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一つの日常の終幕

本日二度目の更新です。

 俺がこの世界にやって来てから、一体どれくらいの時間が経ったのだろう。

 正確な時間は分からない。

 体感的に言えばほぼ一瞬だったけど、実際にはそれなりの時間が経っていたと思う。

 その体感的には一瞬にも感じてしまえる時間の中で、俺は父さんや母さんと沢山話をした。


 俺が死んだこと。

 死んでから『神』を自称する人物と出会った事。

 その『神』によって、きっと今、俺と父さん母さんは話が出来ているという事。


 ――話はそんな所から始まり、これまで伝えられなかった感謝の言葉を二人に贈ったりもした。


「俺をここまで育ててくれてありがとう」……俺が二人に贈ったのは、そういった在り来たりで良く耳にするような言葉ばかりだったけど、二人は涙ながらに頷いて「産まれてきてくれてありがとう」と、そう返してくれた。


 少し、涙が零れた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ――この時間がいつまでも続けばいいと思った。


 父さんと母さん。たった二人の家族に囲まれ、一家団欒と雑談を続ける。そんな時間がずっと続けばいいと思った。何も考えず、何も心配することのない、優しい時間。案外、俺が本当に求めていたのは、こういう穏やかな日々なのかもしれないと、そう思った。


 しかし、分かっている。こんな時間がもう長く続くことは無い。


『だけど、気をつけてくれ。『そこ』は少しばかり不安定な世界だ。あまり多くの時間、君をそこに留めておくことは出来ない』


 扉を潜る直前、『神』は言った。

 その言葉を鵜呑みにするなら、俺がここに居られる時間には絶対的な制限がある。

 それが如何ほどの時間なのかは分からないが、今こうして二人と言葉を交わしている間にもタイムリミットが刻一刻と迫っていることは確かだ。


 だから、俺は願っていた。『この時間がいつまでも続けばいい』と。きっと、それは叶わない願いなんだろうけど、願わずにはいられなかった。唐突な両親との別れは、一言では表せない程の想いを俺の胸の内に蔓延らせていたから。

 けど、無情にも時間は流れて行って――そして、その時はやってきた。


「裕翔、その体……」


 丁度、話が途切れた瞬間、母さんが唐突に俺の方を指差しながら言った。隣では、父さんもこちらを見て目を見開いている。

 そんな二人に釣られ、自分の体を見下ろして、俺は顔を顰めた。

 俺の体は発光していた。湧き出る光は、蛍光灯の様な強いものでは無い。一夜だけ命の灯を燃やす蛍の様な、仄かな光だ。

 そして、微かに光る俺の体は、その材質が全て窓ガラスにでもなり替わってしまったかのように、透けている。


 ――明らかに普通では無い。

 俺は自分の体を見下ろし、その状況を理解するとともに、『その時』が来たことを悟った。

 即ち、両親との別れ。そして、異世界へと旅立つ時が来たのだと。


「――あぁ、そっか。父さん、母さん、もう、時間が来たみたい」


「それは……どういう事だ?」


 俺の呟きに父さんが反応して、質問を投げかけてくる。


「ここに来る前に『神』を名乗る奴と会ったってことはもう言ったでしょ。そいつが言ってたんだ。俺はここには長時間留まる事が出来ないって。つまり、()()はそのリミットが迫ってるってこと……なんだと思う。だから、多分俺はもうすぐ消える」


 俺が自分の腕をポンポンと叩きながらそう言うと、母さんは再び涙をにじませながら問いかけてくる。


「消えた後、裕翔はどうなるの?」


「『神』が言うからには、普通なら輪廻の流れに巻き込まれて、記憶を失って新たな生を得るらしいんだけど……俺は地球じゃない、また別の世界で生きる事が出来るんだって」


「別の世界……」


「うん。だから、心配しないで。……いや、心配するなってのは少し無理があるかもしれないけど。ともかく、父さんや母さんとはもう会えないかもしれないけど……俺、生きてるから。二人に貰った命で、俺はちゃんと生きていられるから。だから――」


 ――『もう、泣かないで』。そう言おうとした俺に、辛抱堪らんといった様子で父さんと母さんが抱き着いてきて、俺は慌てて二人を抱き留めた。


 父さんと母さんは、静かに泣いていた。二人は目を閉じ、自分が触れている(モノ)の感触を味わい尽くし、それを魂に刻みつけているようにして、静かに、静かに、強く俺の体を抱きしめてくる。

 二人の抱擁の力は思ったよりも強かった。だからか、少しばかりの息苦しさを感じる。けど、そんな事は今は気にならない。俺も二人の力強さ、感触を己の魂に刻み込む。


 ――きっと、これから先、俺は父さんと母さん……十六年を共に過ごしてきた家族と会う事は無いだろう。どんなに辛いことがあっても、これまでのように二人に癒してもらう事は出来ないし、どんなに嬉しいことがあっても、これまでのように二人とその思いを共有する事は出来ないだろう。

 もしかすると、その事実は、俺に壮絶な孤独感を覚えさせるかもしれない。そして、その孤独感は俺の心を折ろうとしてくるかもしれない。

 だけど、この感触を覚えている限り、どんなに孤独を感じようとも、きっと俺の心は折れる事は無い。どんなに離れていても、確かに俺には家族がいるのだと思い出すことが出来るから。


 ――だから、大丈夫。

 その確信を胸に刻んで。俺は顔を上げ、二人に語り掛ける。


「母さん」「……うん」「父さん」「……あぁ」「俺、向こう側でも頑張るから」「……うん」「……あぁ」「だから、もう泣かないで……俺も、もう泣かない。それに、せっかく最後にこうして会えたんだから、涙の別れなんて……何か嫌だよ」「……うん」「……そうだな」


 俺の言葉に二人は頷き、目元をゴシゴシと擦って涙を拭った。二人は――そしてきっと俺も、目元は真っ赤に腫れているけど、涙はもう流れていない。誰も、涙は流していない。

 それを確認して、俺は二人ににっこりと笑いかけた。すると、父さんと母さんも笑い返してくれる。二人の笑顔は、泣いた直後だからかいつもよりもほんの少し不細工に見えた。


 その、直後。


 足の感覚が唐突に希薄なものとなる。

 咄嗟に見下ろすと、自分の足の先が無くなっていた。丁度くるぶし辺りまで。くるぶしから上は相変わらず透けてはいるが、まだそこに『ある』。……いや、あることはあるが、『ある』部分と『無くなった』部分、その境界線は徐々にせり上がってきている。

 消えている。俺という存在が。少しずつ、少しずつ。足先から。


 父さんと母さんもその事に気が付いたのだろう。二人は俺の足元を見つめた後、『行くんだな』と、俺の目をのぞき込んできた。

 俺は頷いた。まだ、未練は残っているけど。行かなくちゃいけない。

 けれど、その前に二人にはお願いしたいことがある。だから、


「……最後に、一つだけお願いしても良い?」


 と、俺が聞くと。


「あぁ。勿論だ」「なに?」


 と、二人は問い返してくる。

 この時、俺の頭の中には、一人の少女の姿が……死ぬ直前、俺が迫る軽トラの目前から突き飛ばした、あの少女の姿があった。


「あの娘……俺が助けたあの少女を気にかけてやってほしいんだ」


「あの娘か……彼女は裕翔の知り合い、なのか?」


「ううん……違う」


 父さんの質問に首を横に振り、俺はあの時の少女の表情を思い出す。


「俺はあの娘の事に付いては何も知らない。……でも、俺が見た時、あの娘、物凄く寂しそうな表情をしてた。目をどんよりさせて、まるで自分が絶望の淵に立っているような貌で、たったひとりで佇んでた」


 そこで一度言葉を区切り、俺は改めて両親の目を見た。


「勿論、これが俺の我儘だって事は自覚してる。けど、その上で父さんと母さんに頼みたいんだ」


 言って、俺は、二人に頭を下げた。

 すると、ポンポンと。下げた頭を優しく叩かれる。

 顔を上げると、目を赤く腫らしながらも優し気な表情を浮かべる両親の姿があった。


「あぁ。分かった」


「父さん……それじゃあ……」


「息子の最後の頼みなんだもの……拒否することなんて出来ないわよ」


「母さん……なんか、ゴメン」


「裕翔が謝る必要はないわ。むしろね、母さんと父さんは嬉しいの」


「嬉しい……?」


「そうだ。自分の息子がこんな優しい子に成長してくれて、喜ばない親はいない……まぁ、今は喜びだけじゃなく、寂しさや悲しさも混じった複雑な心境だがな」


 と、そこで一度言葉を区切った父さんは、一度母さんと目を合わせると、


「ともかく、裕翔の願いは分かった。最終的にどうなるかは分からないが……母さんと二人で出来るだけの事はしようと思う」


「うん……ありがとう、父さん」


 そう礼を言いながら俺は笑った。……いや、実際の所、ちゃんと笑えていただろうか。

 視界が溢れ出る涙で霞んでいる。

 先に自分で言った事の手前、涙の雫が目から零れないよう必死に我慢はしていたけど、もしかすると不格好な笑みになっていたかもしれない。


 でもまぁ、それでもいいかな、と思う。

 最低限、伝えたいことは伝えられたし、もっと話したいことは沢山あるのだけれども、満足感、幸福感と呼ぶべき感情が今の俺の中には確かに存在している。


 俺は自分の体を見下ろした。

 既に俺自身の体はその殆どが消失している。もう目に見えているのは胸から上の部分だけだ。その様は、俺がここから消え去るまで幾分の時間も残されていないという事実を如実に可視化させていた。

 だから。


「じゃあ、もう俺は行くね」


 言って、俺は一歩二人から身を引く。

 父さんと母さんは小さく頷いた。二人はさっきよりは穏やかな表情を浮かべていて、俺がそんな二人の姿を眺めていると、唐突に足元から無数の光の粒子が放出され始めた。

 その数えきれないほどの光の粒子はあっと言う間に俺の全身を包み込み、半円状のドームの様なものを形成した。俺はそれにすっぽりと覆われてしまい、父さんと母さんの姿が見えなくなる。


 俺は半円状のドームの中で自分の体が作り替えられているような不思議な感覚を覚えた。

 それが何なのかを知りたくて、自分の体を見下ろして、今は自分の体はその殆どが消えている事を思い出して――さっきそれを確認したばかりなのに、もうそれを忘れてしまっていた自分に少し苦笑して。

 ……次の瞬間、俺の意識は途切れる。


 もう、戻ることの出来ない日常に別れを告げながら――











今回で序章は完結。

明日更新される次話より物語の舞台は異世界へと移行します。ご期待ください。


今回も読んでいただき、誠にありがとうございました!

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