弟子と師匠 〜「牙」村の岩屋〜
ふわりと風が頰をなでた。隙間なく閉じられた戸に目をやる。希望は持てないと、ただの風ではないと分かっていても無駄なあがきを続ける。愚かなものだ。口の中で言を唱え、印を結んだ手をそっと解いた。目の前に確かな光が見える。青く光るそれは狼の形をとっていた。「魂の影」。古来よりそう呼ばれるそれは、死者の魂。
「キィナ」
無駄だと分かっているのに手が伸びる。だが、その手は揺らぐ湯気のような青い光を乱しただけだった。
「お前は本当に」
長い人生の中、岩屋のおばばとして「魂の影」を視たのも一度や二度ではない。が、キィナのそれほど強い光を放っているものは見た事がなかった。強い意思。それが光という形をとる。彼女は意思を持ってしまった。それはきっと、あの子に近かったから。
(あの子、は)
頭の中に声がひびいた。
(すごく、悲しませた。私は、)
キィナの声だった。閉じ込められた岩屋。誰も、入れないはずだった。生きている者では。
*
早くから呪術の才能を見せていたキィナは私の弟子として呪術を学び、私が閉じ込められたその日に魂となって岩屋に現れた。
(ツィリを守らないと!おばば!)
日頃穏やかな彼女が取り乱していた。そして、刺客に選ばれたその日。泣き叫びながら再び岩屋にやってきた。
(どうして私なの!ねえ、どうして!)
帝の近衛兵となった父と、一昨年亡くなった母。ひとりの妹が彼女の家族だった。まだ十五。子どもだ。その妹を、人質に取られたと、そういった。
(カスミさんが縛ったの。私は自害出来ない。ツィリを殺すかツィリに殺されるかしないとそれは解けない!)
誰かと誰かの魂を縛る。それは、最強の人質を作った事を意味する。
「キィナ。私はあの子に会いに行けない。全てを話しておやり。それから、私があの子の幸せを願っていると」
それはキィナには残酷すぎる定めだったのかもしれない。それでも彼女は気丈に頷いて出て行こうとした。
「お待ち!」
キィナ。私の愛弟子。おまえは、
「必ず、私の元に帰ってきておくれ」
その声を、キィナは聞き逃さなかった。そして今、今度こそ去っていこうとする。もう、戻っては来まい。
(あの子は、幸せに、なれる、か、な。少年、がいた。星の子で、対の子の少年。ツィリ、は、あの子を、幸せにできるかな)
「キィナ」
その姿が薄れていく。
(おばば、私の、最期、を、あの子、を見せる、から)
視界が回転し、森の中にいた。キィナの最期。ツィリの悲痛な叫び声。ツィリに向かって走る、栗色の髪を持つ少年。その光景も次第に薄れて…
(私は、あの子を悲しませてしてしまった。だからおばば、きっと、彼女の幸せを祈り続けるから)
最期の、はっきりとした声だった。魂が、融けていく。私の手から、溢れていく。
(おばばに、幸せがあらん事を)
刹那、明るく微笑む彼女が、光の中で笑うキィナが、そして駆けていく後ろ姿が、見えた気がした。




