そんな声。


 私には嘉音の黒い瞳が焼き付いており、次の一手を振り被ることが出来なかった。


 これは、きっと、おかしなこと。


 純粋に、無垢に育てられた戦士にとって、受け止めがたいこと。


 私達にとっても、理解が追い付かないこと。


 流海の為に口角を上げている私は、嘉音に向かってウォー・ハンマーの頭を向けた。


「嘉音、貴方は一体ッ」


「言わないでよ、涙」


 掠れた声が私を止める。倒れない殲滅団(ニケ)が動きを見せる。


 顔から手を下ろした嘉音の左目は、やはり黒く染まっていた。


 いつも私を見ていた灰色ではない。曖昧なあの色ではない。


「あ゛あ゛、あ゛ーッ、苦しいッ!!」


 嘉音はアルアミラを掻き毟り、ペストマスクの亀裂に指をかける。私は男の奇行を見つめ、螢はマスクの口元を押さえていた。空牙は少女を背に隠し、朝凪と竜胆も嘉音の動向を見つめている。


 流海は変わらずクロスボウを構え、嘉音は血の滴る両手でペストマスクを掻き乱した。


 肩で大きな息をして、背中を深く上下させて。


 嘉音は――ペストマスクを取ったのだ。


 アルアミラと共に、つば広帽と共に、殲滅団(ニケ)の顔が露わになる。


 黒い短髪を揺らして、黒く染まった左目と、真っ白に染まった右目を見開いて。


 リングダガーを落とした嘉音は、血のついた手で顔を覆っていた。


「あ、あ、くそ、くそ、くそ、クソッ!!」


 嘉音のがなり声が廊下に木霊する。深く噎せこんだ相手は、両手の隙間から重たい血反吐を吐きだした。


 何度も何度も咳き込んで、色の変わった瞳を激しく揺らし、それでも嘉音は膝を折らない。


 窓に背中を当てて、嘉音は激しく咳き込んでいる。白い廊下には血が広がり、私は咄嗟にリングダガーを拾った。


「涙、あいつ、」


「……」


 伊吹に対して何も返せない。流海がいつ私を見てもいいように笑みを浮かべてはいるが、頭は嘉音のことで一杯だ。


「あ゛ーーーーーッ、涙!!」


 口元を拭った嘉音が、顔を上げる。


 色の変わった両目で、血の跡が残った口元を雑に触って。男はピアスの穴がある耳を髪に隠し、苛立たし気にそこにいた。


 それ以上苦しむことも、倒れることも、吐血することもなく。


 黒と白の目に微かな灰色を浮かべた嘉音は、直ぐにその色が消えた事にも気づかないのだろう。


「戦え」


 嘉音は左胸を掻き毟る。


「俺と戦え」


 掻いた喉には赤い線が浮かぶ。


「俺を裏切り者にした君の、俺の頭と感性を掻き乱してくる君の最期を、俺にッ」


「嘉音さん!!」


 口の端から血を流した嘉音。その気迫に戦闘態勢を取れば、劈くような螢の声がした。


 喉を押さえる少女は肩を震わせ、ペストマスクの縁に指をかけた。


「螢ッ」


「だって、だって、空牙ぁ……」


 空牙が螢の腕を掴む。少女は今にも泣きそうな声で仲間を見上げ、私達の気が逸れてしまった。


 だから、今までとは違う発砲音に対応が遅れたんだ。


「流海さん!」


「小夜ちゃん止まってて!!」


 白い網が視界の端で広がり、片割れを捕まえる。流海が突き飛ばした小夜は両手を前に出したが、片割れの声に怯んでしまったようだ。


 流海を捕まえたのは朧だ。昼間に私を捕まえた網目は流海に絡まり、雑に片割れを引き寄せる。


「流海ッ!!」


 私は勢いよく流海の元へ駆け出し、朧本人への対応が後手に回った。


 ガラ空きの背中を取られる。後頭部を掴まれた私は、額から床に叩きつけられた。朧は私の背中に膝を置き、勢いよく流海を引き寄せる。


「「離せ、ッ朧!!」」


「ぜんぶ、お前達のせいだ」


 朧に私達の言葉が届かない。私の頭には銃口が向き、目の前には掴まった流海の顔が近づいた。


 あぁ、笑え、私。


 笑って流海の目を見る。歯を食いしばっている片割れは手を伸ばすから、私も腕を伸ばした。


 指と指を絡めて、片割れと手を繋ぐ。


 私の後頭部では銃のハンマーが引かれる音がし、伊吹達が動く気配もした。


「動くな」


 一瞬で、その場の空気が凍る。


 地を這う朧の声が周囲を圧迫し、動けば私の引き金が引かれると示してくる。


 私は強く流海の手を握り、片割れが顔を上げた音を聞いた。


「涙を先に撃つなんて許さないよ、朧」


「流海、」


「僕を先に撃てばいい。それすら聞かないなら、僕らを同時に殺せ」


 流海の目が、言っている。お前にそれが出来るならば、と。


 私は流海の手を握り締めて、伊吹達の上擦った心配の声は受け止めきれなかった。


 朧の銃が揺れる。


 あぁ、こいつ……撃てないんだ。


 分かって、視線で朧を射抜けば、殲滅団(ニケ)は声を荒らげていた。


「また、また、お前達はそうだ。いつだって、どんな場面だって、自分の命を乞わないんだからッ」


 朧の手から銃が落ちる。ペストマスクを覆って天を仰いだ男は、息苦しそうに仮面を掻き続けた。


「お前達にさえ出会わなければ、俺は、俺達は、染まらなかったのに、変わらなかったのに!」


「朧、」


「俺があの時、流海を殺すことを迷わなければ、置いて去ろうとしなければ、嘉音と涙は出会わなかったかもしれない。そうすれば俺達は裏切り者にならなかった。アテナを、殲滅団(ニケ)を、裏切ることなどなかったのに!!」


 朧が流海を捕まえたネットガンを床に叩きつける。背中を曲げて床に蹲った男は、ペストマスクを両手で覆ったままだった。


 まるで、懇願するように、懺悔するように、男は額を床につけている。


 私は流海と手を繋いだまま揃って上体を起こし、朧との間には伊吹が入って来た。


 トンファーを構える男は、朧の動きを凝視している。


「ここには、裏切り者しかいないってば」


 嘉音が歩み寄ってくる。オッドアイになっている男は時折喉を鳴らす呼吸をしているが、やはり倒れることも……死ぬことも、なかったんだ。


 それは、有り得ないこと。有り得てはいけないこと。


 混ざり合わない筈の世界で、綺麗な者が汚れた空気を吸って、生きているなんて。


 私は流海の手を握り締めて、嘉音から目を逸らすことは出来なかった。


 何度も咳き込み、覚束無い足取りの嘉音が口を開く。


「ヤマイも正しいかもしれないって思った殲滅団(ニケ)


 螢の肩が揺れる。それを見た朝凪は目を見開いており、鉤爪を抱いた少女は喉元を掻き続けていた。


「自分の可能性を知りたくなった殲滅団(ニケ)


 空牙は指から暗器を外す。竜胆はサーベルを下ろし、空牙は螢の前に立ち続けるだけであった。


「葛藤なんて感情を覚えて、アテナの信条を遂行できなくなった殲滅団(ニケ)


 朧は静かに顔を上げる。男は今にもペストマスクも、アルアミラも、つば広帽も外してしまいそうだ。


「……たった一人のヤマイを殺したくて、輪を乱し始めた殲滅団(ニケ)


 顔色の悪い嘉音が咳き込んだ。男は口元をもう一度拭い、朧からペストマスクが落とされる音がした。


 軽い音と一緒に、端正な顔立ちが露わになる。アルアミラを剥げば黒い髪が顔を隠し、いつかの日のようにつば広帽子が落ちていく。


 朧の左目は黒くなり、右目は無垢な白に染っていた。


 私達の息が詰まる。伊吹のトンファーが大きく揺れる。


 ペストマスクを外す音は、螢からも、空牙からも聞こえてきた。


 動けない朝凪と竜胆は、初めて殲滅団(ニケ)と素顔で対峙する。血の気の失せた顔をしている螢も空牙も、自分達よりずっと幼い顔立ちをしていた。


 黒い髪を一つに結い、大きな両目を揺らす螢。


 吊った目元をしかめて、何度も深く咳き込む空牙。


 私は、両目の色を違えた殲滅団(ニケ)を見た。


 皆が皆、片目を黒くし、片目を白くして。


 噎せこんで、咳き込んで、吐血して。呻いて吐いて冷や汗をかいて。


 それでも、誰もが倒れることをしなかった。誰も、呼吸を止めることを、しなかった。


「そんな……」


「なんで、君達……」


 朝凪と竜胆が明らかに狼狽え、私は伊吹の背中を叩く。灰色の少年は気づいたように振り返り、私は小夜に視線を向けた。


「私達は平気です、伊吹は小夜を」


「あ、あぁ、助かる」


 伊吹は殲滅団(ニケ)の行動に理解が追いついていない様子だ。もちろん私だって追いついていないし、流海だって理解できていない。


 朧達は武器を向けないと伊吹は確認し、小夜の元へ駆け出した。


「小夜!」


「お兄ちゃん……ごめ、ごめんなさぃ」


「いい、いいから」


 兄妹が互いを守るように抱きしめ合う。私は二人の姿を確認し、嘉音は痰が絡んだ声を出した。


「……息苦しいなぁ」


 嘉音が私を見下ろしている。立ち上がった朧は眉間に皺を深く刻み、泪を堪えているような表情をした。


「アレスは、息苦しい」


 嘉音は私の前にしゃがみ、網から抜けた流海が間に入り込む。私は片割れの肩を掴み、相手の顔を見られなくなった流海を想った。


「流海」


「大丈夫、見ない……見てないよ」


 歯痒そうな流海は鎖を揺らす。嘉音は流海の首に残った鎖を引き、顔を上げさせた。


 私は思わず嘉音の手首を流海と一緒に掴み、片割れは目を閉じる。自分に無表情は向いていないと、周りは全て笑っているのだと言い聞かせて。


 私は流海の肩を抱き、真顔の嘉音を見つめていた。


 それは、初めての邂逅。ペストマスクをせず、互いの顔を初めて認識した瞬間。正しく初めての顔合わせ。


 流海の鎖が離される。しかしそれは直ぐに朧に掴まれ、目を閉じたままの流海は朧に引き寄せられた。このッ


「流海に近づくな、朧」


「平気だよ、涙……大丈夫」


「……殺せるのに、この距離で」


 呟く朧は銃を拾わない。青刃のナイフを握っても、力なく床に触れるのだ。


 私の手首は前触れなく嘉音に引かれる。私は黒と白の目を見つめて、相手は緩く首を傾けていた。


 顔が近づき、嘉音の黒い髪が頬に触れる。血の香りを纏った男は、不思議そうに瞬きをしていた。


 唸るような流海の声がする。


「涙に近づくな」


「平気だよ、流海、ありがとう」


「涙の顔、ちゃんと見たのは初めてだ」


 嘉音の顔がより近づいてくる。鼻先が触れ合う距離にきた男は、手袋を外して私の頬に触れた。


「……死なないんですね」


「死なないみたいだよ」


「あぁ……私はお前達の仮面を砕くことを夢見ていたのに。苦しむ姿を望んでいたのに」


「砕いても死ななくなったのは、涙のせいだ」


「勝手に染まったのはそちらの癖に」


「勝手に染めたのはそっちだろ」


 目を閉じた嘉音が額を合わせてくる。その感情が分からなくて、私は動くことをしなかった。


「嘉音、貴方は今、何がしたいんですか」


 問いに、嘉音は即答しない。相手の言動を予想できない私は、目の前にいる殲滅団(ニケ)達が何処へ向かうのか、何処へ行きたいのかも分からなかった。


 ――俺に君を恨む機会を頂戴


 そう言っていた癖に。


 ――俺は今、楽しいよ


 感情を知ってしまって。


 ――またね


 なんて、ヤマイに感情を入れ過ぎたから。


 貴方も染まってしまった。自分は正しい道を歩んでいると思いながら、その実、貴方は規律に反して染まっていたんだ。


 最初は朧を怪しいと思って、私に話しかけてきたのに。ミイラ取りがミイラになってしまったな。そんな嘉音を、私は笑えないのだが。


 ――最低なヤマイになってよ


 最低なヤマイになったよ、嘉音。私はお前が望んだ通り、最低になったんだ。


 その最低の姿にお前が何を感じたのか、私には知る由もない。予測不能な感情は、予期せぬ変化を生んで、お前の正義は崩された。


「俺は、涙を殺したかったんだ」


 嘉音の声がする。私に取引を持ち出した時と同様に、酷く落ち着いた声色で。


「殺した先で、どうするんですか」


「殺せば、俺はまた元の殲滅団(ニケ)に戻ると思ったのに。一人のヤマイともっと戦えるなんて思わない、ヤマイとの戦いを楽しいだなんて思わない、涙に出会う前の俺に、戻れると思ったのに」


 嘉音が私の手からリングダガーを取り、腹部に当ててくる。その切っ先に力はなく、私は黙って嘉音の動向を観察した。


 嘉音はリングダガーに力を込めることも進めることもなく、静かに下ろす。


「涙の最期が欲しいのに、それを貰ったら、俺はどうなってしまうんだろう」


 嘉音と私の間に血溜まりが出来ていく。互いの血が流れて、垂れて、混ざり合う。それはどちらも、同じ赤色をしていた。


 肺の奥から噎せた嘉音は、口の端から血玉を吐いた。


「最期を貰ったら、涙はいなくなるんだよね」


「そうですね」


「いなくなる、いなくなる、そうだよなぁ……」


 額を離した嘉音と目が合う。男は黙って私を見つめたかと思うと、初めて目を伏せるという行為をした。


「それは……つまんないなぁ」


 立ち上がった嘉音は無表情で私を見下ろし、両手でリングダガーを握った。私は男の前に立ち、久しぶりに鼓膜が雨の音を拾う。


「涙と関わった事が俺の間違いだった」


「今更気づいたって、過去は戻りませんよ。貴方は私の踏み台になった」


「……あぁ、最低だな、最低なヤマイだよ、君は」


 心臓が一瞬だけ強く脈打つ。嘉音は周囲に視線を向け、再び目を伏せるのだ。


 朧が流海の鎖を離し、私は片割れの手を掴む。流海は私の手を握ってくれたから、私は思わず笑ってしまった。


 銃を仕舞った朧の元に螢と空牙が駆け寄っていく。黒い髪を結った少女と少年は、互い違いの瞳で私達を見た。


 顔を歪めた螢は私から朝凪へ視線を向け、泣き出しそうな表情を浮かべていた。


「……すみません、朧さん、嘉音さん。私には、この人達を……殺せません」


「貴方……」


 思わずと言った様子で、朝凪が一歩を踏み出す。顔を上げた螢は、疲れきった顔にペストマスクをつけ直していた。


 朧は一度ペストマスクを胸に当てて、付け直す。


 深く噎せた空牙も仮面をつけ、両手に暗器をはめた。


「お前達以外のヤマイなら、殺せる気がする。そうすれば俺達は、元に戻れるのかな。……俺は何かに、なれんのかな」


 それは独り言のような問いかけ。空牙の嘴は竜胆へ向かい、直ぐに螢と共に窓の外へ飛び出した。


 あぁ、待て、待てよ、まだ私は、お前達に聞きたいことを聞いていない。


 割れたマスクを装着した嘉音は、黒い上着を翻した。


「待ちなさい、嘉音」


 私の手が嘉音の袖を掴む。黒いペストマスクはこちらを微かに振り返り、私は痛む手を無視していた。


「どうやって貴方達は、アレスで呼吸をしていたんですか。何か方法が? それが分かれば、流海を、流海を治せるかもしれないのに!!」


「……そんなの俺達だって知らないよ。ただアテナもアレスも息苦しくて、どちらでも苦しい呼吸しか出来なくなっただけなんだから」


 そう言って、私の手を振り切った嘉音と朧が窓から飛び降りていく。諦めたように、脱力するように。


 夜の闇に溶ける黒達は、最後の言葉を残していった。


「たくさん戦おう、涙。いつでも、いつまでも。俺もきちんと心を作って来るから」


「嘉音ッ!!」


 雨の中に黒が消える。私はその姿を見失い、暫くの後に誰かの悲鳴を聞いた。


 それがヤマイかヘルスの悲鳴からも分からない。誰かも分からない悲鳴に心を痛めることはなく、私はその場に崩れ落ちた。


 誰かも分からないため息が聞こえる。


 私は流海と手を固く繋ぎ、振り込む雨に指先を冷たくした。


羨んだ時、欲した時、それは確かな汚さになる。


***

次話は水曜日に投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ