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彼女の信念、あるいは矜持

「――はい?」


 口から、何とも間抜けな声が漏れた。


 他の誰でも無い、自分自身の口から。


 それぐらい、ナタリアさんの発した提案は予想外な物だったから。脳の処理が追い付かず、それでも何か言わなきゃいけない気がして――その結果、口から間抜けな声が出てしまうぐらいには。


「あの……すいません。俺、耳がおかしくなっちゃったみたいで」


 あまりにも突拍子もない提案に、俺はまず〝聞き間違い〟であるという可能性を疑ってみた。右手でこめかみを抑えながら、俺はナタリアさんに問いかける。


「なので、もう一度さっきの台詞を言ってもらえませんか?」


「あら、それは大変ね。いいわ、何度でも言ってあげる。〝ねぇ、トガミ君。あなたのお店を融通するって言ったら、どう思う?〟」


「……もう一回」


「〝ねぇ、トガミ君。あなたのお店を融通するって言ったら、どう思う?〟」


 二度三度聞いた所で、耳から入ってくる言葉に変化はない。ここでようやく、俺は〝聞き間違い〟であるという選択肢を放棄する。


「…………つつがない事をお聞きするようですが、ナタリアさんの言っている事はつまり、俺の店をくれると、そういう解釈でよろしい訳でしょうか?」


「まぁ、有り体に言えばそういう事になるのかしらね」


「――失礼な事を承知であえて言います。アホなんですか」


「本当に失礼ね、トガミ君」


 全く、やれやれだ――と言いたげな表情で首を横に振るナタリアさんだが、俺の混乱……というか、俺の言いたいことはこれだけでは収まらない。


「それはしょうがないですよ! だって、いきなり店をくれるとか言われたんですよ、俺! 店売りできるレベルの薬を調合出来たんならまだしも、その品質には遠く及ばない上に、俺自身、この街に来たばかりの〝よそ者〟な訳で。最早、さっぱり意味が分からないですし、俺に店を与えるメリットが俺自身全く思いつかないっていうか……」


「――あなたに店を与えるメリットが思いつかない、ね……」


 ナタリアさんは出来の悪い生徒を前にした、何かを諭すような表情を浮かべた。


「トガミ君に店を与えることのメリットなんて、幾らでもあるわよ」


 そう断言するナタリアさんには、嘘をついているような素振りが微塵も感じられなくて。


 自分の認識と大きくずれたその言葉に、俺は大きな疑問を抱かざるおえなかった。なんなら、一人寂しく見知らぬ地にやって来た俺に対してナタリアさんが憐れんだ結果、無理やり理由づけをして店を与えてくれようとしていると考える方がよっぽどしっくりと来るほどだ。


「メリットが幾らでもある、って……本当なんですか? ただ、俺を憐れんで、俺に店を与える為に無理矢理こじつけて言ってるなら止めて欲し――」


 俺がそう言い放った瞬間、こちらの言葉を遮るようにして、目前にあったひざ丈ほどのローテーブルがバンッ! と勢いよく叩かれた。テーブルを叩いた犯人は、言わずもがなナタリアさんである。彼女はこれまで俺が見たこともないような鋭い視線でこちらを見つめてきていて、


「私を、見くびらないで頂戴」


 その声を聴いただけで、克明に理解できた。


 彼女は今、本気で怒っているのだと。


「私はギルドマスターよ。私には、このギルドと冒険者達を守る義務があるわ」


 それは、彼女なりの信念なんだろうと思う。


 彼女自身で積み上げて、彼女自身で打ち立てて、彼女自身で貫き通してきた、信念。


「だから、ただ私情にかまけて、一方的にこちらが不利益を被るだけの契約を結ぶことは無いわ。絶対にね」


 その信念を穢されて、きっと彼女は怒ったのだ。


 俺の不用意な発言が彼女の信念を穢してしまった。


「私が今回この話を持ち掛けたのは、トガミ君がこの街に拠点を持って、この街を中心に活動してくれるようになれば、この街の冒険者達にとって大きなプラスになると思ったからよ。このご時世、優秀な調合師はどの街も不足しているわ。その点、トガミ君は近い将来――いいえ、明日にでも優秀な調合師になれる特別な素質を持っている」


「えっ……?」


 自分の認識と大きくずれている――どころの話じゃない。俺は精々、自分の調合師に関しての才能は並、もしくはそれより少し上という程度だと思っていた。

 だって、教本(マイバイブル)である『調合資』には、〝初日にランク6~7程度のローポが調合出来れば……まぁ、まぁまぁじゃろうな!〟という記述があったから。

 その〝まぁまぁ〟より少し上のランク8のMPローポを調合した俺はあくまでも並より少し上程度の才能しかないのだろう。それでも、他人よりも多少優れた才能を持っているのなら嬉しいな――というぐらいの気持ちで昨日は調合を終えたのだ。

 事実、それで結構満ち足りた気分だった。自分に何か他者より秀でた所があるなんて、今まで自覚した事が一度も無かったから。


 ――にも拘らず、何倍もの上方修正。まさかのべた褒めと言っていい評価に、俺は目を白黒させる。

 そんな俺を見て、ナタリアさんは鋭い視線を若干軟化させ、ハァと溜め息を一つ。


「やっぱり、トガミ君自身には自覚が無かったのね……。いえ、何となく予測できていたことではあるのだけど」


 彼女は「私自身、調合魔法こそ使えるけど、調合師として本格的に活動している訳じゃないから偉そうに言える訳じゃないんだけどね」と前置きし、言葉を続ける。


「まず、トガミ君は一つ勘違いをしているわ」


「勘違い、ですか?」


「えぇ。それも一般常識とは大きくかけ離れた勘違いよ。どうもトガミ君は自分がランク8の薬をした事が然程大事では無い事のように思っているようだけど……それは大きな間違いなの」


 ナタリアさんはそう断言して、


「トガミ君は新人の調合師が調合魔法有りの調合を始めてその日の内に、どれぐらいの品質の薬を調合できるようになると思う?」


「えっと――」


 ざっと頭の中で計算してみる。

〝調合資〟に書かれていた事を元に考えるなら、ランク6~7程度を調合できるようになれば『まぁまぁ』な訳だし、平均を取るならそこから少しハードルを下げた方が良いと考えて……。


「――大体ランク5ぐらいなんじゃないですかね?」


「違うわ」


 俺の回答をバッサリと切り捨て、ナタリアさんが首を小さく横に振った。


「勿論、個人差はあるのだけど……正解はね、2よ」


「――へ?」


 彼女の口から発せられた言葉を聞いた時、俺は一瞬、自分の耳の正常性を疑った。


「……え、2? 5じゃなくて……たったの2?」


「えぇ。2よ」


 淡々と答えるナタリアさんに嘘を言っているような様子は見受けられない。

 だとすれば、彼女が言っている事が本当に正しいのであれば、確かに俺は特別な素質とやらを備えているのかもしれない。

 だって、単純に考えて〝4倍〟だ。同条件下における他者が生み出す薬の品質の平均がランク2に対して、俺のそれはランク8に届いている。


「これで分かってくれたかしら? 自分自身の異常性。そして、私があなたをこうまでも高く評価している理由を」


「……はい」


 己の認識不足を自覚し、俺は微かに項垂れながら返答した。


「なら良し」


 すると、ナタリアさんは満足げに頷いて、


「で、どうかしら。あなたのお店を融通する件、受けてもらえる?」


「それは――」


 今回の件、お店を融通してもらえるというのは、資金面で大きな不安を抱える俺にとって、願っても見ない申し出だ。包み隠さず本音を言えば、自分のお店は無茶苦茶欲しい。

 しかし、その一方で是と答えることに躊躇してしまう自分がいる。こういった形で他者に甘えてしまうのはどうなんだと。そんな事をすれば、悠久の館にいた頃に決意した心情が揺らいでしまうのではないかと。いやに罪悪感の様な感情に囚われる。

 結果、両極端な二つの意思を抱いた俺は、言葉を詰まらせてしまった。


「どうしたの? トガミ君」


「すいません、ちょっと考えさせてください」


 ナタリアさんに断りを入れ、俺は思考の海に脳を沈める。

 口を閉じて、考えて、考えて。

 そうして数分の思考の果てに、俺は結論付ける。


 目を開け、俺はナタリアさんを見据えた。


「……決まったようね。聞かせて頂戴、あなたの答えを」


「はい。その話――受けようと、思います」


「そう」


 俺が肯定の意を示すと、ナタリアさんはホッと胸を撫で下ろす所作を見せた。


「良かった」


「ですが、それには条件があります……いや、これを条件と言えばいいのかはよく分からないんですけど」


「……言ってみなさい」


 少し険しい表情を作り、ナタリアさんが先を促す。


「はい。ただ譲ってもらうんじゃなくて、賃貸、あるいは購入という形を取りたいんです。やっぱり、ただ譲ってもらうだけとなると俺としても心苦しい所があるので」


 そう俺が答えた直後、ナタリアさんは一瞬呆気にとられたような顔となり、


「……うふふ」


 そして上品に笑い出す。


「な、ナタリアさん……? 何故、笑うんです?」


「うふふ……あぁ、ごめんなさいね。何か自分にとってメリットになる条件を付けてくるのかと思っていたら、まさかお金を払わせてくれだなんて思ってもみなかったから」


 ナタリアさんはお茶目な仕草でウィンクすると、


「トガミ君は相当なお人好しなのね」


 と、少し揶揄(からか)うような口調でそう宣った。

 しかし、俺がお人好しか……あまり実感が湧かないな。


「……そうですかね?」


「えぇ。それはもう、飛びっきりのお人好しよ。私が保証してあげる」


「はぁ……」


 自分のお人好しを他人に保障されるというのも何だか可笑しな話ではあるが、とりあえず頷いておく。

 するとナタリアさんは、


「それじゃあ、話を戻すけど……実は、トガミ君に譲渡する店舗はもう既に準備が出来ているの」


「え、もうですか?」


 ――俺が話を受けるとは限らなかったのに?

 そんな疑問を視線の中に滲ませてナタリアさんにぶつけると、彼女は当たり前だとでも言いたげに得意げな顔をしていて、


「善は急げというでしょう? 益になると思えば即行動するべきだもの。それに、例え一度断られても、そうしてあらかじめ準備をしておいて、そのことをそこはかとなく滲ませて交渉すれば、相手が心変わりするって事も十分にあるのよ」


「なんていうか……腹黒いですね。……あ、いや。これは別に貶しているってそういう訳じゃないんですけど」


 俺が自らの失言を取り消そうと言葉を付け足していると、ナタリアさんは「別に良いわよ」と、そう言って。


「実際、私なんて腹黒さの塊みたいなものだから。そもそもある程度の地位に居る奴らなんて皆こんな感じよ。組織を大きくするのも、自分の身を守るのも、最終的にその進退を決めるのは交渉や駆け引きごとが殆どを占めるから」


 皮肉を口にしながら軽く笑って見せる事で、煩わしい空気を一掃するナタリアさん。

 それから彼女は懐から一つの鍵を取り出すと、こちらにニコリと笑いかけて来て。


「もし、トガミ君が良ければ今から行ってみる? その店に」


 先ほどとは違って、この質問に対する答えはもう決まっていた。


「はい。勿論」


「それじゃあ、行きましょうか」


 言って、ナタリアさんが立ち上がる。

 俺もまたソファから腰を上げ、二人で部屋を後にした。













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