守るべき者 〜トピ〜
ダンミットとティックは川のほとりで草を食んでいた。遠くまで行かなかったところを見るとそのように躾けられているのだろうか。それともそこにいれば安全だと判断しただけなのだろうか。のんびりとしているように見えたが、それでも僕達を見ると少し怯えたようだった。思わず立ちすくむ。
鼻を鳴らしながら二、三歩後ずさるのを見てティアが自嘲と苦笑がないまぜになったような顔をした。悲しさを押し殺した表情。いつか見た、父親が死んだ事を隠していた時とは違う、もっと乾いた、もう染み付いてしまったような悲しみの色を浮かべて。それに笑い返すと、くっと返り血が顔につっぱった。手を見るとそれも真っ赤だ。
冷静になって見てみると僕もティアも血まみれで、馬の嗅覚には濃すぎる臭いがするのだろう。このままじゃ馬にはとても乗れない。近づくだけで逃げられてしまう。ティアがしゃがんで水をすくった。そのまま顔を洗う。一瞬水面が朱に染まったが、すぐに溶けて元に戻っていった。それにならって顔を洗う。すぐに消える朱はまるで人の命のようだ。一瞬で咲き、一瞬で消える。
(今度も僕は)
人を殺さなかった。ティアが、殺させなかった。ティアが僕に人を殺させまいとすることに、やっと気づいた。彼女は鬼神となっても僕を守ろうとすることに、やっと気づいた。あまりにも遅すぎた。相手を人に繫ぎ止めているのは僕ではなくて、ティアの方だ。守られているのは、僕だ。どうしてこんな事に気付かなかったのだろう。鈍感過ぎやしないか?恥ずかしさが身をやく。
(だけど、僕だって人を殺せる)
ティアのようにではなかった。でも、確かに僕は知っている。闘いを望む、血の滾りを。
(それでも)
それでも僕はティアを守らないと。僕が彼女を守らないといけないところがきっとあるから。守り、守られて生きていかなきゃいけない。
(お前が処刑された後、自分がどう生きていけるか想像もつかなかった)
その言葉に今でも疑いは持っていない。むしろその言葉に間違いのない事を日々実感している。だって僕の片割れじゃないか。
*
「ティア、行こう」
声をかける。僕が今、守れるのは、折れそうなティアの心。夜叉のように戦っても、受け入れたかのように振舞っていても、どこかでまだ彼女は自分を許していない。でも、僕は絶対にティアが必要だし、ティアにもきっと僕が必要だ。こんな言い方変かもしれないけど、でも本当にそうだ。
「ああ」
彼女は何かを振り払うように顔を上げた。無表情なその顔が一瞬明るくなる。
「行こう」
夏の香りがただよってきた。




