影に住まう者 〜トピ〜
ティアは自分の足先を見つめて視線を上げない。
(買った物を聞いただけなのに)
いや、それは正確じゃないな。何を買ったのかはもう知っている。何故、買ったのか。それが知りたい。想像もつかない。何故、よりによってティアが化粧を買ったのか。
「私もおまえと同じだ」
「え?」
「能力者なんだ。私も」
能力?あの方角が分かる力のことか。ティアも何かの能力を持っている?まあ、分からないでもない。だって、僕の対の子なわけだし。だが、
「それが買った物とどう関係しているんだ?」
意味がわからない。
「見たんだね。私の買った物を」
少し迷ったが頷いた。ここで嘘をついても仕方がない。
「来る途中に夜の街を見ただろう。情報を集めるのにはうってつけだ。だからあそこにいてもおかしくないように濃い化粧を買った」
「いや、ちょっと待て。昼の街でさえ顔色が悪かったティアが夜の街?無理だろう」
絶対に無理だ。あの猥雑な雰囲気は昼の比じゃない。不意にティアが顔を上げた。まっすぐに見つめてくる。青みがかった黒の瞳。それが暗さをたたえて僕をみる。ひるみそうになった。
「私の能力は『仮面』。『三つの能力』の一つでもある」
は?「三つの能力」?冗談だろう。
「本当なんだ。『仮面』がどんな能力か知っているか?」
「いや、知らない。『三つの能力』は聞いたことがあるけど、内容なんてね」
「三つの能力」はナダッサの伝説のようなものだ。神話に等しい。存在するということを信じている人がどれほどいるだろうか。
「簡単に言うと自分の意思で自らの人格を変えることができるんだ」
「は?なんだ、それ。単に変装するのと何が違うんだ?」
「『仮面』を使っている時、私は『ティア』ではなくなる。その人固有の『気』が変わるんだ。『ティア』が知っている事もそいつは知らない。私が望めば過去さえ作り上げる事が可能だ」
他人のことのように淡々と。
「待ってくれ。質問がある。そうなった場合、ティアはティアに戻ってこられるのか?」
「それは問題ない。何か、そうだな、一番いいのは言葉。何か言葉を決めれば、その言葉を聞いた時に戻ってこられる」
一番いいのは?まあいい。おいおい訊こう。
「もう一つ。そうやって集めた情報を忘れてしまうことはないのか、その…戻ってくる時に」
「それも問題ない。新しい人格に絶対的な記憶力とそれを紙に書く癖を組み込んでおけばいいんだよ。戻ってきてからそれをあらためればいい」
「そうか」
何故だか無性に悲しくなって二の句が告げなくなった。
「上手くできているだろ?」
ティアが自嘲気味に言う。
「ティアはいつ自分の能力に気づいたんだ?」「四つの時だな。村の猟犬に子どもが出来てさ、そう、本当に小さかった。飽きもせずずっと眺めていた。こいつになってみたいって思ったんだ」
息を吸う。一瞬顔を歪めた彼女はしかし、もう視線を外さなかった。
「父親が心配して探しに来た時、私は子犬と一緒に地面を転げまわっていたんだ。最初はただ遊んでいるだけだと思われていた。だけど、そうじゃなかった。村のおばばが一緒に岩穴にこもって、一昼夜暗示をかけ続けた。目覚めてしばらくは、廃人みたいになっていたらしいな。だけどそれも含め、私は少しも覚えていなかった」
「暗示にかかりやすい体質だってことか?」
「それもあるかもしれない。だから私はおばばに簡単な護身術を教わった。武術じゃない。精神を、自分の魂を守る技だ。だけどそれだけじゃない。私は生まれつきその能力を持っていたんだ」
他人事のように。いや、彼女にとっては本当に他人事なのかもしれない。手元の肉はすっかり冷えて固くなっていた。隙間風にあおられて、かまどの火がちろちろと揺れた。




