ざわざわと枝葉は揺れる
最後の部分を少し加筆しました。(2019/3/18)
――無防備な頭上に棍棒が迫ってくる。
到底、こちらの得物では相手を切り裂けない間合い。後、二歩は相手に接近したい。けれど、それでは敵の攻撃の方が先にこちらに当たってしまう――。
だから、俺は事前の予定通りにより一層身を屈め、右側と真ん中、二匹のゴブリンの間を通り抜けるように方向転換。
『ギャギャッ?!』
結果、嘲笑を浮かべていたゴブリンが振るう棍棒が呆気なく宙を切る。
唐突かつ、意表を突くような変化にゴブリンたちは追いついてこれない。奴らに許された事と言えば、ただ驚愕の念を込め、その皺がれた声を荒げることだけだった。
そうして幾分かの余裕を獲得した俺は、すれ違いざまに二匹の膝の辺りを出来るだけ深く切りつけるという置き土産さえ残し、ゴブリン達の背後に躍り出る。
『ギャアアアアッ!?』『ゴゲッ?! フゴッ?!』
それと同時、膝付近を深く傷つけられた二匹のゴブリンが苦悶の叫声を迸らせ、地べたに倒れ込んで膝を抱え、大きく身悶えだした。
残る一匹はと言えば、己の仲間達が何とも呆気なく戦闘不能状態にまで追い込まれた惨状を目の当たりにしたせいか、腰が引けた状態で弱々しく得物を構えるのみだ。心なしか、その体は生まれたての小鹿の如く小さく震えているようにも見える。
――そこからは、ただただ一方的な展開だった。
致命的な痛手を負った二匹と、動きが硬くなった一匹を大きな苦も無く切り伏せ、戦闘は呆気なく終幕を迎える。それから、俺は息絶えたゴブリン達から討伐証明部位である右耳を丁寧に切り取った。
この討伐証明部位とは、魔物の種別に定められた〝その魔物を象徴する体の一部〟の事で、自身が殺めた個体から剥ぎ取ったこれをギルドに提出する事により、ランクⅢ以上の冒険者達は魔物の討伐賞金を受け取る事が出来る。
まぁ、その辺りの事項はランクⅡ冒険者でしかない俺にはまだ関係の無い話だ。
それでも、普段は魔物が全くと言っても良い程に出ない地域のはずのここ――薬師の森にゴブリンが三匹も出現したという事は、念のために冒険者ギルドに報告しておいた方が良い案件だろう。事実、冒険者ギルドでは少しでも〝異変〟を感じるような出来事を目撃した場合は、包み隠さずギルドの方に一報を入れる事を推奨している。これは、その説明の時に多少なりとも役立ってくれるはずだ。
俺はアイテムボックスから清潔な布を数枚取り出すと、自らの手で刈り取ったゴブリンの右耳、計四枚を筒み包んだ。多少なりとも血臭が立ち昇る〝それ〟を人前でも問題なく取り出せるように、採取物を入れている物とはまた別のポーチに収納する。
続いて、ピクリとも動かなくなったゴブリン達を念のためにアイテムボックスに収納しておこうと、地に醜態を晒す彼らの死体に手を伸ばしかけた――丁度、その時。
「……ん? なんだこれ……?」
俺の視界の端にふと引っかかった物体が一つ。
たった今、殺めたばかりのゴブリン達。その内の一匹が気になる物を所持している。
蔦で編まれ、腰に無造作に巻かれた、原始的なベルトのような紐。そこに革の鞘に納められている刃渡り8センチ程のペティナイフが括りつけられていた。ゴブリンが所持している他の物と比べると、一際小奇麗な状態を保っている。
俺は徐にそれを手に取ると、陽の光にかざしてみたりなんかして、間近でよく観察してみた。すると、質素な装飾が施され、鈍色に輝いている持ち手の部分に薄らと文字が刻印されているのを発見する。
「エリアス・モント……誰か、人の名前か?」
だとするなら、このナイフの持ち主だった者の名前だろうか。或いは、このナイフを作った鍛冶屋の名前か。
それにしても何故、ゴブリン達はこのナイフを持っていたのだろう。パッと見た所、ゴブリン達が〝これ〟を入手してからそう時間は経っていないっぽいけど……。
「とりあえず、これもギルドに提出かな……」
そうだ。こんな場所であれこれ考えても仕方がない。俺は疑問の解決を先送りにする事にして、入手したナイフを布でくるみながら腰のポーチに収納した。
続いてゴブリン達の死体をアイテムボックスに放り込み、一先ずの後始末を完了させた俺は、早々にこの場を立ち去る事に決めた。
勿論、現在進行形で感じ取れている、件の精霊と思わしき存在からの視線が全く気にならない訳じゃない。
が、しかし。何も今すぐこの視線の正体を暴かないといけないという道理は無いのだ。
そもそも、俺はまだ、依頼を達成するために必要なコドリを採取し終えていないし、冒険者ギルドに報告しないといけない事もある。何よりも街では紅蓮聖女の皆が俺の歓迎会の準備をして待っていてくれているはずなのだ。彼らをいつまでも待たせるのは良くないだろう。
「――早く、帰らなきゃな」
そう独り言ちて、踵を返す。
そして、「また、来ます」と。今もこちらを無遠慮に見つめてきている〝ダレカ〟に向かって声を掛け、俺は来た道を辿るようにして森の中に分け入る。
刹那――風も吹いていないのに、一瞬だけ周囲の木々の枝葉がざわざわと揺れた。
まるで、意志を持った何者かがこちらの呼び掛けに応えているかのように。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――納品依頼二つの達成を確認致しました。依頼の遂行、ご苦労様でした」
カウンターの奥に佇む、眼鏡を掛けた女性――冒険者ギルドの受付嬢を務めるアリサさんがそう言って深々と頭を下げてくる。直後、俺の胸の辺りに淡い光が灯り……それは数秒の後に緩やかに失せていった。恐らく自分自身にしか見えていないであろう光景を見届けた後に、俺は辺りを見回す。
今、俺はグリモアの街の冒険者ギルドに戻ってきている。時刻はまだ正午を多少なりとも過ぎたあたりだということでギルド内は比較的がらんどうとしていた。恐らく、他の冒険者達はまだ依頼をこなしている最中なのだろう。事実として、早朝や夕暮れ時なんかには大勢の冒険者が列を成すこの受付カウンターに並んでいる者は俺を除けば誰一人として存在していない。
「あの……ちょっといいですか。アリサさん」
「はい。なんでしょうか、ユウトさん」
「少し相談と言いますか……まぁ、今の内に報告しておきたいことがあるんですけど」
そう前置きしつつ、俺はポーチから布に包まれた状態のゴブリンの耳を取り出してカウンターの上に置いた。すると、流石は冒険者ギルドの受付嬢と言うべきか、アリサさんは直ぐに〝それ〟が何なのかを理解したらしく。
「これは……ゴブリンの討伐証明部位、ですか」
「はい」
「……そういえば、本日、ユウトさんは薬師の森に赴かれていましたね?」
「えぇ。これはそこで遭遇したゴブリン達から剥ぎ取った物です。薬師の森は魔物が殆ど出没しない場所という事だったので、一応、念のために報告しておいた方が良いのかなと思いまして」
俺が返答するのと同時、アリサさんの表情が何かを憂うようなそれへと変化するのが傍目にも理解できた。
「……薬師の森は多数の薬草の群生地が確認されているという事もあり、恒常的に魔物の掃討が行われています。あの森が安全だと言われているのは、それによって魔物が森の中に入る傍から討伐されているというのが主な要因となっているのですが……ある程度高い知能を有し、一定の地域に定住しながら群れを成して生活するゴブリン達があの森で目撃された事案は、私が記憶している限りでは、ここ数年は皆無だったはずです」
「じゃあ、何か異常事態が起きているのかもしれない……と?」
俺の問い掛けにアリサさんは小さく首を横に振って答える。
「私も正確には分かりません。ですが、詳しく調査する必要がありそうですね」
次いで、彼女の透き通った色の瞳が俺の方を見つめてきて。
「そのお話、もう少し詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか」
「勿論。俺に出来る事なら幾らでも協力しますよ」
純粋にこの街を憂う彼女の懇願を跳ね除ける理由はどこにも存在しなかった。
何故なら――、
どこの馬の骨とも知れない俺の事を受け入れてくれた紅蓮聖女の皆が居て。
門前払いされてもおかしくなかった俺の〝居場所〟を作ってくれたナタリアさんがいるこの街の事が――少しずつ好きになってきているから。
この街の為になるのならば、出来るだけこの人に協力しようと、心の底からそう思える。それが今の俺の偽らざる本音なのだ。
俺はアリサさんの要求に頷いた後、ゴブリン達と遭遇した時に感じた事や当時の森の様子を報告。更には、森の中で回収しておいたゴブリン達の死体や奴らが所持していたナイフを提出した。文字通り、一切合切。今の俺に提示できる事を全て吐き出したのである。
「――以上が俺からお伝え出来る事の全て、です」
そう話を締めくくると、手元の紙に報告した内容を書き留めていたアリサさんが視線を上げ、綺麗なお辞儀を返してきた。
「ありがとうございます。今回、ユウトさんが報告してくださった情報に関しましては、一度こちら側で調査し、改めて折り返しの報告をさせて戴く事となるでしょう」
「分かりました」
彼女の言葉に頷き、俺は徐に時計を見上げた。
時計の針が丁度五時を指し示している。
俺が冒険者ギルドに入場した時はまだ三時ぐらいだったはずなので、既にここに来てから二時間ぐらいの刻が経過した事になるだろうか。
「……すいません、アリサさん。俺、もう帰ります」
「はい。それは構いませんが……何か、これからご予定でも?」
「えぇ。実は紅蓮聖女の皆さんが俺の引っ越し祝いに歓迎パーティーを催してくれるそうなので、今日は早めに帰ろうかと」
「そうなのですか」
アリサさんはニッコリと笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「実はユウトさんが問題なく彼らと馴染めるのか、少し不安でいたのですが……どうやらその心配は杞憂だったようですね」
「はい。紅蓮聖女の皆さんは気の良い人ばかりですから。……どこの馬の骨とも知れない俺みたいな奴でも歓迎してくれて、本当に感謝してます。勿論、そんな彼らと引き合わせてくれたナタリアさんやアリサさんにも」
「いえいえ、ギルドマスターはともかく、私は何もしておりませんから」
アリサさんは首を横に振り謙遜するが、そんな彼女が俺の〝秘密〟を秘匿してくれていなければ、こうも話がスムーズに進まなかったであろうことは想像に難くない。故に俺は律儀に約束を守ってくれている彼女に感謝の念を抱かずにはいられないのであった。




