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狼の仔  作者: 加密列
第二章 逃走
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理由

少女


(逃げないと)


それしか考えられなかった。自分がどこに向かっているのかも分からない。


「ツィリ」


肩に手がかかる。やめろ。触るな!


「離せ!」


相手に斬りつけかけたが、


「ツィリ!」


頰に衝撃が走り、よろめいた。


「…ツィン」


彼に頰を張られたのだと気がつくのに少し時間がかかる。


「ごめん」


彼がうつむく。


「いや、取り乱してた。叩いてくれてありがとう。正気に戻った」


彼は血の付いた剣を下げていた。まさか…いや、今は訊くまい。


「逃げよう」


頷きあった。


「こっちだ」


ツィンがさきに立って走る。


「ここに入る」

「…冗談だろう?」


ツィンが逃げてきたのは村から程近い岩穴だった。


「私の村でここに一回でも入った事のないやつは三つより下のやつだけだ」

「大丈夫。少し登ってもらうよ」


は?


「ここだ」


彼はするすると岩を登り、上の細い裂け目に潜りこんだ。


「早く。追っ手はすぐに来る」


口に刀を咥え、岩を登り始める。裂け目に入ると意外にも大きな空間があった。


「ここ?」

「いや、まだだ」


そう言うと今度は下の方の穴に滑り込む。そして左に曲がって…。


「ここだ」


ツィンが得意げに言う。彼が手早く火をつけるとその空間の全てが見えた。住むには困らぬほどの広さがあり、真ん中には小さなかまどまである。


「小さい時に偶然見つけたんだ。かまどを作ったり大変だったんだよ。ほとぼりが冷めるまでここにいよう」


は?今なんと言った?


「お前も住むのか?」

「悪いか」

「ふざけるな。お前には家族だっている。罪人でもなんでもない。ここに来るまで助かった。助かったからお前はもう帰れ」


お願いだから私には関わるな。


「ふざけるな?お前こそ状況を整理しろ。お前をほっとけるわけないだろ。それに今出て行ったら追っ手と鉢合わせする。お前は顔色も悪いし、第一…」


そこで顔を赤らめてうつむく。


(ん?)


私はしばらく考え…


「しまった!」


私は今、肌着しか身につけていないじゃないか!


「ごめん。服くらい、もってくるべきだった」


ちょっとありえない格好で彼の前に座っていたのだ。私に丸みがないというのはおそらくあまり問題じゃないのだろう。気まずい顔するのも当然だ。


「しょうがないよ。あの状況じゃ。だけど…」


服が調達できるまでしばらくかかりそうだ。おもむろに彼が服を脱ぐ。


「これ着ていてくれ。僕が気まずい。替えは持ってきているから」


目は合わせない。


「…ごめん」


さっきから謝ってばかりだ。


「腹は減っているか?」


聞かれてから自分が四日間握り飯で生活していたのを思い出した。


「一日握り飯一つで四日間閉じ込められていたんだ」


腹は減っている。と、気が乱れた。


「追っ手だ」


彼が素早く火を消す。



真っ暗な中で四半刻(約30分)も待っただろうか。追っ手が出て行く気配がした。


「もう大丈夫」


立ち上がろうとした彼の腕を掴んで引っ張った。横に首を振る。


「今は駄目だ。きっと戻ってくる」

「は?」


腕を握る手に力を込めて待つ事少し。もう一度、今度はもっと静かな気配が入ってきた。さっきのは見せかけだ。さらに息をひそめる。心臓を止めてしまいたいと思った。こんなにうるさいものが自分の体には入っていたのか!



半刻は待っただろう。気配は今度こそ出て行き、自分が息を詰めていたことに気づいた。


「腹が減ったな」


独り言のように彼がいい、腰につけた巾着を探った。中から出て来たのは…


「ファイか!」


硬く焼いた旅用の焼き菓子。長持ちするし、かさばらない、山越えに最適な食べ物だ。一口齧ると…


「美味しい」


そのまま一気に詰め込む。彼の目が笑っていた。


「なあ」

「ところで」


二人の声が重なった。


「お先にどうぞ」


ツィンにゆずる。自分の言おうとしている言葉を少しでも先送りにしたかった。


「お前はなんで追っ手が戻ってくることに気づいたんだ?」


なんだ、そんなことか。


「『牙』では狩をする時、同じ所を一度目と二度目に分けて狙うことがある。特に賢い動物が相手の場合、一度目では捕まらないことが多い。危険を察知して逃げようと隠れ場所から出て来る所を捕まえるんだ。そのために一度目はかなり騒々しい。相手に、ここにいては危ないと思わせるためだ。今日、一度目の追っ手は騒々しかった。私たちはまだ餓鬼だし、一度目が去ったら緊張が緩んで尻尾を出すと思ったのかもな」


つぎは私が質問する番だ。


「一つ目。人を殺したりは?」


お願いだ。


「していないはずだ。急所は切らなかったから。気絶した奴はいたけど」


自分の気が隠しようのないほど弛緩する。よかった。ツィンはまだ人を殺す事を知らない。本当によかった。


「二つ目。なぜ私を助けた?なぜ私と逃げようとする?お前には家族がいるのに。私を助けたらもう元には戻れない。それは分かっていたのか?」


自分の思いを言葉にするとすれば、感じていたのは恐怖に近かった。人に大切にされる資格など私にはないから。



***



少年

彼女は痛々しいぐらいに本気な顔をしていた。僕が誤魔化そうとしたらきっと一発で見破るだろう。迷わない。答えは分かっているから。


「戻れなくなるとは承知の上だ。なぜお前を助けたかは…きっと僕にお前が必要だったからだと思う。お前が処刑された後、自分がどう生きていけるか、想像も出来なかった」


そうとしか言いようがない。そうじゃなかったら僕はこんなに本気にはならない。


「ずいぶんと大げさだな。会ってから三月の相手に」

「逃げようと思ったのは…よくわからない。それしか選択肢がなかったんだ」

「ふざけるな。そんな説明で納得できる訳ないだろう。親はどうした。今頃心配しているだろう?罪人として、捕まっているかもしれない」


それは…分かっている。


「とんだ親不孝者だとは思う。ただ、本当に選択肢がなかったんだ。それ以外、考えられなかった。自分の判断が親を殺すかもしれないとは分かっている。それでも…」


彼女の表情が暗くなる。ああ、しまった!ツィリはつい最近自分の親を殺したんだ。なんて無神経な事を言ってしまったのだろう。自分を殴りつけたかった。


「私に…」


え?声が小さくて聞こえにくい。いつもはきはきと喋る彼女が口ごもっていた。


「私に、お前の親まで殺させる気なの?」


彼女がどんな顔をしているかは見えない。ただ、全身から悲しみが伝わってきた。彼女自身も、きっと自覚していない苦しみと悲しみが。


「そんなつもりはない」

「でも、そういう事になるんだよ!お前がどんなつもりかなんてどうでもいい。私は、私は…」


言葉にならない。そんな様子がうかがえた。


「ごめん。本当にごめん。だけど、僕はもうここにいるんだよ。僕はもう、自分の親を捨てて来てしまった」


自分の言葉にどうしようもないほど胸が痛んだ。僕は、自分の親を裏切った。あんなに大切にしてもらったのに。


「私がなぜ、父さんを殺したか、聞きたい?」


ああ。


「それは訊くつもりだった」

「最初はそんなつもりなかったんだ。父さんを殺そうなんて思っていなかった。ただ、家族として、最期を見届けなければならないと思っていた。叔父と母と、私。周りには見張りがいた。父さんは八つ串の刑に処されていた。あまりにも、酷かった。その時、」


顔が歪む。


「その時、叔父が、言ったんだよ。これも運命だ、と。しょうがない、と。叔父は…叔父は、嗤っていたよ。叔父は、父を嵌めたんだ。父さんは、何もしていなかった。冗談じゃないと思ったよ。運命なんて、起こった事の都合のいい逃げ口上に過ぎない」


息を吸う。感情の起伏は声からは読み取れない。淡々としたその声がかえって彼女の激情を表していた。ツィリは感情に身を任せる事が多い。だけど本当に怒った時は、もはや感情を露わにしない。


「私は、叔父が信じている『運命』を変えたかった。嵌められて、嬲り殺されて、辱めを受けながら、死んでいく、私の父。そんな、叔父の描く運命を変えたかったんだ。…たったそれだけで、私は父を殺した」


彼女の声はただただ乾いていた。まるで泣くことを忘れてしまったかのように。

炎が揺らめいて、沈黙が落ちた。


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