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狼の仔  作者: 加密列
第五章 蒼穹の鷹、地の狼
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人と鳥 〜トピ〜

「大丈夫」


その声に顔を上げる。


「私は大丈夫だから。泣かないで…」


背を向けたままティアが呟く。まるで自分自身に言い聞かせるように、背を向けたまま、彼女は僕に話し掛けていた。頰の傷から垂れた血がまるで涙のように顎を伝って落ちる。いつのまにか血だまりが出来ていた。むせ返るような血の匂い。蹲るティアは年以上に小さく見えた。


「ティア…」


何を言えばいいのだろう。自分には謝る資格すらないと思った。むざむざ敵に捕まり、ティアの足を引っ張った。ティアを苦しめているのは僕だ。


「僕は結局ティアの荷物にしかならないのかな。僕がいなければ、ティアは、もっと苦しまずに済んだ?」


自分の声が遠くから聴こえた。聞きたくない。なのに言葉を止めることができない。ティアは答えない。答えるとは思っていない。


「ティアは…」

「確かに」


不意に彼女が立ち上がった。


「確かにトピがいなければ、私はこんなに苦しまなかったかもしれない。私は、もっと、楽だったかもしれない」


絶句する自分の目を、彼女が見据える。返り血の飛んだその顔は獰猛に美しかった。


「それでも」


一瞬戸惑うような顔をする。悪い事をして、嘘をつきたいのに真実を喋ってしまう子どものような、自分が何を言おうとしているのか悟りきれていないような顔。


「それでも、それは、もう生きてはいない。感情を棄てて、己に立ち向かう全てを斬り捨てて平然としているような、それを楽しむような、そんなのは生きてはいない。そんなの、人間じゃない!」


言葉を止めるすべを知らないかのようだった。


「トピがいたから私は人間でいられた。トピがいたから私はこの世に繋ぎとめられた!トピがいたから!」


顔を歪める。泣きたいような、それでいて怒っているような。


「おまえがいたから、私は自分から、『ティア』から逃げなかった」


一瞬のうちにティアが何を言いたいのか悟った。彼女の能力は「仮面」。彼女が望めば…ティアは「ティア」を捨て去ることが可能だ。全てを捨て、ただ人を殺し続ける「モノ」になることが可能だ。


「トピがいる所にもどってこられるから、私は『仮面』を使えた。トピがいる所に戻って来るから、確かに私は、ここにいる私は『ティア』なんだと信じられた。トピがいるから私は」


涙はこぼれない。それでも確かに彼女は泣いているように見えた。いつかの夢のように。


「人でいていいんだと、怪物にならなくてもいいんだと、そう思えた」

「ティア…」



この二月ほどの出来事が走馬灯のように蘇る。磔になった彼女。恐怖に錯乱して僕のことすら分からなかった彼女。岩穴でどうして自分なんだと泣き叫んだこと。彼女は僕の対の子だと知った時。「仮面」を初めて見たとき。刺客を、殺したこと。熱を出した僕を徹夜で看病してくれた日。そして、夜叉のような顔で盗賊の首を刎ねたティア。自分のしたことに怯えて吐いた彼女。ティアはいつもそんな人と獣の紙一重のところを歩いていたのか。


不意に小さな少女が細い道を歩いているのが視えた。危なっかしく、道から墜ちないように進む幼い娘。必死に助けを求める少女。


「なんて、むごい」


気がつくと、そう口にしていた。ティアが歩み寄ってくる。顔がくっつきそうなほど近くで、振り絞るように言った。


「もう二度と、私にはトピがいない方がいいなんて口にしないで。もう二度と」


哀願するように。


「分かった」


傷だらけの左手をとって、その甲を自分の右手の甲に添わせる。十字に走った傷が重なる。


「もう二度と、おまえを離さない。僕がティアを必ず、人に繫ぎ止めるから」


今、少女が人間の方へ戻ってくる。


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