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狼の仔  作者: 加密列
第二章 逃走
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想いと怯え

少女


外ではふくろうの鳴き声が響いているのだろう。そんな夜だ。


「食料は僕が獲ってくる。おまえはここを出るな。絶対に」


大丈夫。分かっているよ。


「見つからないか?」

「大丈夫。僕が気配を消すのが上手いのは知ってるだろ?」


おまえがそんなへまするなんて思っていない。気配を消すことにかけて彼より上手い人を私は知らない。彼なら、大人の手練れも欺くことができるだろう。だが…


「獲物の方は気配がするだろう」


倒れるその瞬間に。獲物は私達の都合に合わせて倒れてはくれない。もし、見つかってしまったら。もし、捕まってしまったら。もし、彼が…。嫌な想像ばかり膨らんでいく。身震いした。


「大丈夫だ」

「なんの根拠があってそう言えるんだ」


信じられないほど弱気な自分に自分でも驚いた。彼を失いたくない。それだけでこんなに弱くなってしまうのか。守りたい者が、いるだけで。


「見つかるかもしれない。そしたら死ぬ。狩をしなかったら餓死する。狩をしても見つからないかもしれないが、狩をしなければ確実に死ぬんだよ。生きるんだから、僕たちは」


いつも柔和な彼が強い口調で断言した。弱気になっていた自分を見透かされたようで背筋が無意識に伸びる。彼は腹を括った。私がそれを信頼出来なくてどうする?


「…たしかに」


ちくしょう。私にできるのはここで待っていることだけか。待っているのは辛い。何も出来ないような、無力感に襲われる。だけど、私が行けば彼も危険になる。私はまだ本調子じゃないし、行っても足手まといだ。頭では分かっているのに。


「行ってくるよ」

「ツィン」


言ってしまってから、まだ彼の名を聞いていない事に気づく。五番目の子。それは名前じゃない。


「必ず、無事に帰ってきてくれ」


頼むから。


「寝てていいからな」


少年が身をひるがえす。その気配がそとに駆け出していくのに耳を澄ませた。彼がいなくなるだけで、慣れ親しんだ岩穴がひどくよそよそしく感じられる。私が頼れるのは本当に彼だけなのだ。彼が今の私のすべてで、なによりも守らなければならない者。それなのにこんな風に一人で狩に行かせている。私はずるい。


無意識に火から遠ざかり、壁際に座る。膝を体に引き寄せるとその上に顎を乗せた。赤々と燃える火が時々ちろちろと踊る。ツィンは寝ていいと言ったけれど、眠るなんてとても無理だ。そこまで神経が図太くない。ますます膝を引きつける。自分の体の温かさは分からなかった。


(私、どうしてここにいるんだろう)


いつどこでこの道に足を踏み込んだのだろうか。私には分からない。考えてもしょうがないことだ。今から別の道を選ぶのはとても無理なのだから。


(ツィン、早く帰ってきて)


言葉なんていらない。ただ、いてくれるだけでいいから。



***



少年


(ツィリには啖呵をきったけど…)


本当は怖かった。


あの不安げな顔がよみがえる。そして、ようやく見せたあの笑みも。必ず生きて、帰る。もう一度、彼女の笑顔を見るために。決意を胸に僕は岩穴から一歩を踏み出した。


追っ手はどこかに網を張っているのだろうか。もしそうだとしたら、僕らがこの周りにいることはばれているという事になる。そうなると早いうちに森から出た方がいいのだろうか。それともほとぼりが冷めるまであそこに潜んでいた方がいいのだろか。動かない方が得策か、それとも一刻も早く遠くへ行った方が良いのか。と、ほんのかすかに、足音がした。僕じゃなきゃ聞こえなかっただろうな。とっさに木の後ろにしゃがみこむ。気脈に意識を繋げ、気配を消す。少しの間を置いて…


「もうとっくにここから逃げているよ」

「ああ、そうだな」


男が二人。会話の内容からおそらく「牙」の追っ手だろう。僕らはいないと思われてるのか。安堵したのは一瞬だけだった。


「こんな事言い続けても、森の外れの網にはかかってないぜ」


心臓が跳ね上がり、口から飛び出しそうだ。


「その日のうちに森から出たんだろ」

「街の刺客も成果なしだ」

「何故たかが餓鬼にこんなに時間をかけるんだ?」

「知らねえよ、そんなことは。よっぽど悪いことでもしたんだろう。それかよっぽど知られたくない事を知ってしまったか」


理由なんて僕も知らないよ!こっちが教えて欲しいくらいだ。


「ちょっと異常だよな」

「もうとっくにここから逃げているよ」

「ああ、そうだな」


そして去っていった。僕は動けなかった。今の話で頭と心臓が破裂しそうだ。なんとか忘れようとする。この事は彼女とじっくり考えよう。今は狩に集中しなくては。昔父さんに習ったように狼の遠吠えを真似る。森がざわついて、鳥が飛び出した。手早く捕まえて狩の痕跡を消す。僕は静かに駆け出した。まだ近くに追っ手がいるかもしれない。帰らないと。



岩穴が見えて、急に体が重くなる。あともう少し。もう少し…。やっとの思いで穴にたどり着く。投げ出すように体を穴に入れると少女が顔を上げた。


「お帰り。早かったな」


彼女はかまどの火をおこしていた。入ってくる気配に気づいたのだろう。一睡もしていないのは明らかだ。その顔を見たら、もう我慢できなかった。膝が震えて、耐えきれずその場にしゃがみこんだ。歯の根が合わない。


怖い。初めてそう思った。これは大変な道だ。生半可な気持ちじゃとても耐えられない。だけど、これをツィリ一人に背負わせるなんてとても無理だ。こんな物を一人で背負ったら、壊れてしまう。僕は唇を噛み締め、自分の気持ちを固めた。決して揺らぐことのない一本の道。僕が選んだ生き方。それがはっきりと見える。これに命をかけると、もう決めた。たしかに、目の前に。



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