二人の娘 〜「牙」村の岩屋〜
「おやまあ、あの子は勝ったかい」
誰もいない岩屋で一人ごちる。習慣のようにフバノイの香を焚き込めると煙が立ち上って融けた。
「可哀想になあ」
その言葉が心から出たものである事に自分で驚く。
「可愛い子だったのに、こんな事になってしまって」
あの子は「星の子」そして、「対の子」の片割れでもあった。並な人生を送れるような子ではなかったのだ。
分かっていたのに、どうしてあの子に教えられなかったのだろう。どうして一言、言ってやれなかったのだろう。いつかいつかと先延ばしにしている間に、まだ幼すぎると思っている間に、あの子はこの手を離れてしまった。もう、二度と届かない。この歳になっても、後悔する事など山ほどある。だから、
(もう逃げちゃあいけないね)
澄ませた耳に荒っぽい足音が複数、聴こえてきた。
「岩屋のおばば!罪人を庇った罪は重く、よって、この岩屋に禁固させていただく!」
声は裏返って文句も妙だった。
(ああ、やはり)
「これは、あの娘が命じたことかね」
答えは、分かっている。あの娘は頭が良すぎた。頭が良すぎて、この村に疑問を持つことが出来てしまった。生まれつき、人の言葉を鵜呑みにしないでいる事ができた。彼女も、可哀想な娘だ。あの娘を村から出すのは間違いだったと、今なら分かる。
「そうなんだろうね?」
逆光で表情の分からない男はそれでもはっきりとわかるほどに狼狽した。岩屋に戸口が取り付けられ、掛け金のかかる音がする。もう残りすくない余生で、私が陽を拝む日は来ないだろう。食事はもらえるのだろうが、私はこの村から消える。
(なんと愚かな)
誰に対する言葉なのかは自分でもわからない。ひっそりと嗤った私の脳裏にあの娘の姿がうつった。いつでも私の目に映る彼女は少女の顔をしている。一番目の娘。もうとうに別の名があるというのに。冷たく整った顔で、可愛がっていた猪の子を殺した少女。村の畑を荒らしたと文句を言いにきた村人の前で無表情に殺して見せた。そして平然と解体し始めた。それを見て慄いた村人の顔。どんな盤戯をしても、誰と対戦しても勝っていた彼女。
(ついに、やってしまったね)
本当に、お前を村から出すべきではなかった。
そして別の少女の姿も映る。「星の子」の少女。私の手から飛び立った小鳥。赤ん坊の少女。朗らかに笑った笑顔。稽古に明け暮れて傷だらけで岩屋にやってきた日。そして刀をひっさげて悄然と佇む後ろ姿。五番目の娘。彼女の名は、知らない。
ツィリ、いつか、どうか、幸せになっておくれ。硬くつぶられた目から、長らく己すら忘れていた水が一粒、皺だらけの顔を滑り落ちた。




