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狼の仔  作者: 加密列
第四章 敵襲
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敵襲 〜ティア〜 挿絵有り

知り合いだ。だからと言って、相手が殺す気でかかってくるのなら、殺さない訳にはいかない。トピのためにも。だって、私が殺されたら、トピがこいつを殺す。だから、そうならないために、私が殺す。


耳に黒子のある男が襲って来る。次の瞬間自分は遠くにいて、トピが今まさにそいつの首を切ろうとしている。と、再び私は耳黒子の前に立ち、トピが向こうから走って来る。私を助けるために。こいつを、殺すために。


(やめろ、来ちゃいけない。殺しちゃいけない!)


声が出ない。トピが無表情に剣を振り下ろして…。


「やめろ!」


びっしょりと汗をかいている。呼吸が荒い。


(!トピ)


はっと隣を見やると彼はまだ寝ていた。頭を落として、それからもう一度起き上がる。


(外に、出たい)


そっと戸を開けて表に出る。夏が近いとはいえ森の早朝はひんやりと涼しい。悪夢で熱をもった体が冷めていく。呼吸を整えて、素手で行う武術の型を演じる。すでに考えなくても出来るほどに体に馴染んだ動き。ひたすら動き、雑念を振り払う。私の思考は幼い頃に戻っていた。



「もう一回!」

「やあっ!」


パアアン!


五つの少女は傷だらけで、それでも目だけは爛々と光っていた。稽古用の棒を構え、がむしゃらに父親にむかっていく。男の子と野山を駆け回って遊ぶ事が好きだったその子は、遊び友達が武術の稽古を始めたことに退屈し、己にも教えてくれと父親に頼みこんだ。友達の動きを見ながらなぜこう動かないのか、何故あれを避けられないのかと気を揉んでいるのは性に合わなかったし、それを分からないまま放っておこうと思うよりは自分もそこに身を置いてみたいと思っていた。少女が想像していたものよりもはるかに稽古は厳しかった。しかし、やめると言ったことはなかった。普段の父親はとても優しかったし、自分から頼み込んだことをやめるわけにはいかないと、幼いながらに思っていた。


(何故、寝ている敵の盆の窪に細い針を突き込む事を習うのかと疑問に思う事はなかったな)



「よし、今日はおしまいだ。傷の手当てをしてもらってこい」

「分かった」


一礼する。と、カアン!甲高い音と共に手に衝撃がきた。


(え?)


何が起こったのか全く分からなかった。おそるおそる見上げると父も呆然としていた。少女は父親が自分に棒を振り下ろした事、そして自分がそれを受け止めた事を知った。


「わたしを、打つ気だったの?」

「いや、寸止めはする。おまえが…おまえがこれを受けられるとは思っていなかった」


父さんの目には驚き、歓喜、そして畏怖の色があった。


「いいかい。大人のいないところで友達と武術の稽古をしてはいけないよ。約束してくれ」

「はい」…



私は無心に型を演じ続ける。ゆっくりとした動作から出る素早い蹴りと突き。そう、舞を舞うように。



十一の春、いつもの場所で父親との稽古を終えた私は一人の型を演じることになった。


(そう、今のように)


肩の力を抜いて、脇と背中に軽く力を込める。


(回って、蹴って、手を上げる。もっとゆっくりだ。突きは…ここ!)


体に染み込んだ動きを一つずつ反芻しながら演じる。


(ゆっくり、急には止まらない)


始まりと同じ体勢に戻る。座って見ていた父さんの目を、はっきりと見据えた。


挿絵(By みてみん)


「動きは完璧に近い。だが、足りない。なにかがおまえには欠けている。それが分かればおまえはもっと強くなる」


自分ではかなり出来ていたと思った。動きが完璧なのに足りないものとはなんだろう。


「どういう事?」

「おまえは武術に最も近いものはなんだと思う」


武術に近いもの?


「分からない」

「分からないと言うのは考えてからにしろ。武術に近いもの。それは、舞踊だ」


は?


「舞踊?冗談だろう?」

「何故そう思う」


何故?言うまでもない事じゃないか。


「舞踊は人に見せるためのものだ。舞踊は、芸術だ。武術は人を攻撃するものだ。命を奪い、己が生き延びるためのものだ。全然違うよ」


他者を魅せるものと、他者を壊すもの。


「武術も舞踊も流動するものだ。おまえにはその『流れ』が欠けている。型の順序を追いすぎているように見える」

「言っている事が分からない。どういうことだ?」


焦りに似たものを感じた。


「おまえに舞を教えよう。きっと、いつか分かる。おまえは勘のいいやつだ。すぐに気づくだろう」


ちょっと待った。


「舞?私に?冗談だろう」


冗談ではなかった。私は武術稽古の後、舞を習うことになった。


「剣舞から始めるか」


あの時ほど父親が鬼に見えた事はなかった。



体は勝手に動きを続けている。流動性。あの時散々苦しんだのに、今は何故こんな事が出来なかったのか分からない。そう、これをつかんだのは次の年の春の終わりだったな。



舞の稽古は楽しかった。ただ、「流動性」はまだ掴めていなかった。そんな朝、川のせせらぎを聞きながら、私は無性に踊りたくなった。目を閉じて呼吸を整える。振りはない。ただ、心の向くままに手足を動かした。


(あ!)


自然と動きが静まっても、私は動かなかった。どう踊ったのか分からないのに、ひどく疲れていた。だが、踊っているうちに歓喜にも似た感情が自分を包んでいったのだ。


(これだ。やっと掴んだ!)


そのまま父の部屋に駆け込んだ。


「父さん。笛を吹いて。早く!」


父が笛を持っているのは知っていた。目の奥に面白がるような表情を浮かべた父は同時にとても真剣な顔をしていた。


「どんな曲をご所望かな?」


少し考える。


「春の小川のような、風が吹くような音」

「分かった」


父さんの笛から音が滑り出した。いつ踊り始めたのか分からない。無心だった。春の小川のごとく、自然のものとして、流れる。笛がそっと吹き終わり、私も動きを止めた。どっと疲れが押し寄せて、座り込んだ。


「完璧だ、我が娘」



その声が、たった今聞いたかのように耳に響く。

いつしか型は終わり、私はそのまま舞を舞い始めた。トピが戸口に立って見ているのにも気がつかなかった。


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