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狼の仔  作者: 加密列
第一章 邂逅
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殺し

少女


(父さん!)


飛び起きた。処刑の日。もう泣かない。そう決めた。戸が叩かれる。開けると父さんの弟が立っていた。


「…叔父上」


母さんと叔父と、それから私。家族として、父の最期を見届けなければならない。


(小さくなるな、胸を張れ!)


そう言った父さんは、いなくなる。いや、もういないのかもしれない。この世にあるのは処刑を待つ抜け殻。それでも、全裸ではりつけになった父さんはあまりにも弱り、あまりにも、生きていた。父さんの目には処刑に対する恐れさえ見る事ができなかった。死の救いまでは残酷な苦痛が待ち受けると言うのに。刑罰は八つ串の刑。簡単に言うと嬲りごろしだ。一瞬で命を奪うことに意味はない。死の救いを与えるのは飽きてからと言う事だろう。八人の男が四肢、肩、心臓と脳天に、一本づつ槍を刺していくのだ。ゆっくりと、踊りながら。私たちが到着すると、一人の男がボーと法螺貝を吹いた。儀式が、始まる。私の世界が、壊れてしまう。



火と水で清められた槍が処刑人の手に渡る。私たちがここに連れてこられた理由はただ一つ。家族の屈辱的な姿を見せつけ、村への絶対服従を強いるためだ。私たちの周りにいる者たちは、私たちが気絶したり、顔を背けたときに無理矢理最期を見届けさせるためにいるはずだ。そっちがそうくるなら…法螺貝が再び鳴る。踊り始めた男の一人が槍を振りかぶり、


「ひとーつ」


父さんの右手に、槍が刺さった。絶叫が響いて消える。血が噴き出した。そっちがそうくるなら、意地でも目をそむけない。


「ふたーつ」


父さんが呻く。声を上げないように食いしばった歯が、いまにも折れそうだった。隣に立つ叔父が言った。


「しょうがない。これは運命だ」


何故、どこでそれを感じたのかわからない。だけど、たしかにその時、叔父がひっそりと嗤った気配を感じた。


「みーっつ」


…時が止まった。間違いない。父さんは村を売ったりなどしなかった。父さんは嵌められた。そして、叔父はそれに関わっている。不意に白熱した怒りが身を焦がした。みぞおちが苦しい。こめかみが痛い。血潮が熱く滾る。


(…許さない)


冷徹な凄味を孕んだ声がする。心の奥底。自分の中の一番冷えたところから、怒りが噴き出した。こんなに怒ったのはきっと生まれて初めてだ。父さんを、返せ。私に世界を返してよ!こんな男のせいで、私はツィンに背を向けたの?

絶対に、許さない。


「よーっつ」


運命?ふざけるな。父さんが白眼をむく。父さんの運命は、ここで、辱めを受けながら殺されることだったのか?私の運命はこんなにも人を憎み、こんなにも無力な物だったのか?断じて否!


(もし、いまここでこの男を殺したら…)


私は罪人となり、処刑されるだろう。母さんは一度に二人の罪人を出した家の者として、村を追われるかもしれない。だけど、でも。


(それでも…)


もう自分の怒りを止められない。止める必要もない。だって私はこんなに貶められた。父さんは…父さんは!腰をそっと探ると短刀が入っていた。この点で私は舐められていたと言えるだろう。武器を取り上げられる事もなかった。だけど、私は今牙を剥く。目を瞑り、呼吸を整える。口元に、いまにも泣きだしそうな笑みが浮かぶ。昨日の鹿は、村への置き土産になるだろう。


「いつーつ」


さようなら。胸の中でそっと別れを告げ、私は短刀を投げた。まっすぐ、父親の心臓目掛けて。その瞬間、確かに父さんと目があったような気がした。



父さんの口からため息のように息が漏れ、ガクッと頭が落ちた。…私が、この手で、殺した。一瞬、水をうったように静まり返った処刑場は次の瞬間怒号が飛び交い、私に矢が襲いかかる。避けなかった。避けられたはずなのに、真正面からそれを受け止めた。肩に突き飛ばされるような衝撃。悲しい微笑みに顔を歪ませたまま、頰が地面に打ち付けられる。

刹那、悲しい誰かの目が見えた。悲しい、悲しい、金茶色の瞳。


(…ツィン!)


意識が、暗転した。



***



少年


ツィリの獲物と兎ニ匹を持ち帰って、僕の住む村、「翼」では村中が祭りのような騒ぎだった。晩飯には間に合わなかったが、その分凝った料理が朝っぱらから次々と出てくる。鹿は貰い物だと言ったのに、皆全く気にしない。男達は早くも酒を飲み交わしているし、女達もいそいそと料理をしている。美味しい部位があるとこっそりと葉にくるんで懐に入れているのには男も子どもも見ないふり。細かいことは気にしない、というこの村の風潮は自分にもしっかり受け継がれていたし、そんなこの村が、僕はけっこう好きだった。


だが、ひっきりなしに声をかけてくる人たちがいるのにもかかわらず、僕の心は沈んだままだった。鹿を一人で狩ったツィリを妬んでいる訳じゃない。勘違いをして、自分がとってなくても気にするな、と言った人もいた。めんどくさいから訂正はしなかったが、そんな事を考えている訳じゃない。別れるときに彼女が言った言葉が耳から離れない。


(あなたに幸せがあらんことを)


背を向けたままの彼女が。そのせいで昨夜は一睡もできなかった。目を閉じるたびに、あの後ろ姿が脳裏によみがえるのだ。一人で悩んでいてもしょうがない。父さんを探すと何人かの友人と酒を飲んでいるのが見えた。


「父さん?」


声をかけてから少し後悔した。完全に酔っている。


「おお、我が息子よ!美味い肉をありがとう!酒によく合うぞ」


…これだから酔っ払いは!酒に弱いくせに人一倍のむ。夜になる前に酔い潰れるのは確実だし、明日は二日酔い決定だ。まったく。


(我が息子、か…)


だけど、僕に友人ができたことを一番喜んでくれた、いい父だ。


「なにか用か?」


これは長老。良かった、長老なら知っているかもしれない。


「『幸せがあらんことを』と言うのはどのような時か、わかりますか?」


長老は少し考えてからゆっくりと言った。


「うちの村ではあまり馴染みがないが、『牙』村では、」


酒が入っている事を感じさせない真剣な表情だった。


「もう二度と会えないであろう相手への挨拶として使われる」


周りの音が遠くなった。頭の芯がしびれ、僕はたまらず、その場から逃げ出した。背後で父が呼んだような気もしたが、定かではない。ただ一刻も早くこの場を離れたかった。



どこをどう走ったのかまるで記憶にない。気がつくと彼女と初めて会った空き地に立っていた。彼女は「牙」の者だといっていた。彼女は間違いなく僕にもう二度と会えないと思って、いや、会わないと思ったのかもな。思ってから即座に否定する。あいつはそんなやつじゃない。空き地に一人立っていると、少しずつ頭が冷えてきた。だけど、まだ村には帰りたくない。考えを整理してみる事にした。


ひとつ、ツィリはなにかがあって僕にもう会えないであろうと思った。ふたつ、それは十中八九、昨日あいつがあんなに取り乱していた事と関係がある。みっつ、そしてそれを無理して饒舌になってまで僕から隠そうとした。まあ、逆効果だったが。よっつ、…だめだ、情報が少なすぎる。頭をかきむしった。あんなに一緒にいたのに自分は彼女のことを何も知らない。ちくしょう、僕は何も出来ない。


(…ツィン!)


不意に彼女に呼ばれた気がした。


「ツィリー!」


叫び声は木々に吸い込まれた。誰も答えない。ただの数字は受ける者もなく宙ぶらりんで僕の中を漂う。かすみがかった意識の中でふらふらと家に戻り、床に倒れこんだような気がするが、定かではない。気を失う様に、僕の意識はそこで途切れている。



目が覚めた。体がひどく重い。そっと頭を起こすと枕が濡れていた。頰をそっとさわると涙の跡がついている。夢に、彼女が出てきたのだ。濡れぼそって、空き地で一人悄然と立っていた。涙を流さずに泣いていた。馬鹿野郎、泣けばいいのに。助けを、求めればいいのに。相変わらず不器用で危ない。


(ここにいるよ)


僕はいつでもここにいる。外が騒がしかった。ゆっくりと立ち上がり表に出たが


(いま何時だよ?)


日が昇ってすらいない。何故だかひどい胸騒ぎがして、ひときわひとだかりが出来ている所に、そっと近づいた。僕なら誰にも気づかれずに話を聞くことなど朝飯前だ。木の後ろに回り込む。



「…刑が行われたらしい。」


処刑?


「 なんでも、村を売ろうとしたそうだ」


は?


「朝一の伝令はもう帰ったの?」


そんなのがいたのか。


「処刑はその村の自由だ。なぜ伝令がきた?」


やはり特例なのか?


「処刑の最中、罪人の娘が…」


なんでそこで声を低めるんだよ!きこえないじゃないか!もどかしくて叫び声をあげそうになった。だが、よほど話の内容が衝撃的だったようだ。聞き手の顔が驚愕に歪み、聞き返した。この耳にもはっきりと聞こえた。


「娘が父親を殺した?」


(…ツィン!)


昨日聴いたあの声が再び聴こえた様な気がした。まさか彼女が?そんなはずない。いや、本当にないといいきれるか?…否。でも!でも何?逃げ出そうとする思考を必死に捕まえる。ああ…、僕はどこの村の話か聞いていないじゃないか。回り道をして家の方からもう一度、今度は相手に自分がよく見えるように近づく。


「何があったの?」


これ以上ないくらい無邪気な顔をして問う。内心の嵐を抑えつけながら。


「ああ、五番目の坊。『牙』で…」


そこから先は聞こえなかった。ツィリかもしれない、ツィリかもしれない、ツィリかもしれない…。人はあまりにも大きな衝撃を受けるとかえってなにも感じないようだ。もう日が昇ったな…。ぼんやりと霞む風景を眺めながら、僕はそう思った。


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