逃亡計画 〜ティア〜
逃亡を始めてから半月ほどが経った。トピによると森の中の見回りは撤収したそうだ。しかし、森の外れの網はまだ張ってある。そろそろ引き上げどきだろう。そう持ち出すと彼はうなずいた。ここから網を突破して逃げることに比べたら、今までの生活などお遊びのようなものだ。ここを引き払えば、もういつ終わるともしれない逃避行が幕を開ける。
「もしトピが追っ手だったとする。一番網を強化するのはどこだ?」
トピは即答した。
「山の国境。アトマイア国との方だ。一番手っ取り早いし、見つかりにくい経路だと思う」
「私もそう思う。そして二番目は…」
「ワイメア皇国との国境だな」
アトマイアとこの国、アミダン帝国は隣あっており、ナダッサの住むこのサグミド山脈は彼の国にまで続いていた。加えてアトマイアはあまり治安が良くなく、追われているものが逃げ込むには適していると言える。一方のワイメアは隣国という点ではアトマイアと変わらないが、一度山を降りなければならず、距離もある。
「ワイメアの治安は…」
トピがつぶやいた。周りの国については一通り学んでいる。まさかその知識を逃亡に使うとは思っていなかったが。
「ワイメアは国境に関所がある。あくまで正規の道を行けば、の話だが。そして一度入国すればあまり取り締まりはきつくない」
「即答だな」
「ちなみに一番大変なのは、街に降りる行き方だ」
トピが苦笑する。
「同じ国の中なのに、変な話もあったもんだね」
…同感だ。街に降りるには方向を過たずに森の中を下って行かなければならない。
「正規の道はアトマイアへ行く道とかぶっている。あいつらがよほど馬鹿じゃない限り、網が張ってあるだろう。どうする?」
「僕が聞いた話じゃ街の中にも刺客がいる。無駄に体力を使いたくない」
「…たしかに」
「たださ、街には行く必要があると思うよ。ティアは服も持っていないわけだし」
それを言うな。
「森を降りて街に入ろう。それが一番安全だよ」
「言うのは簡単だが、方向間違ったら終わりだろう。下手したらそのまんま山の中で野垂れ死って事になりかねない。それで追っ手はこの世に存在しない私達を探し続ける。素晴らしく安全だね」
皮肉の一つも言いたくなる。くそったれ。何が悲しくて国外逃亡の話なんてしているんだ。トピが複雑な顔をした。
「あー。大丈夫だよ。その点では」
何故そう言い切れる?
「僕は分かるんだよ。理屈とかじゃなく、本能で」
「何を、分かるんだ」
はっきりしろ。
「方向が」
は?怪訝な顔をしたのだろう。トピが自嘲気味に笑った。
「ちびの頃からさ、方向を間違えた事がないんだ。どんなに森の中に入っても、必ず帰ってこられたし、一度行った所は自分がどこにいてもどっちの方にあるのかが分かる。自分がどっちの方からどこへ向かっているのかが日が出ていないでも分かるんだよ」
どういうことだ?
「五つの時に、大きい子達にからかわれて、目隠しされてさ、四人の子の真ん中に立たされたんだよ。それでぐるぐる回されてね、前に向かって歩く。五回連続でぶつかったのがどの子か当てるまで帰らせないって言われたんだ」
火に浮かぶ彼の顔は悲しげに歪んでいた。
「僕は一回目で成功した。なんのことはない。どこの誰が山の上側、誰が『針』村側、って覚えただけなんだ。幼かった僕はその能力が当たり前のものだと思っていた。目隠しをする意味すら分かっていなかったんだ。大きい子達は驚いてね、僕を帰さずに何度もやらせたよ。そのたびに僕は成功した。周りにいた僕の友達はその間に逃げた。何度も回された僕は家に帰った時には狂ったようになっていた。その後一月は寝ついたよ。…とにかく方向については心配いらない。森を降って行こう」
トピの笑顔には痛々しいものがあった。彼にそんな能力があるなんて知らなかった。私の能力も、話しておくべきだろうか。いや、今はやめておこう。いつか使うかもしれない、その時まで。




