赤く染まる夕暮れの中で
夕焼けが街を赤く染め、グリモアの街の住民に夜が目前に迫っていることを伝えている。
メインストリート沿いに並んだ出店は店じまいを始め、幼子は母親に手を引かれながら帰路につく。
俺はそんな光景を眺めつつ、レティアと肩を並べて歩いていた。
「すっかり買い物に熱中してたね」
「……うん、そうだね」
――あれから。服屋で6着の服を購入してから、既に3時間が経過していた。
その間、俺たちが何をしていたかといえば、特別、何かを執り行っていたという訳でもなく、ブラブラと街中を散策していた。
そこに明確な目的は介在せず、はたまた惰性に引き摺られていたという訳でも無い。
ただ気の赴くままに街中の至る所に足を運んでいると、時間はゆっくりともあっという間とも感じられる曖昧な早さで過ぎていって――気がつくと3時間が経過していた。
俺は明日に少しばかりやりたい事があって、今日は早めに寝ておきたかったし、レティアはレティアで孤児院の仕事が残っているという。だから、空が赤く染まり始めてから解散する流れに至るのにそう時間はかからなかった。
そして豊穣の宿までの道のりの途中に紅蓮聖女のクランホーム兼孤児院があることから、自然と俺がレティアを家まで送る形となったのである。
「明日は晴れかな?」
「……うん、そうだね」
――その事自体に不満は全く無い。
これまでにこういった経験があるわけじゃ無いけど、女性をエスコートする事は男として当たり前だと思うし。
「も、もうすぐ、孤児院だね」
「……うん、そうだね」
「……」
「……」
けど……何故なんだろう。
会話が長く続かない。
解散の流れになって、共に帰路につき始めてからというもの、こちらが話を振ってみても、レティアは壊れたラジオのように『……うん、そうだね』と、全く同じ返答をするばかり。
心なしか、何やら思いつめたような表情を浮かべている気もする。
もしかして、そんな表情と態度を取ってしまうぐらい、今回の散策はレティアにとってつまらないものだったんだろうか。途中からの行動パターンは流れの中で勝手に決まってしまっていたけど、女の子としては、当てもなくブラブラするんじゃなくて、しっかりと目的を持って行動する方が良かったり……?
……あり得る。実際に買い物している時は楽しんでいる"振り"をしてくれていたけど、もうすぐ別れるという段階になって気が抜けた、みたいな。そういう可能性が無いとは言い切れない。
けれど……何だか、彼女の受け答えが曖昧なのは、”そういうこと”が原因じゃないような気もしている。いや、個人的な希望的観測が混じっていることは否定できないんだけど。
それを承知で敢えて所感を述べさせてもらうと、今のレティアは、心ここに在らずといった感じで、全く別のトコロに思考能力のリソースを割いているような雰囲気がある。
勿論、具体的に彼女が何を考えているかなんて、他人の俺に分かるはずもない。
だから、これはあくまでも俺の勝手な推論でしか無い訳で。だけど、あながち俺の推測も間違ってはいないんじゃないか――根拠なんてないけど、何となくそう思う。
――と、まぁなんとも蛇足的な事柄に想いを馳せながら。
夕日を右手に眺め、日中に比べると人通りが少なくなったように感じる――それでも、十分に混雑している――メインストリートを北上していると、先日も訪れた孤児院兼紅蓮聖女のクランホームに到着した。
だが、レティアはそのことに気がついていないのだろうか。
少女は歩みを止めず、孤児院の前を素通りしようとしている。
「――レティア!」
鋭い声で名前を呼ぶ。
ようやく彼女は立ち止まり、こちらを振り向いた。
「……ユウト君?」
キョトンと首をかしげるレティア。どうやら、既に孤児院を通り過ぎている事に本気で気がついていないらしい。
「どこまで歩くんだよ、レティア。孤児院はここだよ」
そう端的に指摘する。レティアは辺りを見回し、驚きをあらわにした。
「あ……えっ? ……本当だ。ごめんね、私、少しボーッとしてたみたい」
「危ないなぁ……全く」
苦笑しながら言うと、レティアも少し頬を赤く染めながら苦笑した。
「今日は……買い物に付き合ってくれてありがとね、ユウト君」
「いや、礼を言わなきゃなのはこっちだよ。自分で選ぶよりも良い服を選べたし、街をブラブラするのもとても楽しかった。……それに、今日の午前中は少し失敗しちゃったことがあってさ、ちょっと気分が落ち込み気味だったから、良い気分転換になったよ。――だから、今日は俺を誘ってくれてありがとう。レティア」
「そっか……そうなんだ。ちゃんと楽しんでくれてたんだ……」
レティアはどこかホッとしたような表情で胸をなでおろした。もしかすると、彼女もまた俺と同じように、先の散策を相手がどう感じていたのかを気にしていたのかもしれない。
「あの……ユウト君」
レティアが上目遣いでこちらを見つめながら口を開いた。
俺は考察を一旦終了させ、意識を現実に引き戻す。
「何?」
「気が早いって思うかもしれないけど……、もしよかったら、また今度、今日みたいに買い物に付き合ってくれる?」
彼女の提案を断る理由はどこにも無い。俺は特に躊躇うことなく首肯する。
「勿論。むしろ、こっちからお願いしたいぐらいだ」
「それじゃあ、約束だね」
「あぁ、約束だ」
互いに顔を見合わせ、俺たちは微笑み合う。
直後、俺は自分の胸中に暖かい感情が広がっていくのを実感した。
それは――六年前、あの娘と一緒にいた時に毎回感じていた、徐々に胸が高鳴っていくような感覚とは大きく異なっている。
むしろ、その逆。
胸が高鳴るような忙しない感情ではなく、逆に落ち着くというか――そう。ある種、家族で団欒の時を過ごしている最中、そういった状況で感じるものに近い気がする。
(家族、か……)
穏やかな感情を抱きながら、俺はふと思い出す。
あの時――白い世界で神に別れを告げ、門を潜った先の世界で、両親と最後の邂逅を果たした時の事を。
あの時も、今と同じような感情を抱いていたように思う。……勿論、抱いていた感情はそれだけじゃなかったと思うけど。まぁ、その辺りはどうでもいいとして。
そういえば父さんと母さんは、今何をしているのだろう。まだ、俺が死んだ事を悲しみ続けているだろうか。それとも、そこから立ち直って日々を過ごしているだろうか。
――”元”家族としては、立ち直ってくれている事を願うのが普通なんだろうけど、心の奥底では、もうちょっとだけ悲しんでいてほしいなって思う自分がいる。
だって、悲しみから立ち直るってことは、父さんと母さんが俺の死を乗り越えた事を意味していて、俺が二人の心の中から消え去った……みたいな。杞憂だってことはわかってるんだけど……そんな考えが頭を過る。過ってしまう。
家族の幸福を素直に願えない自分が、心の中に確かに存在している。
それに、俺が気になっているのは両親のことだけじゃない。
他の人々。俺が息を引き取った時、その側で涙を流していた佐奈さんや、彼女に寄り添っていた楓太さん。学校の友人、近所の知り合いのおばちゃん。
彼ら彼女たちは、今頃、どんな日々を過ごしているのだろうか。
そして――死ぬ直前に俺が助けた、女の子。
あの年端もいかない少女は、俺の両親の元で幸せな時を過ごせているだろうか――。
数え切れない思いが頭の中に浮かんでは、泡沫のように消え去って。その度に、郷愁の念にも似た感情が心を満たす。
際限なく湧き上がる思いが涙腺を刺激して、視界がぼやけてしまう。
――嗚呼。涙が溢れるのを抑え切れそうにない。
「――ユウト君、どうして泣いているの? 何かあった?」
「あ、……ううん。何でもないよ。欠伸が出そうなのを堪えただけだから」
レティアの質問に首を横に振り、俺は両頬を零れ落ちようとする涙の雫を拭った。
そうして、少女に向き直る。
「……このままここで立ち話をしていても、あれだからさ。俺、そろそろ帰るよ」
「……うん」
「それじゃあ、また。レティア」
そう少女に別れを告げ、俺はその場を立ち去ろうと身を翻した。
――その刹那の事。
「――あのっ、ユウト君!」
レティアの鋭い呼び声で引き止められ、俺は後ろを振り返った。
丁度、俺が孤児院の前を通り過ぎようとしていたレティアを呼び止めた時とは、全く逆の構図。
直後、俺は自分を呼び止めた張本人の表情が直前のそれとは大きく変化している事に気がついた。
少女が浮かべていたのは……何かを憂いているような、儚げな表情。
一度触れれば跡形も無く瓦解してしまいそうな表情を浮かべるレティアは、普段の快活な印象が強い時とは大きくかけ離れて見える。
「えっと……何?」
急に呼び止められた事に対する若干の戸惑いと、普段と異なる少女の雰囲気に対する驚きを織り交ぜながら。俺は簡潔に問い返す。
すると、レティアは一瞬だけ従順するような反応を垣間見せ――口を開いた。
「もしかしたら……私の勘違いかもしれないんだけどね? ユウト君、昨日の夕方にギルドマスターと会ってなかった?」
「まぁ、会ってたと言えば会ってたけど……なんで、レティアがその事を知ってるんだ?」
「あ、いや……その。実は昨日、食材のまとめ買いをしていたら、ユウト君がギルドマスターっぽい人と”ハイドラ亭”から出てくるのが見えて……」
レティアはそこで一度言葉を区切った。
腰の前で両手を絡ませ、数秒モジモジしたかと思うと、少々歯切れ悪そうな様子を見せて言葉を紡ぐ。
「あそこはカップルのデートスポットとして有名だから、もしかしてユウト君とギルドマスターも……そ、”そういう仲”なのかなって、少し気になって……」
「……は?」
レティアの口から語られた衝撃の事実に、俺は一瞬のフリーズを強いられる。が、すぐに正気を取り戻すと、自分でも大袈裟だと感じるぐらい勢いよく何度も首を横に振って彼女の推測を否定した。
「――いやいやいや、それはありえないって!」
「……本当に?」
何故か、今にも泣きだしてしまいそうな雰囲気を漂わせるレティア。
俺は『――なんでこんな必死になってるんだろう……』なんて思いつつ、それでもそうしなくちゃいけない気がして、全力で彼女の説得を試みる。
「だってさ、考えてみてよ。俺がこの街に来たのは、たったの数日前。ナタリアさんに初めて会ったのもその日だし。それから今日までの短い時間で、俺がナタリアさんと……その、恋人関係になるなんてまずありえないだろ?!」
「そ、そうだよね……何考えてるんだろ、私……あはは……」
必至な訴えかけが功を奏したのか、レティアは納得した様子で苦笑いする。
それから、彼女は何かを話そうとしては口を閉ざすというサイクルを二、三回程繰り返して、やがて少しだけ申し訳なさが混じったような、中途半端とも言える笑みを浮かべて言った。
「なんだか……ごめんね? 急に呼び止めて、変な事を聞いたりして」
「いいよ。別に俺は気にしてないからさ」
「……うん」
レティアが短い言葉と共に首肯するのと同時、真横の孤児院の敷地内から「あーっ、れてぃあがかえってきたー! ゆーともいるー!」という、舌足らずな幼い子供の声が聞こえてくる。
咄嗟に声がした方向へ視線をやると、孤児院兼クランホームの建物の二階、そこの一つの部屋の窓から四、五歳ぐらいの少女がひょっこり顔を覗かせており、頻りにこちらに向かって小さな手を振っているのが見えた。
「れてぃあ―、よみがもうすぐごはんできるっていってたよー」
「うん、分かった。じゃあ、ヨミに私が帰って来たって事を伝えてくれる?」
「がってんしょうちのすけー!」
窓から顔を覗かせていた少女は、レティアからの頼みに溌剌とした声で返答すると、最後に俺の方に向かって大きく手を振ってから姿を消した。恐らく、レティアの言伝通り、ヨミへ伝言を伝えに行ったのだろう。
窓から顔を見せていた少女の姿が見えなくなったのを確認したレティアは、その赤い双眸をこちらに向けてきて、囁くように声を発する。
「――というわけだから、ユウト君。私、もう中に戻るね」
「あぁ」
俺はゆっくり頷き、目前に佇むエルフの少女に別れを告げる。
「……じゃあ、また」
「うん。……また、明日ね。ユウト君」
小さく手を振るレティアに手を振り返し、俺は豊穣の宿への帰路に着いた。




