敵への備え 〜ティア〜
「お前、左利きなんだな」
「そうだよ。ティアは右利きだね?」
誰かと料理するなんて何年ぶりだろう。最近はあまり料理をしなかったし、留守番の時は一人で料理をしていた。悪くないな、こいうのも。トピと暮らしていればこんな時が増えるのだろうか。もっとも、生きていられればだが。やめよう。そんな事を考えたらいけない。
「だけど、武器を持つのは右じゃなかったか?」
「どっちも使う。両方同じように使えるようになりたくて、今は右を強化しているんだ。武器に関しては特に。一回左を折ったから」
へえ、こいつが。何をしたんだろう。武術訓練で骨を折ることはあるし、私もあるが、そうそうある事ではないし、ましてやトピだ。そう簡単に利き腕を折られるとは思えない。
「なんでお前が腕を折ったんだ?」
「足を滑らせたんだ」
(嘘だな)
トピは本当に嘘が下手だ。いや、上手いのかもしれないが、自分の事になると途端に嘘が下手になる。が、ここはあえて追求しないでおこう。
「なるほど。ところで…」
言いかけて口をつぐみ、トピと共に体を強張らせた。気配を感じる。誰かがこちらを窺っている?トピの顔が緊張する。風が吹いて気配はかき消えた。
「気のせいか?」
トピは答えない。目が虚空を見つめ、何かに集中しているようだ。
「っ!危ない!」
唐突に彼の体がかしいだ。
「トピ、おい、トピ!」
額に汗が浮いている。どうしたんだ。貧血?まさか。全身の血がざっと引いた。
「誰かいた。こっちを見ていた。男だ。外の気脈に接触したんだ。確かに、誰かがいた」
喘ぐように言葉をつなぐ。よかった。喋れるみたいだ。
「気脈?」
「ありとあらゆる物の気配、生命の源のようなものだ。あの世とこの世の境界に存在する」
なんだそれ。
「あの世?」
しまった。カラッドを思い出してしまった。
(あなたの生に、本当に未練があったのは私です)
ほぼ間違いなくトピの父であり、そして
(さよなら、私の娘)
私を娘と慕ってくれた男。
「ティア?」
「ああ。すまない。自分から聞いたのに」
「『あの世』は死んだ者達がいるだけじゃない。時に死者の魂が融け、時に精霊が踊り、そして…魔物が潜む。この世のものの目に見えない精気のようなもので満ちている、そんなところだ。この世界はね、ティア。目に見えるものだけが全てじゃないんだ。この世じゃない世が沢山ある。その世は重なっていて、その曖昧な境目、ちょうど海水と真水が混ざる所のような、本質の違うものなのに、お互いに影響しあって、そのどちらともつかないような、そんなところに気脈は生まれるんだ」
無意識に微笑む。
「懐かしい話だ。おばばが毎日のように言っていた。『あの世』では精霊たちが舞を舞っていると。この世と、重なっていると」
ふと気づく。
「トピは呪術の心得があるのか?」
気脈を使えるというだけではここまであの世に詳しくはならない。おばばのところに通いつめていた私よりも詳しいのだ。
「さわりだけはね。少しだけ、才能があったんだ」
こいつ、本当に万能だな。
(ん?)
今、何かが引っかかった。何かに、気づきかけた。
「あいつ、また来るかな」
だが、トピにさえぎられて、もう手の届かないところへ行ってしまった。
(まあ、いいか)
包丁を置き直すと、呟いた。
「もし、刺客なら」
その言葉を噛みしめる。目を閉じる。案外に冷淡な自分の声が聞こえた。
「今に分かる」
刺客なら来ないはずがない。
日は、もう傾き始めていた




