刃の先
少女
一気に喋ってしまってからふと我にかえった。喋りすぎた。聞いて心地よい話じゃない。こんなに内面を曝してしまったら、彼をますます引き込んでしまう事になる。それは…私の本意じゃない。
無言で正面に座る少年にちらりと目をやり、少年の視線から逃げるように面を伏せた。彼が自分を責めないと分かっているから。責めるでもなく、憐れむでもなく、畏れるでもなく。彼はただただ悲しんでいた。何故だろう。カラッドの前では全く同じ思い出せなかった事が、彼の前ではまるで物語を諳んじるようにすらすらと出てきた。自分が父を殺した事実から逃げようと封じ込めていた物語が。
(逃げてはいけないと、思っていたのに)
無意識に楽な方へと逃げていたんだ。最低だ。私が許せない。逃げるくらいなら死んだ方がましだと思っていたのに、体は負担を和らげようとする。それに甘えて身を任せてしまった自分が信じられなかった。
「もう」
自分の声が岩穴に響く。どこか知らない人の声みたいだ。
「元には戻れない。一生背負い続けなければならなくなってしまった」
血を分けた父を殺した、その手応えを。手に着いた血は二度と拭えない。
「ツィリ…」
彼が囁く。
「ごめん」
何に対する謝罪なのかはわからない。
(どうして謝るの?)
どこまでも彼は悲しんでいた。いっそ責めてくれれば、憐れんでくれれば、自分の中にとじこもれたのに。悲しまれてはそれすらできない。
(私は、悲しい?)
心の底で声がした。恐怖に震えながら、問いかけてくる。
(分からない)
ぞっとするほど冷えた声がそれに答えた。自分の中の一番冷えたところが。自分が父の死を悲しむ資格などないのではないだろうか。自分が何をしようとしているか分かって、それでも殺したのだ。全てを受け入れる覚悟で短刀を投げたのだから。己の全てを、短刀の刃に乗せたのだから。いや、そうじゃない。悲しまないんじゃない。悲しめないんだ。ふと、気がついた。父を殺してから、自分が一度も泣いていないと。心の底から、笑っていないと。自分が殺したのは父さんだけじゃないと、震えと共に悟った。
私は父さんに短刀を投げただけじゃない。己の魂にもまた、刃を投げこんだのだ。己の魂をも、殺したのだ。人を殺すなんて造作もない事だと思っていた。無に還るだけ。命じられたらやる事。そう教えられてきた。人を殺すことは、己をも殺す事だと、何故どうして誰も教えてくれなかったのだろう。どうして。どうして、自分で分かる事が出来なかったのだろう。
私はもう死んだ。一度死んだんだ。武術を学んでいる事と人を殺すことはこんなにも違うのに、そんな事を思いもしなかった。本当に、刃で斬り裂いて解決する事などわずかだ。
(もう、元には戻れない)
固く瞑った目を開けることができない。
薪が爆ぜる音が虚しく響いた。
***
少年
ゆっくりと息を吐いて初めて、自分が息を詰めていたことに気づいた。ツィリの話はあまりにも残酷で、あまりにも悲しかった。自分が潰されそうになるくらいに。自分が何をしていいのか分からなかった。まるで熊に乗られているように体がうごかない。だって、彼女の前に何ができる?全てを捨て去ったような顔をしているツィリに?
前にはなかった殺伐とした気配をまとった少女は無表情に炎を見つめている。寄らば斬るとでも言うような気を全身から発している。だけど、たとえ斬られても僕は彼女に寄らないと。それくらいの覚悟がなければとても生き残れない。ツィリに少しでも苦しみから放たれてほしい。僕にそんな力があるなんて思えないけど、僕が彼女の苦しみを和らげてあげられないだろうか。いや、力がなくてもやるしかない。それには、僕がなによりも彼女を受け入れなきゃ。気がつくと勝手に口が動いていた。
「僕の父さんは僕と血の繋がりがない。」
ツィリがかすかに顔を上げた気配がした。
「母さんは僕が生まれてすぐに、自分の村を出た。『翼』にたどり着けてよかったと母さんは言っていたよ」
つとめて淡々と。明るく。今この瞬間だけでも、僕は彼女の光になろう。
「対の子を持つ一人親なんてほしがる村ないからね。だけど『翼』では…」
不意に彼女が顔を上げた。目がわずかに見開かれている。
「今、なんと言った?」
その剣幕に一瞬たじろいだ。なんかまずい事言ったか?
「対の子をほしがる村などない、と言ったが?」
「おまえ、対の子だったのか?」
「そうだ。それがどうした?」
「いや…私の知り合いにもいるんだ。おまえ、いくつだ?」
「十四」
「そう、か…じゃあ、ちがう、かな」
歯切れが悪い。しばらく考え込んでいたようだ。あまりにも静かだから寝てしまったのかと思った。そっと呼びかける。
「ツィリ…?」
お前、まだそこにいるよな?
「おまえ、生まれた村は、分かるのか?」
かすれて、聞き取りづらい声だった。
「いや、母さんは教えてくれなかった。それで、良かったのかは、分からないけど」
そして、もう知る機会はないだろう。もう、二度と。
「そう、か…」
腕を組み目を閉じて何やら考え込んでいるが、その顔に疲れが影を落とす。投獄されるのが楽だとは思えない。せめてゆっくり休んでほしい。それに僕も眠たかった。昨日は緊張で一睡もできなかった。彼女が殺されるかもしれないと思ってからは満足に寝られた試しがない。毎晩のように悪夢に飛び起き、頰を濡らしていた。
「もう寝ろよ。忘れてるかもしれないけど、お前、殺されかけたんだよ?」
むしろここまで起きていられたことのほうが理解できない。
僕はまもなく、深い眠りに滑り込んでいった。




