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狼の仔  作者: 加密列
第一章 邂逅
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出会い 挿絵有り

少女


「行ってきます!」


勢いよく家を飛び出した。いくらなんでもこんないい日に一日中家でおとなしくしていろとはあんまりだ。まだ早春。雪解けが始まったばかりと言うのに、今日はよく晴れて暖かい。短刀を懐に入れ、森の奥へと駆ける。久しぶりに狩をしよう。運が悪くても、兎一匹くらいは手に入るだろう。この間仕掛けた罠にも何かかかってるかも知れない。なかば無意識に足音を消しながら走っていくと、ついさきほどの出来事が思い出された。



一日二時間四日日間の約束を一日四時間に詰め、懇願してやっと解放されたのだ。いや、最後の方はほとんど苛立ちで手につかなかったのだが。これだから父さんに短絡的だと言われるのだろうな。母さんが頷き終わった頃にはもう外に出ていた。必死に押していた岩が不意に跳ね飛んだ気分だ。自由。



言われた事を守らないのはよくない事だ。そんな事出来ない。最後まで身を入れて取り組みなさいと言われたらそうやっただろう。そう言い訳しながら、自分がやったのもかなり際どいところだった。疲れ方が尋常じゃない。体が、ではない。その程度でくたばるほどやわな鍛え方はしていないのだが、心が疲れてしまうのはどうしようもない。頭はだいぶ冷えてきたが、それでも胸の中に燻るものがある。

たしかに父さんは村長だ。自分が伴侶を持たない事はまず無い。そこは認めるよ。だからってどうして二日も家で繕いものを習わなくてはならないんだ!私は女である以前に「牙」村の一員だというのに、母さんは一体何を考えているのだろう。本当に、男に生まれたかった。


自惚れる訳ではないが、私は自分が武術、狩に秀でているという自覚がある。武術、特に刀と、棒術や槍術は身体能力に優れたこの国の先住民族「ナダッサ」の中においても抜きん出ている筈だし、短刀や弓の腕もかなりのものだ。体術でさえ男にも引けを取らない。投擲はあまり得意じゃないが、それも補っていけるだろう。私にはまだ時間があるのだ。これから一番腕が伸びる時期。繕い物などしている暇はない。ナダッサの村の一つである「牙」の村長である父に五つの頃から一人で武術の稽古を受け、実力はすでに同年代の少年達をはるかに凌駕しているこの私に、大人でも敵うものはそうはいないという私に、大人しく繕い物をしろと?笑わせてくれる。まったく、思い出したらまた腹がたってきた。


倒木を飛び越え、枝を潜り、木々の間をすり抜ける。ずっとこのまま走り続けられるような気がする。木々の間を、どこまでも、どこまでも。


(もしそうしたら、どうなるのだろうか)


私は、人ではなくなってしまうのかも知れない。恐れは不思議とあまり感じなかった。自分の中に二人の私がいて、片一方が人、もう片一方が獣に惹かれているかのようだ。


(私の中にもう一人?冗談だろう。そんなもんじゃない)


雑念を振り払うようにして、さらに加速しようと足の回転を速めて、


「つっ!」


気配を感じ、立ち止まった。

私のよく行く空き地に、一人の気配。


(誰だよ…)


こんな所に来るのは自分くらいだと思っていたのに、茂みの奥に間違いなく誰かがいる。私がここまで気配に気づけなかったことからして、手練れだろう。血が騒いだ。強い相手と闘える。そう思うと、ぞくぞくするほど興奮した。懐に呑んでいた短刀をそっと抜いて茂みに近づく。相手に、気づかれないのが一番良い。短刀は決して強い得物ではないから。躍りかかろうと体を緊張させ、茂みを飛び越えた次の瞬間、


(しまった!)


向こうで殺気が爆発し、私は驚いた顔の少年と向き合っていた。喉に刃を突きつけあって。



***



少年


「ん…」


大きく伸びをする。今日は久しぶりに暖かい。ずっとこうならいいのに。そんな事を思いながら土の上に座り込んだ。衣の生地が暖かく陽の熱を吸収していく。一人というのも心地よかった。誰にも邪魔されない。物心ついた時から毎日のように森に入っていたが、ここにくるのは始めてだった。ちょっといつもと違うところへ入ってみたくなったのだ。それ以上の理由はない。


同い年の少年たちが自分の稽古相手にならない事を寂しく思ったわけではないし、彼らがそれを妬んで僕を無視しているからと言うのも違う。ましてやあいつらが僕を影で父なし子と呼んでいることなど断じて気にしていない。ここまで考えて自分で虚しくなった。十分気にしているじゃないか。


(僕は弱いな)


そんな奴らの言葉に傷つく必要はないと分かりきっているのに、どうして気になってしまうのだろう。他の人が何を言おうとどうだっていいと思いたいのに。そんなに大切な友達だったのだろうか。僕が傷つかなくてはいけないほど?そもそも、大切ってなんだ?僕には分からない。


(こういうところが冷たいと言われるのだろうな)


集団の中にいても必ずどこかで冷めている。自分を客観的に見過ぎてしまう。周りの意見が自分と違う時、それを押し隠して同調することができない。する必要も感じない。それなのに、どうして逃げるのは僕なんだろうな。一つ断言できる事がある。僕は、武術には覚えがあるのに、とても弱い。



森の中にぽっかりと空いた空き地は程よく日が差し込み、悩みが束の間の平安に追いやられる。木に体を預け、目を閉じてはいたものの、まどろむと言うほど気を抜いていたわけではないはずなのに、


(え?)


こんなに近くに来るまでこの気配に気づかなかった。僕にしてはありえない失態だ。かすかな殺気をはらんで、でもどこか警戒する様な気配。先に相手に気づかれるとは、全く不覚だった。気の緩みというほかない。だが相手も僕が誰だかは分かっていないようだ。別の村の者なのだろう。偶然出くわしてしまったんだな。


(どこの村のやつだ…?)


いくら油断していたとはいえ、僕に気配を悟らせないのは、僕と同じか…それより出来るやつだ。そんなやつに短剣一本じゃ心許ない。十中八九体格に差があるからだ。腰の帯から短剣を抜く。鞘は直前まで払わないつもりだった。僕が鞘を払うその気配さえ、彼は感じることが出来るという確信がある。それほどの手練れだ。僕が相手に勝つ可能性があるとすれば、僕が体格に劣り最初から懐に飛び込むつもりだと気づかれなかった時だろう。


(勝ちたい)


そう思うのは久しぶりだ。勝てるかわからないからこそ、勝ちたい。額に汗が浮かぶ。緊張が張り詰めていき、ふっと気が満ちた。お互いの殺気がぶつかり合い、火花が散るのまでが目に見えるようだった。


(闘う時には、相手の目を見つめろ!)


相手を真正面から見つめて…


(!)


自分の顔が驚愕に歪むのがわかる。


(女の子じゃないか!)


当然相手は大人の男だと思っていたのに。この自分に気配を悟らせず、決して低くはない茂みを軽々と飛び越えてきた者。僕以上の手練れ。


僕の短剣を喉元に受けながらも僕に短刀を突きつけているその人は、青みがかった黒の、勝気そうな視線を外さないその人は、自分と同い年くらいの少女だった。


挿絵(By みてみん)



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