揺れる心
少女
(神経が図太いのか、鈍感なのかわからないな)
すでに寝息をたてている少年のとなりで私は思わず苦笑した。隣に確かな体温がある。地下牢に慣れた私にはそれが一際温く感じられた。彼といると体だけではなく凍り付いていた心さえ少しずつ溶かされいくような気がする。
不思議なものだ。今朝は自分の死を疑っていなかったのに、今もこうして生きている。誰よりも会いたかった人が隣に寝ている。本当に死の一歩手前まで行って引き返して来たんだ。そんな事があったのに、彼がいるだけで安心してしまうのはなぜだろう。
(そんなんじゃ駄目だ)
そんなんじゃ別れる時に辛い。彼も一時の気の迷いだろう。明日になれば臆して逃げるに決まっている。その方がきっとお互いにいい。だから、期待しちゃいけない。そう思うのに。
(今日だけは、お前を信じていいかな)
本当に、今日だけだから。一夜だけ安心して眠れる日。でも、まだ眠らない。考えるべきことが残っているのに、眠るわけにはいかない。まだ、眠れない。私は本気で死を覚悟していたし、もう逃げないと思ってもいた。だが、いや、だからこそ今は死にたくない。あの世に片足を突っ込んで戻ってきたからこそ死が怖い。そんな風に思ったのは初めてだ。父さんも、死が怖かっただろうか。自分が無に還る事を、恐れただろうか。死を選んで仕舞えば後は簡単だ。何もなくなるだけ。だが、生きるのは難しい。険しく、辛い。
だけど、
(なんだ、お前の勇気はそれっぽっちか?)
父ならきっとそう言う。私はまだ死なない。少なくとも彼がここにいる間は。私はツィンに私の死体など見せたくないし、私の後始末もさせたくない。だから今は生きる。後のことは、まだ考えない。それから考える事がもう一つ。さっき何気なく彼が言った事だ。
(あいつも、対の子?)
私も十四、彼も十四。私も、ツィンも対の子。
(まさか)
頭がはちきれそうだ。「ナダッサ」の村は「牙」、「翼」のほかにも「鉤爪」「嘴」「針」がある。それでも、ツィンと私が対の子だという可能性はどれくらいあるだろうか。いや、ちょっとまて。彼の父親は死んだらしい。ただ、それをやつが直接知っているとは考えにくい。正しく言うと「死んだと聞いた」だろう。
もし、彼が私の対の子だとしたら、父親はカラッドということになる。カラッドは生まれた子の名前すら知らないと言った。五つの村で同じ年に父親のいない対の子が二組もいる?そんなことがあるとは思えない。
つまり…十中八九、ツィンと私は対の子だ。俗に言う運命の相手ってやつか。「運命」を憎んで殺されかけたのに、救ってくれたのは運命で結ばれた相手ってか。皮肉な話。私は運命も神も信じないし、そんなもの糞食らえだと思う。だけど、あいつに会えた事は、それだけは神に感謝してもいいかもしれない。
(なに下らないこと考えているんだ)
鼻で笑うとツィンがかすかに身じろぎした。
「…どうして笑っているんだ?」
起こしてしまったか。悪い事をした。
「笑うしかないから」
「…そうか」
そのまま何も言わない。隣を見ると、彼はもう寝てしまっていた。私も寝ないと明日がもたないな。手足が鉛でもつけたように重くなり、まぶたを開けていられない。どうあがいても無駄だ。そのまま暗闇に呑み込まれていった。
***
少年
「何故だ?」
「何故私を捨てた?」
遠くから声が聞こえる。その声に、聞き覚えがある。
「どうして」
今度は近くで。かすかに腐臭が漂う。どこか甘ったるい、胸の悪くなるような臭い。
「育ててやったのに」
「拾ってやったのに」
やめてくれ。
「薄情者」
「裏切り者」
お願いだから。
「何故だ」
「どうして」
助けて。
「おまえなど」
やめろ!やめてくれ。
「…ン!」
額にひんやりとしたものが当てられた。そこからゆっくりと気が浄化される。僕を生者の世界に引き戻そうとする。
「ツィン、起きろ!」
ああ、助けに来てくれた。安心したその時、
「逃がさない」
肩に手がかかる。その顔は…
「いやだ!」
飛び起きる。びっしょりと寝汗をかいていた。
「嫌な夢を見たのか」
僕の顔を覗き込み、心配そうな顔をしているのは…
「ごめん、起こしてしまった?」
自分のものとは思えないほどかすれた声だった。僕を見下ろしていた少女が鼻で笑う。心なしか顔色もよくなったようだ。
「もう昼近い。とっくに起きてた」
…そうか。すごい体力だ。彼女がふと真顔になる。
「本当に大丈夫か?今からでも帰った方がいいと思うが」
馬鹿にするな。夢なんて…夢なんてただの夢だ。
「冗談じゃない。絶対に帰らない」
もう半ば意地だった。どの面下げて彼女に自分の裏切りを告げる?どの面下げて村に帰る?そんな事出来ない。全てを覚悟してツィリをここまで引っ張ってきたんだから。僕がどれだけの覚悟を決めたと思っている?
それに…僕がいなければ、あいつは死を選ぶんじゃないかとも思った。処刑場の少女はあまりにも抵抗しなかった。生に執着がないように見えた。初めて死を怖いと思った。死は僕からあまりにも多くを奪っていく。だから、僕は彼女に絶対生きていて欲しいから、僕はツィリから離れない。彼女が思っているよりもずっと彼女の命は大事だ。
「正気か?」
「今までにないくらいね」
ツィリがため息をつく。
「わかったよ」
目元をかすめたのは、あれは表情だったのだろうか。
「帰りたくなったらいつでも言ってくれ。頼むから」
彼女がぼそっと言った。僕は答えられなかった。答えたらきっと何か違うものになってしまう気がしたのだ。だって、あれは僕の両親だった。僕を罵り、奈落に引きずり落とそうと迫っていたのは僕の両親だったのだ。大切な親にそんな姿をとらせて辱めた自分に吐き気がするほどの憎しみを覚えた。僕は弱い。両親がそんな事願うわけもないのに。自分が罪悪感を抱いているからとあんなに貶めて。
(ツィリ…)
お前は強いな。運命を変えたいと願うことなど、僕にはできない。彼女と同じ状況になっても、きっと僕は何もできないだろう。彼女のように少しでも強くなりたい。弱いのは嫌だ。弱かったら、生きられない。つよく、強く。
僕は脱ぎ捨ててあった衣を身につけ帯を結ぶと立ち上がった。




