別れの時 〜ティア〜
「じゃあな」
トピが言う。
「ありがとう。助かった」
鼻を擦り付けられ、喉の奥から呻くような声が漏れる。
(私はあまりいい借主とはいえなかったな)
怯えさせてしまう事もあった。死ぬほど走らせる事も、預かってもらう事も。満足に食べさせる事のできない日もあった。それでもこの馬は、別れの挨拶を返してくれる。
(ごめん、ダンミット。きっと次はいい借主を見つけろよ)
首の横を掻いてやる。ダンミットとの別れは思っていた以上に辛かった。すっかりこの馬がいることに慣れてしまっていたのだ。
(次から、馬を名前で呼ぶのはよした方がいいのかもしれないな)
ぼんやりとそんな事を思う。ただでさえどこで別れるか分からない生活しているんだ。目の前で馬が殺される事もあるかもしれない。捨てていかなければならない事があるかもしれない。…あるいは自分が死ぬかもしれない。下手に愛着を持つのは良くないだろう。
馬に限らず、人もだ。失いたくない人はトピ一人でいい。自分を縛るものはきっと少ない方がいいから。…もう、考えるな。馬のことは、もう忘れよう。それでも金を払って馬借屋を出ると隣にぽっかりと隙間があるような気がして、私達は無言で帰途に就いた。もっとも、どこへ、帰るのかは誰にもわからないが。帰る場所さえないほど私は自由だ。太陽を咥えて永遠に飛び続けるというナダッサの伝説の鳥、ラクーンのように。
(きっと、ひどく疲れるのだろうな)
休みたくても休めないというのは。無意識に空を見上げていた目を地に引き戻すと、トピは少し先を歩いている。大股で追いついた。
「あのさ」
俯き加減で、物思いに沈んでいたらしいトピははっと顔を上げた。
「日が暮れるまで歩かないか?」
街で寝床を探すのはどうにも慣れない。街を出たかった。まだ若いんだ。休む事を考えるのはもう少し先でいい。
「おまえならそう言うと思っていたよ。僕は」
トピは笑って、二人で木戸へと歩みを進めた。木戸番は無言で通してくれる。しばらく野宿が続くだろう。食べ物には困らないだろうし、三日は食べなくても大丈夫だ。ちゃんとそういう訓練も受けている。
次の街で一夜を越し、徒歩でアトマイアに入国するつもりだった。無論拾ってくれる隊商があるかもしれないが、望み薄だろう。大丈夫。そんなに遠くはない。トピがいれば、無事につけるだろう。朱く染まった空の中、ふと見上げると鴉が鳴きながら夕日を追いかけていった。自身も朱く染まりながら。




