34話:夢幻のダンジョン6
「う……」
視界がぐにゃりとしたあとに目を開けば、暗い岩肌が見える。洞窟の中だろう。
俺は仰向けに倒れていて、じっとりとした嫌な汗が身体にまとわりつき、喉はカラカラだ。額の汗を拭おうと右手を顔の前に持ってくると篭手が見えて、悪夢は終わったのだと気づく。
悪夢だと理解しても、気持ちの悪さが抜けずに陰鬱な気分になる。
最後に耳にした友人の声が耳から離れない。
そう、この世界なら誰も死なない。辛い別れをすることはない。
元の世界に戻りたいという意志が少し揺らぐ。
すぐに動きたくないくらいに精神的ダメージが大きかったが、左腕のあたりに温かい感触を感じて身体を起こして見てみると、俺と同じように倒れているセーレの頭が見える。子どもの姿ではなく元の大人の姿だ。
呼びかけようとしたところで、セーレが悲鳴を上げて飛び起きる。
「も、もう嫌……なんで、こんな……」
「セーレ」
「今度は、何……」
俺と同じように悪い夢を見せられたのだろうか、セーレはひどく混乱している様子だ。俺から逃げるように後退って、背後の壁に背をつけて、これ以上後退できないことに焦っている。
「いや、もう夢じゃないから」
「も……やめてください。私……」
「セーレ、落ち着いて」
俺の声が聞こえていないのか、セーレは目を瞑って両手で耳を塞ぐ。
「セーレ、セーレ! ……ユウさん!」
少し迷ったがセーレを抱き寄せて、背中をさする。
「もう終わったから、大丈夫だから」
抱き寄せた時にセーレは小さく悲鳴を上げて抵抗したが、少ししてから俺に気付いた様子で、セーレは耳を塞いでいた手をゆるゆると下ろす。
「え……あ……。レオさん……?」
「うん。そう、レオンハルト」
「あ、ああ……。身体……元に……?」
「うん。元に戻ってる」
セーレを抱きしめていた腕を離して顔を見れば、セーレが俺の視線から逃れるようにして俯く。その表情は、泣きだす寸前のような弱り切ったもので痛々しい。人に見せたくない姿だっただろう。
「そう、です……か」
「大丈夫……じゃないよな」
表情もだが、セーレの呼吸は不自然に乱れていて、苦しそうに胸元を抑えている。
「すみませ……嫌な夢見て……混乱、して……」
「……うん」
セーレの様子を見るに、盛大に過去のトラウマを浴びせられたのだろう。あの部屋での子どものセーレの様子を思い出してみても、どの程度のトラウマなのかは察するに余りある。
セーレが落ち着くのを待とうと傍らで見守っていたものの、しばらく経ってもセーレの呼吸が整わない。
「セ、セーレ?」
変わらず苦しそうにしていて、明らかに様子がおかしい。
「ごめ……なさ……」
セーレはふらふらと地面に膝をつく。
「お、おい、どうした?」
俺も屈んで、ひとまずセーレの背中をさすってみるが、改善しない。
毒の時と似ているような気もするが、HPは減っていない。
困惑しつつもセーレの様子を見ていると、セーレが弱々しく掠れた声で呟く。
「は……、吐きそ……」
「あ、ああ。これ」
慌ててハンカチを取り出し、セーレの口元にあてて、空いている手でセーレの背中をさすると小さく呻き声が聞こえてくる。
「……っ」
セーレは何度か嘔吐をするが、吐き出すものがないのかハンカチは少し唾液が染みる程度だ。
その間にも、苦しそうな呼吸の音が混じって、その様子を見ているとどんどん不安が増してくる。俺が焦ってもどうしようもないのだが、どうしたらいいかわからずに焦る。死ぬことはないとわかっていても、苦しそうな姿は見ていて辛いものがある。
「セーレ。もう、大丈夫だから」
恐らく、強いストレスによる症状だろうと予想して、呼びかけつつセーレの背中を撫でる。
しばらくそうしていると、やがて吐き気は収まったのか、セーレがハンカチから口を離す。多少呼吸も落ち着いたようだが、まだ少し苦しそうな様子で指先は痙攣している。
「……すみません」
「無理しないで。……少し横になった方がいい」
毛布を取り出して促す。
「モカさんたち……探しにいかないと……」
「いいから休んで」
「でも……」
「だめ。とても移動できるように見えない。それに、そんな状態で二人に顔見せられる?」
俺の言葉にセーレは黙ると、のろのろと毛布の上に移動してきた。
モカたちも気になるが、さすがにこの状態のセーレを動かすわけにも、置いていくわけにもいかない。
「これ枕にして」
クッションを出して示すと、セーレがそこに頭を乗せて横になる。そして、顔を見られたくないのか、片手で顔を覆う。
「すみません……」
「いいって、もう謝らなくて。俺も嫌な夢見せられて、少し休みたいところだったし……」
「でも……オレ、こんな……」
「大丈夫、大丈夫。誰も責めないから……」
◇◇◇
同じ頃。
「モカちゃん、落ち着いた?」
「う、うん……。すみませんっす……」
涙で赤く目を腫らしたモカがシオンに謝る。
「なんか、すごく嫌な夢みちゃって……」
「あー……。私も……夢なのかな……リアルであった嫌な出来事ばっかり思い出しちゃって、ちょっと気持ち悪くなっちゃった……」
シオンが力なく笑う。
「そ、そうっすか……。同じっすね……。なんか、ボクだけ泣いてて申し訳ないっす……」
「うーん、一人だったら私も泣いてたかも」
「シオンさん、泣くことあるっすか?」
「そりゃー、あるよ~。皆あると思う。って、初めて会った時、私泣いちゃったよね……」
「そういえば……」
街道で大きな蛇のレイドに追いかけられていたことを思い出してモカが頷く。
「なんか……今は、ボクの方がシオンさんに守られっぱなしっすね」
「ええーっ。そうかな?」
「小さくなった時も守ってくれたじゃないっすか」
「うーん、あれは……。それもあるけど、どっちかっていうと冒険楽しそーみたいな……感じだったかも」
「ああ……。元気そうな子だなーって思ったっす」
子どものシオンを思い出して、モカが少し笑う。
「えへへ……。なんか、恥ずかしいね。っと、レオさんとセーレさん探しに行く?」
シオンがランタンを片手に立ち上がる。
「そうっすね……あー……」
モカは立ち上がったものの、その場から動く様子がない。
「どうしたの? まだ休む?」
「そうじゃなくて……、セーレさん大丈夫かなって」
「ああ……。なんか……あれは、触れない方がいいよね……」
「うん……。セーレさんがあの部屋で見てたのって……たぶん人っすよね……。ボク余計なこと言っちゃったかな……」
モカが俯いて手を握り締める。
「もー、モカちゃん、落ち込まないの」
シオンがぎゅっとモカを抱きしめる。
「ちょ、ちょっとシオンさん……!」
「なぁに?」
「ボク、中身は男っすよ!」
「もー。細かいこと気にしない」
「……気にするっすよ」
覇気のない声でモカが言う。
「ボク……昔から、可愛いものとか好きで、背も低いし、女みたいとかいじめられたりして、でも……女の子から見たらやっぱボクって男だし、すごく半端で……」
「そっかぁ……。辛かったねぇ」
シオンがモカを抱きしめたまま、頭を撫でる。
「あっ、でも、もう。今は、開き直ったーっていうか、楽しくやってるんで大丈夫っす。だから、もう離してほしいっす……!」
「えへへー。反応が可愛いのでいじわるしちゃいました」
シオンが、笑いながら手を離す。
「も、もぉおお! え、えーっと、それで……。セーレさん、一人で大丈夫っすかね……」
「うーん……。最後レオさんと一緒にいたから、レオさん近くにいるんじゃないかな。私たちも近くだったし……。それにレオさんは、なんか事情知ってそうだったし……大丈夫……だと思いたいよね……」
「レオさんも、大丈夫っすかねぇ……」
「なんとも言えないなぁ……」
シオンがマップを呼び出す。
「……ここもまだ位置表示されないみたい」
「困ったっすね……」
洞窟はランタンの光が届かないところまで続いている。
◇◇◇
横になっているセーレの頭を軽く撫でながら、洞窟の先を見る。
闇に目が慣れてきたものの先の方は見えない。今いる場所は行き止まりなので、向かう方向は迷わないだろうが、どれほど距離があるかはわからない。
「もう……大丈夫です」
そう言って、セーレが上体を起こす。
「本当に?」
「……そう言われると困ります。でも、動けます」
暗いのでセーレの顔色はよくわからない。表情や呼吸は落ち着いているように見えるが、きっとそう見えるだけだろう。
「さっきみたいなこと……、リアルでもなったことあるの?」
「いえ……。ああ、小さい時にあったかな……。たぶん、過呼吸です。すみません」
先ほどから、セーレは謝ってばかりだ。
「あっ、いや。そこは気にしなくていいんだけど、具合悪くなったらすぐに言ってね」
「はい。……あの、このことはクッキーさんとマリンには言わないでください」
「わかった。あー……モカとシオンさんには……? 同じような目に遭ってるかもしれないから、何かしら聞かれるかも」
「それは……、話しても構いませんが、オレからは……話せない、かな……」
「うん。わかった。その時は俺がどうにかするよ」
俺が立ち上がってランタンを用意していると、セーレがため息交じりに口を開く。
「それにしても……」
「何?」
「すごい醜態晒しちゃったなって……」
「気にしなくていいから」
「気にしますよ。情けない……」
セーレが俯く。やはり、相当参っている様子だ。
「まぁまぁ。お兄さんには甘えておきなさい」
「お兄さん……ですか」
「あっ……、ごめん」
セーレの兄は自殺しようとしたのだと、以前に聞いた。その辺りのことも夢で見せられたのかもしれない。
「ああ、いえ。モカさんに、おじさんと呼ばれていたなぁって……」
「……辛い」
しかし、多少でも軽口が言えるなら少しは回復したようだ。
「あ、レオさん」
「うん?」
セーレがぽつりと呟く。
「子どもになった時の……。助けてくれて……ありがとうございました」
「どういたしまして」
十分かニ十分か歩くと、前方に灯りが見えてくる。広がりのある空間の中央に、モカとシオンがランタンを置いて座っている。
「あっ」
俺たちに気付いて、二人が手を振る。
「よかった。無事だったんだ」
「うん。敵もいなかったし、大丈夫だったよ~。でも、通路いっぱいあるみたいで、無理に歩いたら迷子になっちゃうか、行き違いになっちゃうかなぁってここで待ってたの」
確かに、この部屋からはいくつか通路が伸びている。
「あと、これあったっすから、ここが目的地かなって」
モカがもたれかかっていたところに、石板と台座がある。
石板を覗き込むと竜の絵柄が描かれている。
「うーん……。なんか……嫌な予感しかしないよな」
「とは言え、それに触れる以外には脱出手段はないでしょう」
セーレがいつも通りの落ち着いた口調で言う。その様子をモカがじーっと見つめている。
「……モカさん、何か?」
「えっ、あっ……ええと、小さいセーレさん可愛かったなって」
モカが焦ったように両手を開いて左右に振る。
「ソウタさんも可愛らしかったですよ」
「ぎゃーっ! ユ、ユウさん、リアルネームはやめて欲しいっすよぉ!」
「おや、小さい時のようにユウちゃんと呼んでくれて構いませんよ?」
「無理無理無理。その顔でユウちゃんはないっす」
「ユ、ユウちゃん……」
ぽつりとシオンが呟く。
「なんですか? ユカリさん」
「きゅう」
シオンが両手で頬を挟んで床にうずくまる。
見ていて可愛らしい反応だなぁ。などと、他人事と思っていると飛び火してくる。
「そ、そーいえば、レオさんだけ本名わかんないのずるいっすよ!」
モカが俺を指して言う。
「そーですよぉ」
シオンが立ちあがって加勢してくる。
「俺のことは放っておいて」
「あ、でもボク苗字は知ってるっす!」
「ええっ、なんで?」
モカに名乗った記憶はない。
「前に連絡先交換した時に普通に書いてあったっすよ」
そういえば、そうだ。隠すという発想がなかった。
「シラハナさん……? 白い花って書いてあったっす」
「わー。可愛いねぇ」
「う」
「へぇ、つまり……」
セーレが軽く口の端を上げる。
「だめだめだめ」
手を伸ばしてセーレの口を塞ぐが、手首を掴まれてぐいと離される。
「いいじゃないですか。一人だけ名前わからないなんて寂しいでしょう? シラハナ・ハルトさん」
セーレがニコリと笑う。
「おおおお前」
「へーっ、ハルトさんっすか」
「ハルトさーん」
モカとシオンに名前を呼ばれて、恥ずかしさで頭から煙が出そうだ。
「でも、なんでセーレさん、レオさんの本名知ってたっすか?」
「二人で飲んだ時にそういう話になって」
「そうっすか~。そういう話ならボクも混ぜてほしかったっす」
「はいはい。もー、石板触るよー!」
「あああ。心の準備まだっす。待って欲しいっす、ハルトさん」
「知らん」
そう言って石板に触れると、ふわっと光の粒子が舞って眩さに目を閉じる。




