かくして彼は語る/後
今回で歓迎会終了です。
「食べたいものは装えた?」
大皿を片手に、俺は傍らのクロウに問いかける。
「うん」
と、当の本人は小さく返事。その言葉通り、クロウは彼自身の体の小ささも相まって、両手に抱えなければならない程に大きな皿――とは言っても、俺が持っているものと同じ大きさだ――一杯にご馳走を盛り付けている。
「……そんなに食べられるのか?」
とてもそんな小さな体に収まるとは思えない量なんだが……。
「うん。せいちょうきだから」
「……そうか。なら、席に着こう」
あまり大っぴらに話すことでもないから、端っこで良い。そうクロウを誘導し、俺たちはパーティーの喧騒から少し外れた、隅っこの席を陣取る。
しばらくはクロウが腹の虫を満たすのを待ち、俺は少年のこちらを窺うような視線に急かされるような形で話し始めることにした。
「そうだな。何から話すか……」
「ながいの? そのおはなし」
「まぁね。……うん。やっぱり、六年前のあの時のことから話した方がいいかな」
「ろくねんまえ……?」
「そう。丁度、俺が十歳くらいのときかな。当時、俺には小さな時からずっと一緒に育ってきた、幼馴染の女の子が居たんだ」
――六年前のあの頃、俺たちはいつも一緒に居た。遊ぶ時も、おやつを食べる時も一緒。時には互いの家に泊まって同じ部屋で寝た事さえあった。
当時の俺にはそんな気はなかったけど、一緒に居るのが当たり前だと思うくらいには、ずっと俺の隣には彼女という存在が在り続けていた。
「すき……だったの? そのひとのこと」
「好き……そうだな。俺はその子の事がずっと好きだったんだと思う」
――好きな子が、隣にいる。隣に居続けてくれる。
いつしか、そんな日常が俺の当たり前となっていた。
いつまでも、どこまでも続いていく幸せな日々。それは延々と途切れることは無いのだと、当時の俺は信じて疑っていなかった。
馬鹿なほどに純粋に、自分にとって都合のいい未来を幻視していた……。
「――けれど六年前、その幼馴染が姿を消した」
だから、その結末は思慮の浅かった俺への罰だったのかもしれない。
「え……」
再度、クロウがきょとんと眼を見開く。
だが、俺は再度の苦笑を返すことが出来ない。
あの日の事を口に出す度、胸がキュッと締め付けられる。
この幻の圧迫感を感じるたびに、何度乗り越えたつもりになっても、あの日の出来事はこの胸の奥深くに悔恨を残し続けているのだと自覚させられる。
「原因は、よく分からなかった。街中の人通りが多い筈の場所で彼女は忽然と姿を消した。勿論、すぐに彼女や俺の両親、他にも色んな人が一生懸命探したけど……あの子が帰ってくることは無かった」
「そのひとは、しんじゃったの……?」
恐る恐るといった様子でクロウが問うてくる。
「それも分からない。今も彼女は死んでしまったのか、生きていたとして、どこにいるのかも分からない。とにかく、当時の俺にとって、彼女は何物にも代えがたい、大切な存在だった。そんな彼女が突然居なくなって。俺は――誰かと話すということができなくなってしまったんだ」
――彼女が居なくなって初めの数日は、まだ普段通りの俺でいられた。しかし、それは仮初の均衡でしかなかった。
当時は意識を失って倒れた直後だったという事もあり、俺は病院への入院を余儀なくされていた。
入院生活という非日常に身を置くことで、俺は日常の変化から目を背けることが出来ていた――けれど、そんな日々はいつまでも続かない。
退院という結末を迎え、俺は非日常から日常へと引き戻される。
そして――その日常の中。
これまで当たり前のように隣に居てくれた少女は……もう、何処にも居なかった。
現実を、押し付けられる。
隣に彼女が居ない、という現実。
俺はそれを受け止め切る事が出来なかった。
心が、それを拒絶した。
思考が、それを放棄した。
アイデンティティを木っ端微塵にされ、俺の中の根底にあったモノを圧し折られ――。
恐らく、あの時に俺という人間は一度壊れてしまったのだろう。
何をするにも気力が湧かなくなり、他者への興味を急速に失った。
変わらず学校には行ってはいたものの、それまでのように友達とつるむことは全くと言ってもいいほどに無くなっていった。
自分が何をしたいのか、何を考えているのかという自覚すら曖昧になり、それに伴って表情は無くなり、感情は凪ぎ――終いには言葉一つ発する事すら億劫になった。
家族との会話も、一日に一回も交わさなかった時すらあったほどに。
――これをつまらない人間と言わずして何と呼ぶ?
我ながらそう思えてしまう程に、当時の俺の心はどん底にまで堕ちていたのだ。
「――どうやって」
「……ん?」
「どうやって、またおはなしできるようになったの? おにいちゃんは、そこからどうしてたちなおることができたの?」
「それは……父さんと母さんが俺を見捨ててくれなかったから、かな」
――何度も何度も、いくら無視されようとも、両親は俺に話しかけることを止めようとはしなかった。抜け殻のようになってしまった俺に、無償の愛情を注いでくれた。
そんな両親の行動が、俺に光をくれた。
時間をかけながらも徐々に人と話す事を思い出した俺の心には、次第に感情の色が戻っていった。
「――両親の献身が、俺をつまらない人間から引き戻してくれた。だから俺は今、こうしてクロウと話をすることが出来ている。逆に言えば、もし、仮に父さんや母さんがあの時に俺を見放していれば、俺は今もつまらない人間のままだったかもしれない」
いったん話を区切りながら、横目でクロウを見やる。
深緑色の瞳が間違いなくこちらに向けられているのを確認してから、言葉を続けた。
「これは俺の考えなんだけど……実際の所、つまらない人間ってのは、以前の俺みたいに何事にも興味を抱く事が出来ない人間の事を言うんだと思う。生きながら死んでるっていうのかな。そういう意味では、俺はクロウがつまんない人間だとは思えない」
「どうして……?」
「だってさ、クロウは他の子と話したがっていたし、遊びたがっていただろう? それは他でもない、クロウ自身が少なからず他の人と関わり合いたいと思っている何よりの証拠だよ。その気持ちがあれば、必ずクロウは変われるはずだ」
「ほんとう……? ほんとうにそうおもう?」
まだ不安げにクロウが問うてくる。
「勿論。六年前の俺も、人と関わる心を両親が思い出させたくれたおかげで変わる事が出来た。それを初めから持っているクロウが変われない道理なんて無い。だから、後は……少しだけ、本当に少しだけの勇気さえ持てば大丈夫だと思う」
「そっか……」
「とりあえず、最初は自分から声を掛けてみることから始めてみればいいよ。丁度、今はパーティー中だし、他の子とも話しやすいんじゃないかな」
「……うん。わかった。ぼくがんばってみるよ」
深緑色の瞳に確かな火が灯った。
意を決し、他の子供たちが集まっている輪の方へと近づいていく。恐る恐る歩を進めるようなその足取りからは、如何に彼が緊張しているかが如実に読み取れる。
――やがて他の子達の元へとたどり着いたクロウは、程なくしてたどたどしさを垣間見せながらも輪に溶け込み始めた。
俺はその様子を見て、ホッと胸を撫で――降ろさない。
クロウと話をしている時、子供たちが何となく様子を窺うようにしてこちらに幾度も視線を飛ばしてきていることには気が付いていた。
その中には、このパーティーにおける『主賓』であり、先日に多少の交流を持った俺に向けられた視線も或いはあったのかもしれない。けれど、大多数のそれがクロウに対してのものであるという事は視線から伝わってくる『感情』で直ぐに理解できた。
そう。
他の子達もまた、クロウの事を気にかけていたのだ。
なら、話は早い。
どちらも互いを気にかけているのなら、後は、俺が少しばかり背中を押してやるだけで良かったのだ。
成功が分かっているのなら、態々胸をなでおろす必要もない。
「――ゆーとんお疲れ様」
無事に他の子と打ち解けている様子のクロウを眺めている最中、隣から声がかかる。
視線を隣の席に移すと、俺の気が付かぬ間にリーリアがご馳走を一杯に盛り付けた取り皿を手にして、ちょこんとそこに着席していた。
「リ、リーリア!? ……いつの間に」
「この席に座ったのはついさっき。気配を消して忍び寄るのは私の十八番だから」
「……仮にそうだとしても、こういった時にそれをするのはやめてくれ。心臓に悪いから」
何なら、心臓が飛び出るかと思った。
「分かった。善処する」
無表情な顔で言われると本当に反省しているのか懐疑的になってしまうが……ここはリーリアの良心を信じて受け流すことにする。
「とりあえず、今回はゆーとんのおかげでクロウが他の子達と仲良くなることが出来た。本当に感謝している」
ぺこりと頭を下げるリーリアに俺は首を横に振って答える。
「確かに今回クロウに助言したのは俺だけど、そう大層なことはしてないんだ。ただ、自分の昔の話をしただけで――」
「うん。知ってる。全部聞いてたから」
狐獣人の耳は、些細な音も聞き取る事が出来るから――と、リーリアは自身の狐耳を指さした。その耳は心なしか誇らしげにピコピコと動いていたが、次第に消沈してしまう。
そして――「ごめんなさい」と。リーリアの口から謝罪の言の葉が発せられた。
「どうして、リーリアが謝るんだ?」
「……ゆーとんには、辛い話をさせてしまった。自分の昔話を語っている時のゆーとんはとても辛そうな表情をしていた。――だから、謝らなくちゃいけないと思った」
リーリアは普段と変わらぬ無表情の中にあって、分かり易く後悔を滲ませた面持ちを浮かべている。
だが、俺としてはその事で謝ってもらおうなんて道理は一ミリたりとも持ち合わせていない。勿論、彼女にそんな表情をさせるつもりも毛頭なかった。
「別にリーリアが謝る必要は無いよ。六年も前の出来事なんだから、そろそろ俺の中でも吹っ切らないといけなかった訳だし……寧ろ、自分自身にこれは『過去の出来事』なんだって言い聞かせるにはいい機会だったよ」
「…………」
「えっと……どうかした?」
いきなりこっちの顔をジーッと覗き込んできちゃって。
「……本当に、ゆーとんは分からない」
「はい?」
リーリアの急な物言いに目が点になる。
「……いや、なんでもない」
何とも気になる言葉を残し、自身の取り分けた皿のご馳走に意識を移すリーリア。
その後、俺が何度問い返しても、彼女は明瞭な返答を返してはくれず、終ぞその言葉の意味を理解する事はできなかった。
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