不公平の訳
少女
ツィンが帰ってきた。鳥を二匹も担いで。だが、安堵したのも束の間、入り口の所でしゃがみこんでしまったのには驚いた。慌てて近寄る。
「どうした?顔色が真っ青だ」
答えがない。
「おい。大丈夫か?ツィン!」
血の臭いはしない。怪我をしている訳ではないようだ。
「大丈夫。ごめん」
彼がささやいた。
「まったく。心配した」
安堵する。が、すぐに気を引き締めた。彼がこんなに動揺するなんてただごとじゃない。
「何があった?」
つとめて冷静に問う。私が動揺したらかえって状況が悪化するだろう。心臓が痛いほど鳴っている。
「『牙』は…」
「え?」
「僕らを諦める気なんてない。森の中では見回りのやつらがここには僕たちはいないだろうと言い続けている。万に一つの可能性でも僕らがそれを聞いて尻尾を出すかもしれないからだろう」
「…とんでもない執念だな」
それは確かに尋常じゃない。どういう事だ?
「それに…」
まだあるのか。
「森の外れには網が張ってあるし、街にも刺客が放たれている」
冗談だろ…。というか
「刺客?」
「ああ、たしかにそう言った」
つまり…
「はなから殺す気でいるって事か」
「おそらく。だが、何故たかが餓鬼二人にそこまでするのかは分かっていないようだ」
知っているとすれば村長か…おばばだ。どうしているだろうか。いつでもフバノイの香りをまとっていた彼女。いや、
「私達の居所は分かっていない様子だったんだろう?」
「ああ。そうだ」
「だとすれば、呪術師はまだ動いていないということか」
「え?」
「いないのか?『翼』には」
「いや、いる。呪術師のことを忘れていたなんて僕は馬鹿だ。なんで今まで気づかなかったんだ!」
村の呪術師は確か三人以上いた。その人達が動いていないということは…
「おばばは私達を殺すことに反対しているようだな」
村で最も力のある呪術師であるおばばが動かなければ他の呪術師も動かない。
「少なくとも一人は味方がいるということか?」
「分からない。おばばは私情で動く方ではないから。ただ、おばばが動いていないとすると刺客を指揮しているのは村長だろう。おばばの反対を振り切れる立場にあるのはそいつくらいだ」
そこまで私に恨みでもあるのだろうか。
「誰なんだ。そいつは」
一瞬ためらった。ためらうな!もう、逃げるな。
「分からない。前の村長は殺してしまったから」
そう。私の父さん。彼が顔を伏せる。
「ごめん。いやなことを聞いてしまって」
やめてくれ。何故そんな悲しそうな顔をするんだ。おまえが父を殺したわけではないだろう!ふいに心の奥底で、自分にさえ隠していた何かが頭をもたげた。
「…どうして」
あえぐような声がもれる。弾かれたように立ち上がった。
「どうして私は父さんを殺さなければならなかったんだ?どうして私は逃げなければならなかった?どうして!」
止まらない。息を潜めていた私の獣が、暴れ出した。彼が立ち上がる。
「どうして私がこんな目に合うんだ!ふざけるな。私は何もしていないのに。教えてくれよ!どうしてこの世は公平じゃないんだ!私が望んだわけじゃない。望んで私に生まれてきたわけじゃないのに」
彼の手を振り払う。
「殺してやる」
何を殺したいのかさえ分からない。
「どうして私が…」
泣き声を押し殺して、歯ぎしりするような声が出る。
「ツィリ!」
抱きすくめられた。冷水を浴びせられたように頭が冷える。
「僕もそう思ったよ。何度も、何度も。村では除け者だった。陰で、一人で呪っていたよ。あいつらみんな殺してやるって。逃げる自分も大嫌いだって。対の子だってわかって、どこかの村に何も知らずに生きているやつがいるんだって知った時。そいつのせいで僕はここにいるんだって、すごくにくかった」
胸が跳ねる。それはきっと私の事だから。
「だけどさ、そいつは僕を貶めるために同じ日に生まれたわけじゃない。生まれたことに罪などないから。そいつは、僕とはあべこべな方に、不公平だったんだ」
いつもの生意気で飄々とした態度はどこにもない。まるで私などそこにいないようにとつとつと話す少年はどこか寂しげだった。
「そう気づいて、虚しくなったよ。不公平に理由があったらどんなに良かったか。他のことのせいにできたらって。でも、いつまでも、なにをしても不幸じゃなかったよ。自分を現状より不幸にするのはいつだって自分自身だから。例えばさ、今、一番の友人が、やっと泣いている。もう二度と泣けないという顔をしていたのに」
そう言われて、自分の頬に涙がつたっていると知った。もう、止まらない。私は彼に体を預け、声をあげて泣いた。初めて慟哭した。私が殺した父さんのために。誰かに大切にされている自分のために。そして、彼のために。
***
少年
悲痛な泣き声が少しずつ小さくなり、やがて彼女が泣いていたことをしめすのはかすかにしゃくり上げる声のみとなった。
僕はそっと指先で目元を拭い、目を閉じる。拭いきれなかった水がすっとこめかみの方へ伸びる。ツィリが腕の中で泣き始めたとき、自分の目にもまた、涙が静かに溢れてきたのだ。彼女にそれを知られたくなかった。僕はいないもののように、彼女の全てを、何も聞かずに受け止められる存在になりきらなければならない。
だって彼女はきっと同調を望まないから。本当なら泣き顔を僕に見せる事も望まないはずだから。だから僕が彼女の涙に反応する事はあってはならない事なのだ。彼女は、自分の弱さを人に見せない。僕も、見ない。
彼女を抱いたまま岩壁に背を預け、ゆっくりと座り込む。僕に体を預けていたツィリがおずおずと腕をまわしてきた。その手の感触で、自分が思っていたよりもずっと強く彼女を抱きしめていた事に気づく。なんだかへんな気分だ。でも、悪くない。自分が彼女の支えになるのなら。
「ごめん。少しだけ」
胸元でくぐもった声がする。戸惑って、そのせいかずっと幼く聞こえた。彼女もまだ十四なのだ。まだ、僕と同い年の、女の子なのだ。
しっかりとした振る舞いと、闘う時の強さについ忘れそうになるが、こうして抱きしめると思っていたよりも華奢な体付きをしていた。ナダッサの特徴で骨はしっかりしているが、肩は男とは違って薄く、筋肉質だが、女性らしい丸みも感じられない。中性的でしなやか、そして強靭な体つきをしている。だからだろうか、変な感じだと思っても不思議と動揺はしなかった。だって彼女の体はとても暖かいのだ。それでも泣き崩れたその体はひどく弱々しかった。この体に、この人は何を背負ったのだろうか。
(少しだけ、楽になってもいいんじゃないか)
お前はいつも抱え込みすぎだ。両腕にそっと力を入れ、顔をうつ向けて両目を瞑った。驚いたように一瞬身を強張らせた彼女の力がゆっくりと抜けていく。彼女に傷ついて欲しくない。だから、命に代えてもお前を守ると約束しよう。ここに、この腕の中にいるのは誰よりも大切な人だから。誰よりも強くて誰よりも繊細な、僕の片割れ。二度と、離さない。
しばらくそのままでいると彼女がようやく顔を上げた。
「ツィリ…」
それから、首を振る。五番目。その響きがもう彼女にはそぐわなかった。番号ではとても物足りない。
「ううん、もうその呼び方はやめたい」
そういうと彼女ははっと顔を上げた。
「僕に、名前をつけさせてくれないか。ツィリはもう嫌だ。これはただの番号だ」
そういうと彼女は喉の奥でかすかにしゃくり上げながら笑い、そして言った。
「ただし、条件付きだ」
その言葉に首をかしげる。
「もしそうするのなら、お前の名は私がつける。それから、その前に私の話を聞いてくれないか。その話を聞いてそれでも私といてくれるのなら、その時はお前から名をもらう」
少女が坐り直す。片足を立て、もう片方の足を畳んで指先で体を支える。背筋を伸ばして、一番正式な座り方だ。僕の背筋もつられて伸びる。彼女は唇を噛み締め、強情な色を瞳に浮かべて、それでも怯えていた。必死に自分を鼓舞する顔をしていた。僕は聞いているよ。大丈夫。
「話がある」
ゆっくりと、頷いた。




