兄と妹 〜少女〜
「あぶないよ、気をつけろ」
馬車に轢かれそうになったのをお兄ちゃんが引っ張って守ってくれた。この杖にはまだ慣れない。短すぎるのだ。お兄ちゃんはいつも優しいし、わたしをいつも守ってくれる。だけど…
「ねえ、わたしの顔、何か付いている?」
さっきから時々変なもの見る目でわたしのことを見る。
「い、いや、何にも付いていないさ。さ、行こう」
これから行くのは…あれ?どこだっけ。とにかくすごく遠いところだ。わたしの足で、お兄ちゃんの荷物になるのだけは嫌だ。と、
「さあ着いた」
お兄ちゃんが足を止めたのは馬借屋の前だった。
「馬?」
「そうだよ、僕とティ…お前の分借りるんだ」
え?
「馬?もったいないよ」
「僕もそれなりにお金は持っているんだ。お前が心配する事はないよ」
にっこり笑ったお兄ちゃんは相変わらず優しい。
「わたしの足のせい?」
やっぱりわたしは荷物にしかならないのか。
「そんな事ないよ。遠くまで行くんだ。馬は必要だよ」
その言葉に救われる。そのまま馬借屋に入って行く。慌てて後を追うと、肥溜めのような匂いと、荒々しい唸り唸り声が聞こえて思わず足を止めた。こわごわ馬のそばを通ると、
「フン!」
思いっきり息を吹きかけられて、文字通り飛び上がった。というのは正確ではない。わたしの足で飛び上がれるはずもないのだから。せいぜいのけぞったがいいところだ。と、
「おーい、こっちだよ」
「お兄ちゃん!」
よかった。お兄ちゃんさえいれば何も怖くない。自分にできるだけの速さで駆け出すと、その首に抱きついた。
「この子たちを借りたの?」
傍らに立つ馬を見て言う。
「そ、そうだよ。とてもいい馬だ」
お兄ちゃんはなぜか真っ赤だ。
「ふーん」
いい方の足を鐙にかけるとお兄ちゃんが押し上げてくれた。
「高ーい。あなた、名前はなんと言うの?」
自分の栗毛の馬に話しかける。
「そっちはダンミット。僕のはティックだ」
ティックという呼び名に反応するように、黒毛の馬がいなないた。
「そうなの。よろしくね、ダンミット」
お兄ちゃんがティックを進めると、ダンミットも付いていく。背中に縛った杖が左右に揺れる。大きな通りを一本入り、人通りの少ない道に出る。そのまま馬の背に揺られていると、やがて街を出て森に入った。
「お兄ちゃん?」
「ん?どうした」
「盗賊なんかは大丈夫なの?」
子ども二人で森の中にいるのは危険なんじゃないかな。
「大丈夫だ」
確信に満ちた声。
「どうして?」
「状況を整理してみようか?」
お兄ちゃんが茶目っ気のある笑みでわたしをみる。綺麗な茶色の瞳が輝いた。
「僕がいるし…」
え?
「お前もいるじゃないか」
「わたし?」
わたしは盗賊に何もできない。それはお兄ちゃんも知っているはずなのに…
「そろそろ戻ってこい。ティアノン」
ティア、ノン?次の瞬間視界がぐるりと回って…
「ティア!」
気がつくと右手をがっしりと握られていた。危なく落馬するところだった。引っ張り上げられる。
「次から安定したところで呼び戻した方が良さそうだね」
トピが言う。私が乗っている馬の手綱をつかんでいる。鼻息の荒い馬からは困惑と恐怖がうかがえた。
「こら、暴れるなって」
彼が言うが、馬の興奮は治らない。
「しょうがない。その人の『気』が変わるのが『仮面』だ。馬にしてみれば誰も降りてないし、誰も乗っていないのに、いきなり自分の上に乗っていた人が変わったことになる。驚くのも無理はない」
ゆっくりと首筋を撫でると、馬は次第に落ち着きを取り戻した。
「行こう」
トピが馬の腹を蹴る。どこからか小鳥のさえずりが聞こえる。彼がいれば、私はきっと大丈夫だ。
私は見よう見まねで馬の腹を蹴り、トピの横に並んだ。




