動乱の前触れ ~トピ~
「いるかい那幾?」
そう問うと
「ザンサさんとガノシュさんかい?」
声だけで分かるのだろう。那幾はだいぶよくなったようで、敷布の上にきちんと座っていた。
「簡単な買い物くらいは出来るようになったんだ」
そう言って誇らしげに笑う。買い物くらいならいいか。でも、「仕事」はまだ駄目だろう。それよりあいつらは…。
「危なくないか?」
僕が訊くと、
「一度叩きのめされたからね、もうおらに興味はないんだ。それより、ザンサさんとガノシュさんのほうこそ気をつけたほうがいいよ」
真面目な顔になった那幾がそう言った。彼はやつらの怖さを知っている。そして、僕たちの怖さを知らない。
(知ったらどんな顔をするだろうね、君は)
見られたくない。知られたくない。そう思うのは初めてだった。この素直な少年に見せられない顔のある自分が恥ずかしかった。いや、それがなんだというんだ?
「ありがとう。それより、傷をみせてくれ」
ティアが言う。折れた肋骨と背中の切り傷。そろそろ抜糸をしてもいいころだろう。傷はしっかりとふさがっていた。
「糸を抜いてもいいかい?」
「はい」
ティアの麻酔効果のある実はここでも役に立ちそうだ。糸を抜くのが楽かと言われれば、そんな事はない。終わるころには僕たち二人ともすっかり汗だくだった。
「トピ」
「ああ。分かっている」
眠り続ける那幾を横目に無声音で話す。
「しょうがないな」
呆れて言うと
「敵わないとなぜ分からないんだろう」
困ったようにそう答える。それでも、自分の声にも、それから彼女の声にも、わずかな興奮が混じる事は否めなかった。
「他にも仲間がいるんだろう?」
それは間違いない。
「ああ、お前は喧嘩の経験があるんだっけ」
「大勢で得物を使えばいくらティアでも敵わないと思っているんだろうな」
呆れるを通り越して憐みを感じる。
「まったく、女一人に大仰な」
全くだ。矜持というか、恥のようなものを持ち合わせていないのだろうか。
こちらをうかがう気配は変わらない。気配の消し方を知らない素人だ。気づかれていることに気づいていない。
「那幾、聞こえるかい?」
ゆすり起こすと、彼はうっすらと目を開けた。
「しばらくここには来られない。何かあったら…そんな事がないことを願うが、そしたらすぐここを離れるんだ。いいね?」
「どうして」
「大丈夫。事に決着がつけば、必ずまたお前に会いに来るさ」
微笑みを浮かべる。この子を怖がらせちゃいけない。
「行こう、ガノシュ」
その声に頷いてくるりと背を向ける。
「あ、あの!」
彼が何を言おうとしたのかはわからない。
「大丈夫。番所に駆け込んだりはしないよ」
ティアがそう言い残して、僕達は大橋の下の家を抜けた。




