世界中の憤りに感謝を
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「ヒヒッ……」
静けさが横たわる夜の森。鬱蒼とした木々の枝葉によって上空から降り注ぐ月光すらも遮断された光なき闇の中に、不気味な笑声が浸透する。
「ヒヒヒッ……ヒヒッ!」
声を発するは、一つの影。木々の隙間に身を潜め、夜闇に紛れ込む真っ黒なローブを羽織ったその人影は、さも愉快そうに……かつ、不愉快そうに哂っていた。
「遅いぃ……あまりにも遅すぎますよぉおおおお!」
真深く被ったフードの奥に埋もれた唇がニタリという嫌らしい音を立てながら、歪な曲線を描く。
次いで、紫色に変色したその醜い唇の隙間から吐き出されたのは、呪詛の如き怨嗟であった。
「何故! 何故にッ、この俺が、たかが一人の小娘を見つけ出すのにこれほどの時間を弄さねばならん……! 屈辱だッ! あり得てはならんことだッ! まるで、この俺がコケにされているようではないかねぇッ! えぇッ?!」
あまりの屈辱。己の中に留めていられない怨念の奔流。食いしばる唇の端を一筋の血線が降りていく。ギロリと怪しい光を宿す双眸は辺りを舐めるように睨み回し――その視線に晒された無数のゴブリンたちが木々の裏に身を隠し、身を震わし、恐怖する。
刹那……男は笑みを浮かべた。あたかも憑き物が落ちたかのような、清々しいとすら言える笑み――直前のものとは百八十度異なる表情を。
「だが……あぁ、この快感。この屈辱。この苛立ちを感じさせてくれている彼女には、感謝を捧げねばならんな。こうして俺は、自分が人であると実感する事が出来る……。そうだ、この俺に様々なものを与えてくれるこの世界には最大級の感謝を――」
――そして。再度、怨恨の言の葉。
しかし今度は決して叫ばず、ただ己の魂に刻み込むように、囁くように。
「――最大級の怨嗟を、捧げなくては。ありったけの憎悪を、ぶつけなければ。無慈悲な最期を、届けなければ。人に、動物に、世界に……アヒッ、ヒヒヒッッ!」
狂ったように笑う。何がそんなに可笑しいのか。それは、きっと本人にしかわからない。
常人には理解できないであろう狂気を男は発し続けている。
そんな男に恐る恐る近づく影があった。一つ。背が低い影。ノソリノソリと歩を進めるのは、一匹のゴブリンだ。
元来、ゴブリンとは人に対して敵対的な行動を取る存在である。だが犬歯を覗かせる口から悪臭を放つ涎を垂れ流し続けているその醜い生き物は、男の側までやって来ても顔を無言で見上げるばかりで目前の人を襲う気配すら感じられない。
「……あん? 何々?」
そんなゴブリンの様子から男は何かを感じ取ったらしい。眉間に皺を寄せ、ゴブリンをぎょろりと睨み付け――次の瞬間、それは歓喜の顔へと変貌する。
「――そうか。そうかそうかそうか!」
あまりの僥倖。
男は己の身に降りかかった悪運に思わず歓喜した。
「まだ……まだ、あの餓娘は見つからないと! にも拘らず、貴様はこうしてノコノコと俺の前に姿を現したと! そういうことですなぁッ?!」
「ギャッ――ゴフッ?!」
瞬間、男の側にあったゴブリンの姿が一瞬にして掻き消えた。
神速の一振り。男の右腕がぶれ、側にいたゴブリンを大きく弾き飛き飛ばしたのである。
小さな影は木の幹に激突し、口から一塊の血を吐き出した。欲望で汚れ切った眼が光を失っていく。
ピクリとも動かなくなったその体を目の当たりにしながら、男は憤慨した様子で怒鳴り声を上げた。
「あぁ。あぁ。あぁ……! なんと役に立たないんだ、我が眷属どもはッ! まさかまさか、小娘一人捕まえることが出来んとは……ッ! クソがッ、クソがッ、クソがッ!」
ゴブリンの死体に近づき、幾度も足蹴にする。
怒りを込めて、されど何故か表情は歓喜に満ちたそれで。
口から発せられる言葉と表情がイコールで結ばれないままに、何度も、何度も。
周りの木陰に潜み、身を震わせるゴブリン達から畏怖の視線を向けられていたとしても、関係ない。
どれだけ返り血を浴びても、止めやしない。
――折角、こうして賜った〝憤り〟なのだ。最後の一滴まで味わい尽くさなければ、あまりにも勿体ないではないか。
「クソがッ! クソがッ! 死ねッ、俺の役に立たないやつは全員死ねッ! ヒッ、ヒヒッ! ヒヒヒヒヒヒヒ……」
しばらくして。男はゴブリンを足蹴にすることを止めた。
まるで極上の料理を味わったかのような、恍惚とした面持ちのまま舌なめずりする。ぺろりと唇からはみ出た舌は毒々しく紫がかっていて、彼の者の異様さを助長していた。
「はいはーい、皆さーん。魔物の皆さーん、集合してくださいねぇ」
その能天気な声には、誰一匹として逆らうことが出来ないのだろうか。
直近までただ怯えていたはずのゴブリン達が木陰から這い出し、男の周りに集いだす。
数は凡そ三十匹といったところだろう。一般的なゴブリンの群れ一つとほぼ同等の数。
緑色の肌を持つ、人ならざる存在がそれだけ多く立ち並ぶ光景は、夜の薄暗さも相まって地獄絵図さながらといった様子である。
だが、そんな光景を目前としても男が恍惚とした表情を崩すことは無く、奇怪な笑い声と共に次なる命令を下した。
即ち。
――獲物を見つけるまで……蹂躙せよ、と。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
紅蓮聖女のギルドホームにて開かれた歓迎会から一夜が明けた翌日の午前。
俺は自宅の一階奥にある五畳ほどの工房スペースに引き籠り、調合の研究を行っている。
日が地平線から完全に顔を出す前から作業は始まり、もうかれこれ三時間はぶっ通しで調合に励んでいるが、その成果は徐々に結果に表れ始めていた。
まず、MPローポとローポのランクが10の大台に乗った。
これは町で売られているポーションのランクとしては平均的なもので、『店で売れるような品質のポーションを精製する』という、一先ずの目標も達成できたと言ってもいいだろう。
少し気が早いが、自分の店でポーションを売れるようになる日もかなり近いのかもしれない。
他の成果として、先に挙げた二種以外の薬の精製にも手を伸ばした。
今回新たに精製したのは、ラウタ草という薬草を用いる『風邪薬』と『下級解毒剤』だ。
ラウタ草は季節に関係なくパンジーに似た紫色の花を咲かせる植物で、その新芽には人体の新陳代謝能力を向上させる成分を含んでいる。これを調合魔法の『抽出』で濃縮し、それぞれ別の処理を行う事で先に挙げた二つの薬を精製出来る。
とは言っても、その効力は至って微弱なもので、軽い風邪を抑え込んだり、命に別条が出ないような軽い毒を中和することぐらいしかできない。よって、販売価格も比較的安価だ。
例えば町で売られているローポやMPローポは一本大体300イェン程するが、風邪薬は一本30イェン程と十分の一程度に抑えられているし、下級解毒剤でも100イェン程度にしかならない。
その価格設定の影響か、風邪薬に至っては少し体調が悪い時に栄養ドリンクみたく服用する人もいるぐらいだ。
ちなみにこの辺りの価格設定は、商業ギルドの方で厳しく管理されており、極端に低価格で販売する事が出来なくなっている。商業ギルドに所属していない俺はこれを遵守する必要は無いのだが、変に角を立てる必要も無い為、実際に店でポーションを販売する際にはその基準をしっかり守ろうと心に誓っていた。
とはいえ、風邪薬と下級解毒剤は未だランクが低いので、店売りの基準までもっていくにはもう少し研究が必要だろう。それに、これら以外にも『調合資』に載っていて、まだ手を付けられていない薬は数多い。
兎にも角にも、今は研鑽あるのみだ。
調合の研究にはこれからも真摯に取り組んでいきたい。
「さて、それじゃあ次はこっちの薬を調合――」
――ピンポーン。
次なる薬の調合法を求め、調合資のページを捲ったところで来客のチャイムが鳴った。
「……誰か来たのか?」
今日は特に来客の予定はなかったはずだけど、いったい誰が……。
――ピンポーン。
――ピンポーン。
――ピンポーン。
「あぁ、もう分かった分かりましたからちょっと待ってください?!」
急かす様に連打されるチャイムに白旗を上げ、工房スペースを飛び出して玄関を開け放った。
「レティア……?」
「おはよう、ユウト君」
扉を開けた先に待っていたのは、赤髪の少女。
昨日よりお隣さんになったばかりの彼女は朗らかな笑みを浮かべながら小さく手を振っている。
こんな午前中――それも、未だ朝早くという時間帯に何の用だろうか。
「あの……どうかした?」
「ユウト君を朝食に誘おうと思って」
「俺を朝食に?」
「……迷惑、だった?」
どことなく不安そうにレティアが問いかけてくる。
「いや、そういうわけじゃなくて。寧ろ、朝食はまだ食べてなかったからそのお誘いは有難いんだけど……なんで俺を誘おうと思ってくれたのかなと」
「あぁ、それはね」
レティアがお隣の敷地――紅蓮聖女のクランホーム。その屋上を指さす。
「あそこからユウト君の姿がたまたま見えちゃったんだよね。何だか、ずっと真剣に部屋に籠って作業しているみたいだったから、もしかしたら朝食まだなんじゃないかなと……あ、勝手にお家の中覗いちゃったりして本当にごめんね?」
「まぁ、それなら気にしないで。俺が不用心だったのが原因みたいだし」
そもそも男の家の中を覗いたところで役得なことなど有りはしない訳で。寧ろ俺としてはそこまで気にされたことが驚きだ。
「そっか。ユウト君がそう言うなら分かった。……で、朝食の件はどうかな?」
「うーん、そっちの迷惑にならないか? 突然、一人作る量が増えたらヨミの負担になりそうだけど」
「そっちは大丈夫。さっきヨミにユウト君も朝食に誘ってみようかって話したら、追加で一人前作っておくって言ってたから」
寧ろここで断られると、浮いた一人分の食事の処理に難儀してしまうとレティアが言葉を付け足す。なんでも、余った分を巡って子供たちの仁義なき戦いが繰り広げられるとかなんとか……。
ともかく、そういうことであれば、折角の向こうからのお誘いを断る理由は無い。
「……なら、お言葉に甘えてもいいかな?」
「勿論だよ」
こうして、俺は紅蓮聖女の皆と朝食の席を共にすることになった。
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