意地 〜トピ〜
「記憶はいつからないんだ?」
ティアは一瞬眉根を寄せて考え込んだが、すぐに顔を上げた。
「足の関節を外したところまでだ」
ティアの足はすでにはまっている。つまり僕に抱きついたくだりは覚えていないわけだな。少し寂しい気も…いや、気のせいだ。
「おい、行くぞ」
ティアが足を止めた馬の腹を再び蹴る。不満げにいなないた栗毛の馬、ダンミットは足を進めない。
「名を呼んでやれ」
「名があるのか?」
ああ。それも覚えていないのか。
「ティアの栗毛がダンミット。僕の黒毛がティックだ」
「よろしく、ダンミット」
再び首を掻かれて、ダンミットが満足げな声を上げた。そして足を進める。
「なるほどね。馬はここが気持ちいいんだな」
ん?
「ティア、もしかして馬に乗るのは初めてか?」
「もしかしなくても初めてだよ」
全く意に介さない様子でティアが言う。それに大した問題を感じていないようだ。
「そう言うことは先に言えよ」
呆れた声を隠せない。てっきり乗った経験くらいあると思っていた。
「だけど、どうにかなっているだろ?」
確かに否定できない。適応力があるんだな。
「これからも馬に乗ることはあるだろうからね。トピが馬術を教えてくれるととても助かるのだけれど」
何気なくティアが言った。
「そう言うのは、お願いしますって言うんだよ」
ティアが不意に目を合わせてきた。
「私に、馬術を教えてください。トピ」
怖いほど真剣な目だ。
「…分かった」
そう答えるしかなかった。不意にティアが破顔する。
「なんだか、お前に教えられる事ばかりだな。私はこんなに物を知らなかったのかと驚くよ。知らなくていいからって、知ってはいけない事にはならないと思うんだけどね。その時間すらなかったのかな」
真っ直ぐ前を向いたティアは、その目に何を映しているのだろう。僕も思い出した。隠れていかがわしい界隈にまで足を運び、非合法の店を覗き見する術を学んだ時。
あの時は自分のしている事に疑問を持つことすらなかった。見つからなければ勝ちの、かくれんぼの延長くらいに思っていたのだ。何故、そんな事が出来たのだろう。何故無邪気に信じてしまっていたのだろう。あの頃の自分のことを思うと、嫌悪感すら覚える。ティアが口を開いた。
「トピ、馬でさえ名前があるのに、どうして私達は番号だったんだろうね」
僕は何も答えられない。はっとしたようにティアが振り向いた。
「つまらない話だったね、ごめん」
「だけど、今は僕があげた名があるだろう?僕にも、お前がくれた名がある。ちゃんと馬に追いついたじゃないか」
にやっと笑って茶化すとティアも笑い返してきた。明るく、それでもどこか困ったように。
「ところで、何故『仮面』を使ったんだ?わざわざ僕の妹なんかにならなくても良かっただろう?」
街に行くのは初めてでもないわけだし。
「小僧と小娘が馬なんか借りていたらどう考えても怪しいだろう。足の悪い妹のために兄貴が馬を借りてやるって方がいい。私はどうも演技が苦手でね。それに…」
目が合う。
「慣れておいた方がいいと思うんだ。今後のために。ほら、戻ってきた時の立ち直りが格段に早くなっているだろう?」
覚悟を決めた声だった。沈黙が落ちる。
「よし、走ろう」
気まずい雰囲気を壊したくて、そう持ちかける。
「は?」
ティアが怪訝そうな顔をした。
「はっ!」
掛け声をかけて馬の腹を蹴る。
「おい待てよ!」
ティアが後ろからかけてくる。初めてとは思えないほどの騎乗っぷりだ。さらに加速すると、ティアも遅れずについて来る。振り向くと目に力を込めて、必死に振り落とされまいとしている。前言撤回。適応力が高い訳ではなく、負けず嫌いなんだな。いや、その結果上達が早いのならやっぱり適応力が高いのか…
(どっちでもいいや)
向かい風に負けないように、僕はもう一度掛け声をかけた。




