人との交流 〜ティア〜
早朝。まだ日は昇らない。一人で起き出した私は棒を担いで中庭に出た。冷たい井戸水は目を覚ましてくれる。一口に含むとゆっくりと型を演じ始めた。体が温まる。汗が浮き出て流れた。と、
「!」
とっさに飛んできた「物」を弾く。
「誰だ!」
構えをとると、
「待てよ。早まるなって」
塀を乗り越えてきたのはトピだった。
「いきなり礫打ってきたくせにどの口が言うんだ」
「いや、だからその…」
「もういい。本題はなんだ」
トピが真面目な顔をする。
「近いうちに『金梅草』と『猫足』の喧嘩がある」
それで?
「女はでないよな?」
「なんだ、そんなことか」
心配性だな。
「安心しろ。薬でも作って待ってる。あんまり派手なことするなよ」
手当が大変になる。
「大丈夫だ。適当に受け流して寝っ転がってるから」
「そうか」
それは賢明だが…見てみたいな。きっと真顔で内心嗤っているんだろう。
「ところで、お前はここでなんと呼ばれているんだ?」
「ザンサ(薊)」
「本当か?アザミ?」
何故だかトピが笑い出す。
「うるさい。鼠よりましだろう?ガノシュさんよ」
今度はトピがむっとした顔をする。この名は胸の内に。その名を呼んでいいのはこいつだけ。日が昇ってきた。いつのまにか寮でひとが動く気配がする。仕事始めには時間があるが、そろそろ帰らないと朝飯に食いっぱぐれる。
「じゃあな、ガノシュ」
「また来るよ、ザンサ」
踵を返し、お互いに振り返らない。笑いの余韻だけが朝霧の中に取り残されていた。
*
「ねえ。誰なの、あの人」
朝飯中に数人の少女に囲まれた。
「え?」
聞き返すと何故だか嬉しそうな顔をされた。
「ほらさ、朝一緒だった彼」
「ああ。あいつか」
この時点で彼女たちと交わした会話の最高記録に達している。
「ザンサさんさ、全然浮いた話ないから驚いたよ。料理人の誰がいいか聞いても分からないって言うしさ。あんないい彼がいたんだね」
「可愛い顔してたじゃん」
「…いつから見てたんだ?」
「さあ?」
ため息をこらえる。
「彼じゃない。…いとこだ」
「名前を聞いてもいい?」
「ガノシュ」
ここいらの言葉ではないが、鼠と言う意味だ。とは言わない。
「でもさ、絶対ザンサのこと好きだと思うよ」
トピが?まさかね。と言うかもう呼び捨てか?男がいるだけでそんなに問題なのだろうか。だが、あいにくそんな事にはならない。彼は私の片割れなんだから。
「そうか」
「だめだよ、そんなんじゃ。ザンサも化粧とかすればいいのに」
どういう反応をすればいいんだ。と、言うより
「料亭で化粧?」
「給料日は明後日。一日休みなんだよ」
そうだった!
「彼の前で化粧とかしたことないんでしょう?」
いや、
「ないこともない」
「反応は?」
「…覚えてない」
あれは「ティア」ではなかったのだから。
「でもさ…」
「速く来い!」
階下から怒鳴り声がした。
「はい!」
いっせいに少女達が散る。どっと疲れがきて私は壁に手をついた。お陰で喧嘩が起こることなど頭からすっぽり抜け落ちていた。




