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狼の仔  作者: 加密列
第一章 邂逅
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闇と少年

少女


兎は文句無しにうまい。なんと言っても獲りたてなのだ。そして彼の獲物をさばく手際のよさったらなかった。


「鹿、もって帰るか?」


自分だけ馳走になっているのは悪い気がして、そう声をかける。第一私が全部持って帰ったら重くて仕方がないし、それに村に持って帰るのも正直気がすすまない。そもそも罪人の娘が獲ってきた獲物を食べてくれるかさえ定かじゃない。だったら彼にあげたほうがいい。


「全部はいらないよ」


慌てた様子でツィンがいう。…図々しいのか、それとも馬鹿なのかわからない。


「全部やると誰が言った?」

「誰も」


少しふてくされているようだ。こんな特殊能力しかないようで、しかも生意気な彼にも子どもらしい一面があるのか!私は軽い驚きを覚えた。

結局鹿は二人で分ける事になった。今度は私が獲物を解体してみせる。鹿の肉が柔らかな脂肪のかたまりであるかのように、短刀はいともたやすく肉を切り分けていく。



(刃物の筋を間違えなければ、力を入れなくとも切れる。手で肉と会話をするんだよ、村長の嬢)


いつか村の女が言った。あの呼び名は明らかに当てつけだったなと今になって思う。それでも教えてくれたのだから今更文句は言わないが。腱を切ると、脚があっさりと外れてしまったのを見て彼が驚いた。


「このくらい、練習すれば誰でも出来る」


驚いた気配にそういうと


「まだ訊いていないんだけど?」


ツィンが言った。そうだったか?てっきりそう訊きたいのだと早とちりしてしまっていたが違ったのだろうか。


「まあ、それを訊きたかったからいいのだけど」


ほら、やっぱり。勝ち誇る私とは対照的に彼はなぜか呆れていた。


「ちなみにお前はどのくらい練習したんだ?」


目で暇なのかと聞く。さすがに会話をしながらできるほど余裕はない。


「解体してみるか?」


私は一応言ってみた。無論こんなことでツィンが誤魔化せるとは思っていない。案の定彼はきっと顔を上げて言った。


「質問に答えろ。ちなみに解体はしてみたい」


さりげなく私が言った言葉にも律儀に答えるところが彼らしい。


「…たしかに。私は村の大人たちが解体してるのを見て覚えた。鹿を狩った事はあったが、一人でさばいたのは初めてだ」


彼の目が軽く見開かれる。いつも飄々と笑っている印象があったから新鮮だ。そんなに驚かれるような事言ったか?


「やった事ないのにこんなに躊躇いなく手が動くのか?」

「見たことをやればいいだけだろ?躊躇ったらかえって手元がくるう」


何をこいつは驚いてるんだ?私なんかよりよっぽど特殊なことができるくせに。そう、私が訊きたいのはそれだ。


「それより、おまえはどうやってあんな風に気配を消すことができるんだ?」



***



少年


「見たことをやればいいだけだろ?躊躇ったらかえって手元がくるう」


つと顔を上げたツィリの目が真っ直ぐに僕を射すくめる。青みがかった黒の瞳。その光がふっと和らいだ。かすかに笑ったのだ。


「それより、おまえはどうやってあんな風に気配を消すことができるんだ?」


ツィリはふざけているのでも、自慢しているのでもない。本当に自分が特殊だと分かっていないのだ。ここまでくると自分は特殊だと思っていたのが恥ずかしくなる。彼女を見ると何事もないように無邪気な顔をしていた。…頭が痛い。思わず顔をしかめると、


「どこか悪いのか?」


という。皮肉でも何でもない。純粋に心配している。


「ごめんよ、引き止めて」


黙々と鹿をさばくツィリは目を合わせない。


「いや」


なんだか空気が重くなった。気まずくて思わず身じろぎすると、ちょうど彼女が鹿をさばき終える。鹿の血で光った短刀を草で拭うが、そこにも血が落ちていることに気づいて眉をしかめた。そのまま自分の服で無造作に刃を拭う。


(あーあ)


道理で服が薄汚れている訳だ。ここまで格好に気を使わない女も珍しい。


「お土産に。持って帰って」


そう言って渡してくる。しょうがないから手ごろな枝を折り、軽く尖らせて大きな肉をさす。問題はちいさい肉だ。と、ツィリがいきなり衣の裾をめくった。


「…おい!」


一瞬動揺した。だが、彼女はそれにかまう様子もなく、衣の下に巻いていたサラシを外した。


「…なんでそんなものつけてるんだ?」


呆れていうと


「いつ怪我してもとりあえずはこれでなんとかなる」


もう何も言えない。


「これにくるんでおくから」


そう言って手際よく包んでいく。


「自分は?」

「おまえ、このサラシ全部もっていくつもりだったのか?」


…悪人になった気分だ。

日が傾いている。気がつくとあたりは夕焼けで柔らかな色に染まっている。気はすすまないが、帰らなきゃ。


「じゃあな、ツィリ。またいつか」


すでに背を向けていた彼女は足を止め、一瞬振り向くそぶりを見せたがしかし、とうとう振り向かなかった。


「おい、なんとか言えよ!」


一歩目を踏み出そうとしていたツィリはゆっくりと、噛みしめるように応えた。


「あなたに、幸せがあらんことを」


そして歩き出した少女はもう立ち止まらない、振り返らない。その背が呑み込まれるように闇に消えていく。彼女自身が闇になったかのようにあたりの闇がいっそう濃くなり、自分が呑み込まれるような気がした。風が吹き、木々がざわめく。それをどこか遠くに感じながら、僕はいつまでもそこに立っていた。


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