一つの神話の結末
本日一度目の更新です。
評価ポイント500を突破していました!
まだまだ物語は始まったばかりですが、皆さまを楽しませられるよう執筆して参りますので、これからもどうぞよろしくお願いします。
「――行っちゃったか」
今しがた一人の少年が潜り抜けていった扉を見ながら、『神』は小さく言葉を漏らした。次いで溜め息を一つ吐き、彼は今も膨張を続ける黒い影と相対する。
その右手には、いつの間にか刃渡り70センチにもなろうかという、少し長めの剣が握られていた。
鋭くとがった純銀色の刃が己の存在を主張するかのように輝き、シンプルなデザインで彩られたこれまた純銀色の柄が、得も言えぬような神秘性を剣に付加している。
「これを扱うのは何百年……いや、何千年振りかな。……僕みたいな老体にこの剣の力は刺激が強すぎるんだけどな」
ぼやきながらも、神は黒い影へと一歩近づいた。
その瞬間、黒い影が動きを見せる。グチュグチュと生理的嫌悪を催すような不気味な音を立て、これまでは何だったんだと思わせるような速度で肥大化。体積が一瞬の内にそれまでの二乗、三乗……それ以上の大きさと成り、あっという間に白一色だった世界を真っ黒に塗りつぶしていく。
もはや、彼の前に有るのは、『黒い影』という陳腐な存在では無い。――『黒い世界』。そう呼ぶにふさわしい程の大きさを誇った、不気味なナニカであった。
そして、その巨大な存在が目前に存在する小さき『神』を見逃すはずも無く。
『ガアァァァァァアアア!』
どこから出しているかも分からない鳴き声のような音を立てながら、『黒い世界』は自身の体表から幾つもの真っ黒い触手を伸ばした。間髪入れず、それらを『神』へと突っ込ませる。その数、数十では終わらない。何百、何千――常人では到底目で追えない程の数の暴力が『神』へと迫っていく。
しかし、
「へぇ……こりゃ、先に彼を逃がしておいて正解だったかな――っと!」
――剣を、たった一凪ぎ。剣を一度、横に振るっただけ。
たったそれだけの事で、彼は辺りに強力な大気の渦を巻き起こし、自身に迫っていた無数の黒い触手の悉くを殲滅した。
『ギィイイイイ―――!』
自身の攻撃を呆気なく躱された事に腹を立てたのか、『黒い世界』は自身の体表を大きく波立たせた。すると、その挙動だけであたりの空間が振動し――パキパキ、と、嫌な音を立てながら空間の一角が割れ始める。その勢いは留まるところを知らず、終いには空に大きな穴が開いた。
真っ白な世界に開いた、大きな穴。その内部は深淵の如き黒い世界が広がっていて、そこから幾本か真っ黒い腕が飛び出してきた。
腕の数はそこまで多く無い。
だが、その一本一本が『黒い世界』とは比べ物にならない程の途轍もない禍々しさを秘めている事に気が付いて、『神』は急いでそれらを迎撃する。
「――――――――ッ!」
無言の気合いと共に刃を一閃。再び大きな渦を巻き起こし、こちらへと向かってくる腕を殲滅しようと試みる。
だが、それでは力不足だと言わんばかりに腕は渦を突き破り、尚も『神』へと向かって突き進んでいく。
そんな様子を見て『神』は小さく呟いた。
「これは……出し惜しみしている場合じゃなくなったかな?」
次いで、彼は自身の右腕に収まる剣を見た。
「……『これ』を使っちゃうと、また数年『眠る』ことになっちゃうから……出来れば使いたくなかったんだけどな……まぁ、贅沢は言ってられないか」
『神』はまるで他人事のようにそう言い、剣を自分の頭上で構えた。
途端、彼の周りに光球が発生する。無数の光球。――数えきれないほどの『光』。
それらは突然世界に顕現し、彼の周囲を取り巻いた。
「――【遠き過去より来たる異人の聖者らに請う】」
幾重も重なって形成される光の渦の中で、『神』は調べを謳う。
「【我は愚者なり、我はただの人なり】」
『神』が謳うたびに、彼の周りを周回していた光球が彼の掲げる剣へと吸い込まれていく。光を吸収した剣は輝きを放ちはじめ、見る物すべてをひれ伏させる様な神々しさをも纏い始めた。
「【そなたらには遠く及ばない、ただの人なり】」
直後、『黒い世界』が、穴から飛び出てきた『黒い腕』が――『神』の視界に映る黒い存在全てが、唐突に狂乱しはじめた。まるで塩を振りかけられたナメクジのようにもだえ苦しむ動きを見せ、言の葉を紡ぎ続ける『神』を強襲する。
「【故に我は請う、そなたらの力を請う、猛々しくも神々しい、そなたらの力を請う】」
だが、『神』は動かない。彼は調べを謳い続け、遂には彼の周囲にあった光球が全て剣に吸収された。純銀色の剣が放つ輝きは、最早直視できないほどにまで増幅されている。
そして、『神』の目前にまで迫った『黒い腕』が彼に触れようとした――その時。
「【過去の聖霊らよ、矮小なる我が身に破邪の加護を】」
『神』は調べを謳いあげた。
「――【祓え、神聖剣】」
一歩、足を踏み込み――目前の空間を一刀両断する。
振り下ろされる剣先。それはすぐ傍まで迫っていた『黒い腕』をいとも簡単に切り裂く。
それから間髪入れず、振り下ろされた剣先から光の奔流が迸り――世界は光に塗りつぶされた。
『ギャアァァァァアアアアア!!』
響き渡る、黒き存在の断末魔。
「再び泡沫の夢を見ろ。邪神。何、心配はいらない。今度は僕もお供するさ」
何も見えない世界の中で、『神』は黒い存在に語り掛けた。
「――だから、夢を見よう。今の僕たちは他でもない、ただの傍観者なんだから」
――やがて光の奔流はその勢いを終息させ、世界は白い姿を取り戻す。
その世界にはもう、何者の姿も無かった。
黒い存在は全て消え失せた。
『神』を名乗る少年もまた、どこにもいない。
――世界は、本当の意味で『真っ白な世界』へと成っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――扉を開けた先の、光の世界。眩いばかりの閃光が当たりを埋め尽くす、単調な世界。
そこには一本だけ道があった。
その道は扉を潜り抜けたすぐそこから始まっていて、俺は特に迷うことも無くその上を歩き始めた。
ゆっくり、時にはペースをちょこっとだけ変えながら、俺は道なりに光の世界を進む。
途中でこの一本道から逸れようかと思った時もあった。何回か。だが、結局道を逸れるような事はしなかった。何と言えばいいのだろう。何となく、この道を逸れて行ってはいけない気がした。固定観念とでも言えばいいのだろうか。何か違う気がする。
そんな比較的どうでもいい事を考えながらしばらく歩いていると、俺は道の往く先に二つの人影が立っている事に気が付いた。
「あれは……」
その人影には見覚えがあった。彼らが誰なのか……それを理解した瞬間、俺は神の言っていた『サプライズ』の意味を悟った。なるほど。確かにこれは『不意打ち』だ。
次の瞬間には、俺は逸る自分を抑えきれず、地を蹴り、人影に向かって駆けだしていた。
近づいて来る俺に気が付いたのか、二つの人影の顔がこちらを向く。
「「裕翔……ッ!」」
彼らは信じられないと言った表情を浮かべ、俺の名を呼んだ。
耳朶を打つ、懐かしい声。毎日聞いていた声。間違いない。間違えようがない。
「――母さん、父さん!」
そう呼び返しながらも足を止めることなく、俺は人影――両親達の元へとたどり着いた。
対して二人は、まるで幽霊でも見ているような呆気にとられた顔で俺を見つめてくる。
だが、それも一瞬の事だった。
「「――裕翔ッ!」」
目に一杯の涙を蓄え、正に号泣寸前といった様子の父さんと母さんは、再び俺の名を叫び、いつかのように俺の体を強く抱きしめてくる。今回ばかりは俺も二人には抵抗しなかった。あるがままに両親の抱擁を受け入れ、こちらからも二人を抱きしめ返す。
いつの間にか、俺の頬には熱いものが伝っていた。それは次から次へと際限なく瞳から溢れ出してくる。その勢いは留まるところを知らず、俺は年甲斐も無く、幼い子供のように泣いた。
母さんと父さんの状況も似た様なものだ。二人とも自らの涙腺を御しきる事が出来ておらず、目元を真っ赤に染めている。二人のこんな顔を見るのはいつ以来だろうか。少なくとも、ここ数年は見ていなかった気がする。
「裕翔……本当に裕翔、なのね?」
「うん……そうだよ。母さん」
「だが、裕翔……お前は……あの時……」
父さんの言葉はそこで途切れた。だが、父さんが何と言おうとしていたのか、それは手に取る様に分かる。
俺は父さんの言葉に頷いた。
「あぁ。父さん。俺は……もう死んでる」
「裕翔……」
「……ゴメン。いきなりこんな事言われても、反応に困るよね」
俺の言葉に、父さんと母さんは何か言おうとして、結局は何も言えず、二人そろって口を噤んだ。しょうがない事だと思う。もし、俺が二人と同じ状況に置かれたとすれば、俺もまた二人と同じ行動を取っていたに違いない。
だから、俺は父さんと母さんの返事を待たずに口を開いた。
「けど、聞いてほしい……多分、俺がこうして二人と話せるのはこれが最後の機会になると思う……俺、父さんや母さんに話したい事、一杯あるから」
次回の更新は今夜22時ごろ。
次回で転生前の導入――序章は完結となり、明日更新分から異世界での物語となります。
今回は読んでいただき、誠にありがとうございました!