住まうは闇夜 〜トピ〜 挿絵有り
暗い小屋の中。僕は壁際に胡座をかいて座っていた。小屋が軋み、顔をあげる。わずかな物音にも体が反射する。
(落ち着けって)
自分に呆れる。何故僕が緊張しているんだ。状況を整理しろ。大丈夫、ティアはどんな格好をしてもティアだ。ティアが大丈夫だというのだから、僕がそれを信じないでどうする。片割れなんだろう?どうにも緊張が解けない。
「我ら気高き森の民。住まうは闇夜と言われども、この身の滾り、忘れはせぬ…」
小声で口ずさむ。古い詩。おそらく大人でもそうそう知っている人はいないだろう。だが、僕はこの詩が好きだった。怒りを堪える時、涙を抑える時、この詩を口にすれば心が落ち着いた。何より、この詩の終わり方が好きだった。今も、きっと。と、…かたん。奥の戸が開いて、
「!」
声にならない叫びがもれた。自分がこぼれ落ちそうなほど目を見開いているのが分かるが、それを気にかける余裕はなかった。自分の目が信じられない。
「ティ、ア?」
そこにいたのは、見知らぬ女だった。すんなりと背の高い、年若く、そして美しい女。少し恥ずかしそうに俯いて、頰を微かに上気させている。僕が絶句していると、ティアは壁に片手をついて寄りかかった。
「女は化粧一つで変わる。世界の常識だ」
ため息と共に言うその声と皮肉な口調は確かに僕のよく知るティアのものだ。よく見れば墨に縁取られた青みがかった黒の瞳が真っ直ぐに僕を射る。鋭い目は相変わらずだ。この殺伐とした気配はなんとかしないとまずいだろう。夜の街には物騒な奴らも来るから。彼女は危ない。だって、
「とても、綺麗だ」
唇に紅を差し、目元に墨を入れているその人は、本当に綺麗だった。これがあのいつも薄汚れた服を着て、服の裾でも平気で血を拭い、男と見まごうようなぶっきらぼうな少女だろうか。なまじ素を知っているだけに別人としか思えない。
いつもは無造作に束ねられている髪も三つ編みに結われ、ながく背に垂れている。心なしか胸まで大きくなったようだ。僕の視線を追ったティアが鼻を鳴らす。
「詰め物をしてるんだ。じろじろ見るな」
そんなに凝視していたつもりはないのだが。
「何度も言うようだけど、本当に綺麗だよ」
「そうかい、ありがとうよ」
全く嬉しくなさそうに言ったティアは不意に真顔になった。
「これから『仮面』を使う。そしたらもうここにいるのは『ティア』ではないと思ってくれ。『帰って』来る時の鍵となる言葉は、私の名前だ。それから…」
少し言いにくそうに続ける。
「『私』に気づかないようについてきてくれないか?いやだったらかまわない。もし…」
最後までは言わせない。
「行くよ。当然だろ?」
僕の片割れ。もとよりそのつもりだ。それより、ティアがさりげなく戻ってくる時の言葉に名前を選んだのが嬉しかった。僕がつけた名前だ。どうしてティアノンを選んだのかは自分でもよく分からないけれど、でもこれよりいい名前は思い浮かばない。ティア。必ず、お前を引き戻してみせる。
「トピ、私が小屋の前から離れるまで、ここから出ないでくれ」
真剣な目だった。そして、腹をくくった者だけが出来る据わった目をしていた。
「行ってくる」
振り返らない。
「ティア!」
なにを言えばいいのだろう。
「必ず、おまえを守るから」
彼女が、かすかに頷いた気配がした。




