処刑 挿絵有り
少女
牢の格子戸が騒々しく空いて、私は目が覚めた。数人の男が私を立ち上がらせる。
「こいつ、処刑の日に寝ていやがる」
そう言ったのはだれだろう。寝てはいけないのだろうか。それより…
「私は十四だ。自分で歩ける」
「おまえが逃げないようにだ」
そんなに信用がないのか。村の居住地に入ると、誰かが石を投げてきた。首をすくめると石は頭上を通過し、私をおさえていた男の一人に当たった。
「誰だ!」
そいつが怒鳴る。耳元で大声出すな。しかしその男はすぐに機嫌を直すと私に話しかけてきた。
「おまえ処刑が怖くはないのか」
耳に黒子がある。もう聞き飽きた質問にため息をつきながら答えた。
「子どもに残酷な刑は与えない。一瞬で終わる。自分で選んだことだ。甘んじて受け入れる。それに、怖がっても怖がらなくても死ぬ事に変わりはない」
あのまま生きていても握り飯じゃすぐに死んでいただろうしな。
「…そうか」
耳黒子は再び前を向いた。しかし、と思う。知らない人が多いな。「牙」には何人の人が暮らしているのだろう。そうこうしているうちに処刑場に着いた。結局何人の人が暮らしているのか知らないまま終わるんだな。目の前には磔がある。手首が痛そうだ。少し、処刑が嫌になった。まあ、仕方ない。すぐに処刑人が来て、手首を磔に縛られた。服もぬがされ、身につけているのは肌着のみだ。もう、死から逃げられない。私は磔ごと担ぎ上げられ、処刑場へ引き立てられていった。
*
純粋な恐怖。それが私の感じた正直な気持ちだった。今まで仕方ない、と割り切っていたつもりだったが、死が怖いと認めようとせず、目をそらしていただけだったのだろう。死を恐れた事などなかったのに、自分が殺されるとなるとやはり恐怖を感じる。…私も案外くだらない。声を上げて笑いたくなった。後悔はしていない。反省もしていない。もしあの日を最初からやり直せると言われても、私はきっと同じ事をする。何度でも。
でも…やっぱり怖かった。だが、怖がっても私が死ぬ事に変わりはない。私にできるのは恐怖を表情に出さず、傲然と自分の死を見つめる事だけだった。そう、見ているやつらが恐れを抱くくらいに、顎を上げ、胸を張って。
*
「辞世はないという事でいいかな」
そのこえで我にかえる。いや、
「辞世ではないが、一つ言わせてくれ」
「許す」
見物人の中に叔父を探す。…いた。こっちを見ているその目を真っ直ぐに見返し、ゆっくりと微笑む。
「叔父上。あんたを必ず、殺しにくるよ」
死んでもあんたを生かしちゃおかない。無表情な叔父にもう一度、無邪気な笑みを向け、私は処刑人に言った。
「お願い、します」
もう表情は浮かべない。もう怖がらない。自分の命を絶つその刃を見つめる表情が抜け落ちていった。と、突然見物人の後ろで悲鳴が上がり、人垣が崩れ、
「っ!」
二本の矢が飛んできて私の手首の紐を一気に断ち切った。相当な腕だ。否応無く地面に投げ出された私はしかし、驚きに言葉もなかった。いち早く状況を理解した処刑人の一人が駆け出して行ったがすぐに倒れていくのを見て、処刑場は阿鼻叫喚の有り様だった。おそらく、処刑に興奮して冷静さを失っていたのが仇となったのだろう。私は地面に座り込んだまま動けなかった。
(嘘だろう…)
一瞬見えたのはあまりにも見慣れた顔だった。見知った、金茶の目。
「ぐあぁ!」
上がった叫びは誰のものだろう。現実に呼び戻された私は自分の命を絶つはずだった刀を手に取り、駆け出した。
***
少年
「叔父上。あんたを必ず、殺しにくるよ」
もう間違えない。迷わない。彼女の声を聞き間違えるはずなかった。法螺貝が鳴る。もう、始まる。この一瞬を逃したら、もう次はない。彼女を殺させる訳にはいかない。彼女を僕から奪うなよ。彼女を殺す事は僕をも殺す事だ。ツィリは反撃できないかもしれないが、僕はまだ牙を剥ける。僕達は五番目の子。どちらか片方がまだ動けるのなら、まだ負けてはいない。命をかけてもあいつを取り返してみせる。それだけの覚悟があるのか?…受けてたってやろうじゃないか。血潮がなっている。かつてないほど興奮していた。
一晩潜んでいた藪から飛び出して一気に駆け出し、人垣を押しのけた。一瞬磔にされた少女が見える。その瞬間冷水を浴びせられた気分になった。ツィリの死は、こんなにも恐い。死は無。それ以上でもそれ以下でもないと思っていたのに。混乱を誘うために自ら悲鳴をあげる。抜刀はせず、弓に矢をつがえて連射した。
ツィリが磔から落ちたのを目の端で捉え、僕は彼女に向かって走った。
処刑人の一人が駆けてくる。礫を打つとあっけなく倒れた。早く、早く追いつかなきゃ。彼女を守らなければ。僕の闘いはまだ始まったばかりなんだから。ここでしくじる訳にはいかない。なんとしてもここをやりぬかないと。まだ剣は抜かない。殺気に顔を向けると、
「やっ!」
横から気合いと共に剣が振り下される。短い得物だが、振り下ろした時に最も威力を発揮するよう、刀身が大きく反っている。弓では受けきれない。とっさに体を開いて避けると、弓の先端をこめかみに振り下ろした。ぐっと確かな手応えがして、
「ぐあぁ!」
倒れたそいつは、よく見ると自分と変わらないような少年だった。まだあどけない少年の顔。ナダッサにしては色が白い。傷口から一筋、血が流れ出る。白い顔にその血は艶やかな軌跡を描いた。不思議と美しく、現実味がない。胸はまだ上下しているようだ。気を失ったようだった。
(きっと死んでない。大丈夫)
自分に言い聞かせて必死に前へと切り進む。彼女のところに行かなくては。と、ツィリが走り出した。
(急げ!)
いつ罪人の逃走に気づかれるか分からない。相手は次々に現れた。
(邪魔するな!)
抜剣すると急所を外して次々に斬りつける。人目を自分に引きつけながら、それでも、追いつかなければならない。
「退け!」
目の前の相手のみぞおちに蹴りを叩き込み、僕はその後を追った。追っ手は一度戻って体勢を立て直してくることにしたようだ。しばらく走ると背後の気配は感じられなくなった。さすがにツィリは走るのが速い。しかも怯えているようで、手負いの獣のような走り方をしていた。その肩に手を掛ける。その肩ははっとするほど細かった。
「ツィリ」
「離せ!」
彼女が血走った目で僕に刀を振り下ろす。剣で受けると澄んだ音がした。力任せに押してくるのを逃して体を開く。彼女が体勢を崩した。
(ツィリ!)
思い出せ、お前の事を。僕は渾身の力を込めてその頰を張った。早朝の森、怖くなるほど澄んだ音が高らかに響いた。




