この感情が意味するものは
――チュン、チュン、と。
小鳥の可愛らしい鳴き声が耳朶を打った。
爽やかな風が頬を撫で、深奥に沈んでいた自分の意識が急速に表層へと浮上していくのを実感し――目を開ける。
直後、視界に飛び込んできたのは、頭上を覆う木々の枝葉。そして、その隙間から燦々と降り注ぐ陽光の煌めき。
瞳孔を直接刺激する眩い陽の光に目を細め、そっと体を起こし辺りを見回すと、円形に開けた土地の周りを囲むようにして、数えるのも億劫な木々が無秩序に乱立している光景が目に映った。
「ここは……」
――どこだ? と言葉を続けようとして、ふと思い出す。
ここが”薬師の森”と呼ばれる、薬草が群生し、殆ど魔物が住み着いていない比較的安全な森であること。
自分が依頼を受けてこの森にやって来たこと。
この場所で依頼の品の採取を行っていたこと。
「それで――それから……どうしたんだっけ」
そこから、先。
リアント草を一定数収穫し終え、何らかの理由で視線を上げたその刹那から記憶がプツリと途絶えている。
それでも頭を捻り、なんとか思い出そうとするが……。
「……ダメだ。何も思い出せない」
かけらほどの成果も上がらない。
あの瞬間よりも後の光景が全く頭の中に浮かんでこない。それどころか、考えれば考える程に記憶は混濁し、混乱してくるようで、俺は頭痛に苛まれる錯覚にさえ陥り、終いには記憶をほじくり返す事を放棄していた。
「はぁ……はぁ……」
嫌な汗が右頬を滑り落ちた。それを右手の甲で拭いながら空を見上げると、太陽が天頂付近にまで到達している光景が視界に映る。
俺がこの森に辿りついた時には、太陽があそこまで到達するにはまだ2時間程の余裕があったはずだ。だとするなら。俺は2時間――いや。そこから森に分け入り、採取作業を行っていた分を差し引いた、およそ1時間半をこの場所で寝て過ごしていたということになる。
「何やってんだ……俺は……」
自分のあまりの間抜けさ、不用心さにほとほと呆れかえり、肩を落とす。
例え、この森が戦闘力皆無の人間でも探索できるほどに安全だとされているとはいえ、ここが街の外で、魔物の生息域である事実は不変だ。
そんな場所で寝るなど、言語道断……それを超えて、”禁忌”であると断言してもいい。
(なのに、こんな場所で無防備に寝るなんて……何度も”油断はいけない”って、自分に言い聞かせていたはずなのに)
心の中をジクジクと蝕むような自責の念に駆られ、視線を落とす。すると、広場の中央を陣取る石像のような物体が視界の中央を占領して。それを目にした途端、俺は、自身の中に、胸が締め付けられるような、どこか切ない違和感が広がっていくのを自覚した。
――突如として湧き上がった感情。それは、これまでに体験したことのない類のもので、”恋慕”や”憐み”といった、おおよそ呼称できてしまう様な単純な構造では無いように感じられる。
――なら。名前を付けようがないこの感情は……一体何なんだろうか。
(――って、いやいや……そんな事を考えている場合じゃないだろ、俺)
俺は自分が思考の泥沼に足を突っ込みかけている事を自覚し、頭を振った。
答えに辿りつきそうにない、胸中を侵食している感情の考察を一旦諦め、その場に立ち上がる。
寝ている間に盗られたものは無いか、自分の装備を一通り確認。
(服は……ちゃんと全部着てる。革のポーチも、ナイフもあるな。髪も赤色のまま。『イリュージョン』の魔法は解けてない、と)
そうして紛失したものが無い事を確かめると、逃げるようにその場を後にする。
早足で木々が鬱蒼と茂る森の中に入り込み、警戒心を滲ませながら来た道を辿るように進んでいくと、十分ほどで森を抜けて――その頃には、心の中に居座っていた違和感のような感情は跡形も無く消え去っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
無事に依頼を達成し、薬師の森を脱した俺は駆け足でグリモアの街に戻ると、その足で冒険者ギルドに赴いた。
無論、その目的は依頼の達成報告なのだが、今回は昨晩に気が付いた”名声値”に関するちょっとした検証も兼ねていたりする。
街の入場の為に通った西門を離れ、人混みに紛れながら三十分ほどメインストリートを歩くと、冒険者ギルドに着く。
尚、現在時刻は正午過ぎ。よって冒険者ギルド内は殆どの冒険者が依頼で出払っているせいか、早朝時の喧騒は鳴りを潜め、がらんどうとした様子を見せていた。
今朝は依頼受注を待つ筋骨隆々なおっさんたちが大挙して列を成していた三つある受付カウンターも、今は全ての所で閑古鳥が鳴いている。
勿論、ギルド内に全く人がいない訳じゃない。受付嬢を始めとしたギルドのスタッフは、今朝と同じくらいの人数を目視する事が出来るし、数人程度なら少々ラフな格好をした冒険者らしき人物たちを確認することも出来る。
けれども、やはり早朝の混雑具合には程遠く、今のギルド内部には、嵐が過ぎ去った後のような、どこかほのぼのとした雰囲気が漂っているようにも思えた。
「――通勤、通学ラッシュ直後の駅構内みたいな感じだな、これは」
これまで見てきた光景とは趣の異なるギルド内部をそのように評し、俺は全く人が並んでいない受付カウンターに足を運ぶ。
そして待機していた受付嬢に依頼書とリアント草、自分のギルドカードを提出した。
受付嬢は依頼書の文字が黄色に変色しているのを確認し、俺が納品したリアント草を検分。そうして依頼書通りの量があることを確かめると。
「規定量のリアント草の納品を確認いたしました。これにて依頼達成となります。こちらが今回の報酬です」
という言葉と共に、銭貨が入っているのであろう、質素な巾着袋を手渡してくれた。
「ありがとうございます」
心地よい対応をしてくれた受付嬢に礼を返し、彼女の手から報酬を受け取った次の瞬間。昨日と全く同じ現象が発生。俺の胸の辺りから強く眩しい光が放たれ始めた。
それは何の前触れも無く放たれた光だった。……が、しかし。目前に立つ受付嬢に、この光を気にしている素振りは見受けられない。
(やっぱり、”これ”は俺だけが見えているのか)
改めてその事を確認した後。俺は報酬に続いて返却された自分のギルドカードを懐に仕舞い、その場を離れた。
それから、冒険者ギルド内の一角に開かれている待合用のカフェスペース(決して酒場では無い)のカウンター席に腰を落ち着けると。
(――ステータスオープン)
強く心の中で念じ、自分のステータス画面を呼び出す。
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ユウト・トガミ
種族:ヒューマン
Lv4
MP:81/81
STR:33
DEF:25
AGI:43
INT:31
スキル
「魔法才能:全」「無詠唱」「ステータス隠蔽」「鑑定」「魔力効率上昇(大)」「魔法複合(#”&)〈名声値:23/2000〉」「???」「火属性魔法:Lv3」「水属性魔法:Lv5」「闇属性魔法:Lv6」「光属性魔法:Lv5」「空間魔法:Lv4」「結界魔法:Lv6」
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「予想通りだな……名声値が増えてる」
まぁ。予想では昨日と同じように元の数から10が上乗せされ、20に増えるものだと思っていたのに対し、実際は23と、予想とは異なった中途半端な値になっていたのだけど。
それでも、依頼達成と名声値の蓄積に因果関係がある事はこれでほぼ確定したと言えるだろう。
(上乗せ値が昨日よりも多くなったのは……依頼難易度が昨日よりも上がったからか。……だとすれば、もっと難易度の高い依頼を達成すれば、より多くの名声値を獲得できる可能性も――)
「――あれ? ユウト君?」
深い思考の海に沈んでいる最中、背後から声をかけられた。
明日も更新します。




