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狼の仔  作者: 加密列
第一章 邂逅
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親と子

少女


「心臓ではなく頭でものを考えろとあれほど言っただろう。感情だけで行動するな!」


父に耳元で怒鳴られた気がしてはっと目が覚めた。


「父さん?」


頭を起こし、周りを見回す。無慈悲な土壁が見返してきた。不自然な体勢で眠っていたせいで全身が痛い。特に肩の傷が引き攣るように痛んだ。その痛みが否応無く私を現実に引き戻した。ああ…父さんは私が殺したんだ。膝を抱えてうずくまる。私は私ではなくなってしまった。もう、元には戻れない。穢れのない私は、どこにもいない。



光が差し込んできて、するすると縄が降りてきた。縄の先には飯の入った籠がぶら下がっている。中身は…。今日も握り飯ひとつだ。ここは村の地下牢。私は罪人としてここにいる。しかし三日もここにいるとさすがに飽きる。


「おい」


上にいるはずの牢番に声をかけた。


「一日に握り飯ひとつじゃ遅かれ早かれ人は死ぬんだよ」


上から顔をのぞかせたのはキィナだ。


(キィナ、どうしてそこにいる)


私よりふたつ年上の彼女は真顔で言った。


「その前に処刑されるでしょ」


彼女はこの村で一番私を理解している。つまり、私は助かろうと思ってないが、絶望している訳でもないと。父さんを殺したとき、私は自分で自分の世界を終わらせた。ここにいるのも、そんなに悪くない。恐れる理由がないのに絶望出来る訳ないだろう。


「…確かにね」


キィナに言うともう一度眠るために私は目を閉じた。いや、見たくないものに目をつむった。キィナが悲しい顔をするのなど見たくない。処刑は明日の朝。



「ツィリ、起きろ」


…うるさい。


「五番目!」


はいはい。


「フェン、うるさいよ」


目を閉じたまま言う。


「カラッドが来てる」

「しつこい」


格子の向こうにいるやつに聞こえるよう、大きめに言う。


「ご挨拶ですな、五番目の嬢」


あーあ、めんどくさいやつが来た。


「その呼び名、やめろって。カラッド」


無駄だとわかりながら一応言ってみる。案の定彼は無視した。茶色の髪を後ろでまとめた彼は私の尋問役だ。


「さっそくですが、尋問に取り掛からせてください」

「フェン、外して…しつこいってば。分からない事は分からない」


三日も同じこと聞くなって。握り飯といいこいつといい、退屈で死にそうだ。案外そういう刑罰だったりして。


「あなたはもっと真面目だと思ってましたよ」


勝手に表情を読むな。


「読めてしまうのだからしょうがないでしょう」


口にしなくても会話が成立するのはいいかもな。


「答えてもらわないと困ります」

「何回言ったら分かるんだよ。どうして父さんを殺したかなど覚えていない」


本当にしつこい。


「今日は少し、質問を変えます。あなたはあの世にいく上で、この世に未練がありますか?」


寸の間、時が止まった。


「あの世?」


あえて嘲笑を浮かべる。カラッドにではない。一瞬、未練について考えてしまった私自身をだ。一人の少年の顔が浮かぶ。彼の名を、聞く事はもうない。自分の太ももをつねり、考えを追い出す。


「あったらどうだというんだ?」


答えはないと思っていた。


「あなたの最期が変わります」


は?


「こんなことを教えてはいけないんですけど」

「どうせ殺すんだろ?くだらない。煮ようが焼こうが引き裂こうが、好きにしろ」


こいつはそんな事を言うためにここにきたのか。


「ごめんなさい。説明が足りなかった。刑罰はこちらで決めます。ただ…」


そこまでいったのになんで迷うんだよ。


「辞世を言う時間をとるかどうかが決まります」


は?辞世?


「ないよ」

「え?」


耳が悪いのか。


「この世に未練などない。そう、伝えてくれ」


ある訳もないのだ。全てを捨てたのだから。


「…分かりました」


カラッドの顔が一瞬痛みを堪えるように歪んだ気がした。


(…え?)


いや、この暗さだ。見間違えだろう。


「では。ツィリ嬢」


カラッドが出て行く。と、何かを落とした。


「おい、落とし…」


カラッドが強引に遮った。


「では、また」


外でフェンの声がした。脱走防止の戸が落ちる。光は通気口から洩れる一筋のみだ。足音が去ったのを確認してからカラッドが落としたものを拾う。紙だった。光にかざし目を凝らして読む。


「五番目の嬢 夜来る」


そこにはそう書いてあった。宛名に顔をしかめた私はその紙を口に含み、呑み込んだ。



「遅い」夜中に現れたカラッドに言う。


「すまない。フェンがまた…」


フェンはカラッドのもとで、住み込みで勉学を教わっている。


「分かった。もういい。本題に入ってくれ」


フェンが“入って’’しまうと大変なのはよく知っている。


「本題、と言うほどたいそうなものではないんです。あなた、本当にこの世に未練はありませんか?」


なんだよいきなり。

「ないといっただろう。何が言いたい」

「私はあなたに、生きてほしかったんです」


何を今更。


「何故?」

「わたしには十四年前にうまれた息子がいました」


十四年前?私と同い年か。


「彼は私から離されました。妻と共に」


離された?死んだわけではないのか。


「私の息子は、あなたと同じ日に生まれました」


息を呑んだ。カラッドが何故息子を失ったのか、分かってしまったから。


「対の、子…」

「私の息子はあなたの『対の子』でした。私達ナダッサの一族は、同じ日に生まれた二人以上の男女の子を、『対の子』と呼び、不吉だとして両親と共に、どちらかの子を他の村へと追い出してきました。ここまでは五つの子でも知っている話です。ところで嬢、あなたは追い出される子がどのように選ばれるのか知っていますか?」


え?


「くじじゃないか?」

「ええ、普通はそうでしょう。しかしあなたは…あなたは、村長の娘だった。私は、自分の息子を、失った」


くじは、なかったのか。


「何故あんたは一緒に追い出されなかったんだ?」


両親共に追い出されるんじゃなかったのか?


「ツィリ嬢、あなたは何故私が毎日あなたの所に来ていたのだと思いますか?」


それは相手の表情を人一倍読めるから…ああ、そうか。


「村長は私を他の村に渡しませんでした。息子の名前すら、私は知らないのに」

「そう、だったのか…」

「あなたがもし、村長の娘であることを鼻にかけ、威張るような娘だったら、私はあなたを憎むことができたでしょう。だが、あなたはそんな娘ではなかった」


…何が言いたい。


「だから私はあなたに生きてほしかった。顔も知らない私の息子のぶんまで」

「あんたの息子は死んじゃいないだろう」

「私は息子に生涯会えません。あっても、分からないでしょう。私は今朝、あなたに、この世に未練はありませんかと問いました。あなたの生に本当に未練があったのは、私です。あのような質問は命じられていませんでした。ここにきたのは、それがいいたかったからです」


そう言ってカラッドはでていこうとした。


「おい、カラッド」


本当に、本当にお前はそれでいいのか。でていこうとしていた彼は立ち止まり、振り返った。振り絞るように口を開く。私は格子に近づいた。


「最後に、一つだけ、口にすることを許してください」

「…許す」


カラッドの茶色の目が濡れたように光っていた。


「さようなら…私の娘」


カラッドはもう、振り返らなかった。


「ばかやろう」


私の声が地下牢に虚しく響いた。



***



少年


夜中。明かりのない家にひそやかに刃物を研ぐ音が響く。両親に気づかれぬよう静かに剣を鞘にしまった。かちりと刀身がはまる音にびくりと身をすくめる。どうしても、誰にも知られないで出て行く必要があった。


「牙」での処刑は明日の朝。これを調べるのにかなりの時間がかかり、人をあざむくような事もした。だけど、後悔はしていない。僕のできることは多くないけど、それでも何もしないではいられない。そこまで、冷徹にはなれない。だって親友の命がかかっているかもしれないのだ。どうか人違いであってくれと、そう思う。


(私が?お前は馬鹿だな。頭は正しく使え)


そう言う少女の声を聞きたい。馬鹿にされて、嘲られて、嗤われてもいい。だから、どうか嘘だと言ってくれ。だけど情報を集めれば集めるほどそれはツィリだという確信ばかりが大きくなるのだ。だから僕はそれを確かめる事にした。彼女の命は死んでも渡さない。だって僕はまだ彼女の名前を聞いていない。もし、もしも彼女が殺されそうになっていて、僕がそれを助けられたなら、その時はもう…。


隣の部屋から、父さんのいびきが聞こえる。父さん…血の繋がりがない、僕の父さん。僕は対の子で、他の村から追い出されたのだそうだ。そう十の時に聞いた。本当の父親は、僕が生まれる前に死んだ。そんな僕を、父さんは他の村人から笑われるくらい、大切にしてくれた。そう、僕のせいで、死にそうになっても。


母さんは今、父さんの隣で寝ている筈だ。僕を連れてこの村にやってきた母さん。父さんは一目惚れしたと言っていたのも頷けるくらい綺麗で、賢い人。僕が生まれた村を知っていて、でも、教えてくれない母さん。


家族を思うと心が揺れる。でも、行かないと。もう迷わないと決めたから。体が震える。腹の底から怯えが湧いてくる。



自分がしようとしている事がどんなに型破りで、大胆で、危険なことかそれは重々承知している。だけど、でも、自分にできることはしないと。初めて、本気で人を守りたいと思ったのだから。息を吸って、吐く。震えがゆっくりと治まっていく。もう、震えない。僕は彼女を助けないといけないのだから。処刑される瞬間、人の命はその人の支配下にない。それが処刑だ。殺される直前、命が奪い取られる前に、横から僕がかすめ取ってやる。僕は彼女が必要なんだから。


(父さん、母さん、本当にごめんなさい)


火口箱や食料、それに金などを盗み出し、少し迷ったが小柄を懐に呑んで、僕はそっと家を出て森を駆けた。耳の奥で鼓動が太鼓のように鳴っている。己の昂りを表すように。どうか間に合いますように。僕はますます足を速める。夜の森を飛ぶように駆けた。以前ならこんな事をしようなどと考えもしなかっただろう。だけど、やっと命をかけられる人を見つけたのだ。絶対に手放しはしない。この自分が僕は嫌いじゃない。その事に少しだけ驚いた。駆ける。駆ける駆ける。ただ、彼女のために。いや、彼女を想う、自分のために。



***



「翼」村


戸が閉まる音がした。


「ねえ」


震える声。


「ああ。分かってる」


分かりすぎるくらい、分かっているとも。


「本当にいいの?」

「彼なら、俺たちの息子なら、きっとうまくやれるさ」


父親は右腕を持ち上げ、母親をそっと抱く。母親が胸の中で嗚咽した。父親はしっかりと目を見開く。涙が、乾ききってしまうように。


ツィン、俺達の息子。たとえ全ての神がお前に背を向けようとも、俺達はお前を命がけで守ると、何があってもお前を信じ続けると、そう約束しよう。だから、どうか忘れないでくれ。お前はいつまでも、俺たちの息子なんだという事を。俺たちはお前を誇りに思っているという事を。ツィン。願わくばお前に名を授けたかったけど、それはもう望むまい。だが、これだけは俺はお前に自信を持って言える。お前はもう大人だ。俺たちよりずっと。だから、自分が正しいと思う事、自分でやってみろ。そう思っても心は千々に乱れた。この手からもう彼は本当に離れていってしまう。


息子よ、あなたに、きっと、きっと幸せがあらんことを

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