知られたくない事 〜ティア〜
「那幾、いるか?」
いるのは、分かっている。ごそごそと音がしてぼろ布がぱっと開いた。
「ザンサさん、ガノシュさん…」
呆然としたように見開かれた目が次第に歓喜の色を宿す。
「無事だったんだね!」
響いた声にとなりの家から
「うるさい!」
と怒鳴られた。
「とりあえず入れてくれないか」
私が言って、那幾が慌てたように入れてくれた。
「よかった。おら、心配したよ。半月も来なかったんだよ」
堰を切ったように喋り始める。無意識だろうか、耳飾りに触れていた。
「ごめんよ」
心から謝った。この子は、本気で私たちを心配していたのだろう。
「ナクトは死んだんだって。へへ。あいつ自分の首自分で刺したらしいよ」
トピは意外にも平静だった。
「みんなから幻滅されてさ、葬儀もろくなもんじゃなかった」
那幾は一人で喋り続ける。
「僕たち、そこにいたんだよ」
不意にトピが言った。
「ナクトは、僕に蹴られて、転んで自分の首を刺した」
彼はどんな思いでその言葉を吐いているのだろう。那幾はどんな思いでその言葉を聞いているのだろう。
「そうなのか」
那幾がいう。
「だから、二人とも来なかったんだ」
この子はこんなところに住んでいるのはもったいないくらいに頭がいい。
「僕は、もう大丈夫だよ」
トピが言った。
「人を、殺しても」
息を吸う。
「僕が自分は人殺しだと忘れなければ、人でいられるから」
驚いた。彼はそんなことを考えていたのか。
「正直にいうと、忘れてしまいそうになるんだよ。忘れた方が、ずっと楽だから。だけどそうしたら、己まで忘れてしまうだろう。己が何者なのか」
淡々というトピはふっきれたような顔をしていた。
「今ここを生きればいい。己を、しっかりと抱いて」
那幾もなんと言ったらいいのかわからないようだ。
「ごめんよ、暗い話にしてしまった。せっかく会えたのに」
トピが笑顔を作る。
「ザンサ、僕二つ目の手紙に何を書いたのかまだ聞いてない」
「…よく覚えていたな、半月も前のことを」
「記憶力には自信があるんだ。何故お前のいう通りあいつらがあんなに怒っていたのか知りたい」
ああ、そうか。笑える話だと気づいているのだろう。だとしたらそれを無下には出来ない。
「よりによって私一人で来いと書いて来たんだ」
那幾が目を見開く。
「あいつらそんなに腰抜けだった訳?」
真っ当すぎるその指摘に顔がほころぶ。
「だから、訊いてやったんだよ」
少しためる。
「年下の少女を一人でこさせるなんて正気か。今すぐ全裸になってお互いが大事な一物をおっかさんの腹ん中に置き忘れていないか確かめた方がいい、ってね」
一瞬絶句した二人が次の瞬間爆笑した。その声に再び
「うるさい!」
と苦情がくる。那幾は床を転げ回り、トピは真っ赤な顔をして必死に口を押さえていた。
「だからお前があいつらに僕の事を『ちゃんと男だ』と言ったらあんなに怒ったのか」
目元の涙をぬぐいながらトピが言った。
「そうだろうな」
「お前本当に悪いやつだな」
「最高の褒め言葉だね」
那幾はまだ笑いが収まっていない。苦しげに笑っていた。
「那幾」
トピが困ったように眉を下げる。こいつの眉は笑っても困っても下がるんだな。妙に感心したが、那幾の笑いをどうにかしなければなるまい。
「那幾、あんたは知らなかったかもしれないけど、この家あいつらに割れていたよ」
とたんに那幾の笑いが引っ込む。
「どういう事?」
「この前ここに来た時、見張られていた」
「そんな」
「本当だよ」
トピも口を挟む。
「たしかに見張られていた」
あまり脅しすぎるのもよくないだろう。
「もっとも、私たちをつけていただけで、ここがあんたの家だと分かっていたのかは定かじゃないが」
そう、願いたい。
「でも、ザンサさんたちに関わりのある者の家ってことは分かってるんだろ?」
「あいつらに半分でも那幾の頭があったら誰も死ななかったのかもしれないな」
トピがぼそっと言って
「まあ、無理な相談か」
自分で突っ込んだ。困ったような顔をした那幾だが、
「また、おらのところに来てくれる?」
無邪気な、真剣すぎる瞳でそう問うてきた。
「ああ、またくるよ」
この街で唯一頼れる人。
「せいぜい捕まらないようにしろよ。危なそうだと思ったら無理をするな」
帰り際にトピがそう言って
「本業でここまで生きて来れているんだ。財布の彼とは比べ物にならないだろう」
そう返した。
「本業じゃない」
那幾が睨んでくる。
「おら、靴磨きも使い走りも金をもらえればやるんだからな」
さすがしたたかである。
「なるほどな、今度お前に仕事を頼むよ。もちろん金は払うから」
「馬鹿にするなよ。おらだってそこそこの金は持っているんだから」
おっと言葉が足りなかった。
「そうじゃない。この街でなにかを任せて安心できるのはあんただけなんだ」
使い走りを頼めるのは安心だ。私たちが買ったという痕跡を残さずに済む。
「じゃあな」
「またいつでも来てよ」
年下の友人はたしかに私たちの支えだ。
(だから、私たちの事はなにも知らないでくれ)
あの子は、したたかで、無邪気で、賢い子だから。街を歩きながら、そう願った。




