あなたは私達を忘れてしまう。跡形もなく。
――最初、この勝気そうな少女は冗談を口にしているのだと思っていた。
まさか、いきなりそんな物騒な事はしないだろう……と。まぁ、確かに彼女と俺は初対面だし、いきなり金縛り状態にされてちゃったりはしているけどさ。それでも流石にこんな綺麗な娘が”半殺し”とか、耳を疑う様な事を赤の他人の俺にする訳なんてない。もし仮にボコされたとしても、精々が数発しばかれる程度なんだろう……って。そう高を括っていた。
けど、深紅の輝きを灯す少女の瞳は、目的のためならばどんな事でも仕出かしてしまいそうな怪しい光を湛えているようにも見えて――。
俺は……何か電撃にも似た恐怖心の塊が、自分の背筋を駆け抜けていくのを自覚した。
「――ヒィッ?!」
それは、少女の物騒な物言いに気圧されたからなのか。あるいはそれ以前に、少女から注がれる視線の圧に心が悲鳴を上げていたのか。――真相は不明だが、これまで経験した事のない恐怖に駆られた俺の口からは、自分の物とは思えない情けない声が漏れた。
……そう。情けなく、女々しい”声”が自分の口から出ていたのだ。
「声が……!」
直前までは出そうにも出せなかった”声”。それがいつの間にか自分の意思に基づいて発せられるようになっている事に気が付いた時、俺は反射的に手で首を触っていた。
すると指先から伝わってきたのは、当たり前ながらいつもと変わらない、自分自身の肌の感触だったのだけれど――一見して全く意味の無いこの行動が、結果的に功を奏する事となる。
なにしろそうして腕を動かす事により、俺は自分の体が金縛りから完全に解放されている事を知る事が出来たのだから。
声が出せて、体も自由に動く――それを自覚してからの俺の行動は早かった。
『――あ、てんめぇ!』
こちらが動けるようになった事に気が付いた勝気な少女の声を置き去りにし、無我夢中で後退。この世界に来てから相当に上昇した身体能力を総動員し、俺は三人の少女達から距離を取った。
そしてある一定の間合いを空けた所で構えを取り、瞬きの時間思考する。
ここから即時離脱した方が良いのか――。
それとも、戦うにせよ話し合いをするにせよ、とりあえずこの場に留まった方が賢明なのか――。
二つの選択肢を天秤にかけ……俺は後者を選んだ。
========
???
種族:???
Lv???
MP:???
STR:???
DEF:???
AGI:???
INT:???
スキル
???
=========
念のためにもう一度”鑑定”を用いて確認してみるが、結果は変わらない。やはり少女達のステータスはその全てが秘匿されている。
故にその全容を知る事は出来ず、彼女達がどれほどの力を有しているのかは不明だった。
……けれど、何となく分かる。
もし仮に俺がこの場から遁走したとしても、彼女達から逃げ果せる可能性は万に一つも存在しないのだと。
例えば、蜘蛛の巣に引っかかってしまった、哀れな虫たちのように。
逃げても、逃げても。足掻いても、足掻いても。いつかは必ず捕まる。そんな未来が容易に想像出来てしまう。
だから、逃げる道は捨てた。
そして敵対もしない。彼女達と戦うなど、以ての外だ。それはあくまでも最終手段。二進も三進もいかなくなった時だけ選ぶべき選択肢だ。
なにしろ、相手の戦闘能力が未知である今、戦う展開のリスクが高いことは明白の事実である上、現時点において、少女達が俺の明確な敵であると確定しているわけでも無い。
なら、一度腰を据えて話し合ってみる価値は十分にある。
その選択に不安が全くないと言えば嘘になるけど……結局、ノーリスクの選択なんてのは殆どの場面で存在し得ないから、多少の危険には目を瞑るしかない。
俺は既にこの場から退きたくなりつつある自分の心と足を押し留め、少女達と相対する。
「君たちは……一体何者なんだ?」
そして疑問を投げかけた。
少女達は互いに顔を見合わせ、一瞬アイコンタクトを交わしてから、改めてこちらに向き直る。
『私たちが何なのか、知りたい?』
『あたいらは”精霊”さ!』
「……”精霊”?」
『そう。自然と同調し、魔力が自我を得た生命体。それが精霊』
『見えない、普通は、私たちのこと、普通の人間は。けど、見えている、私たちのこと、あなたは。思った、とても不思議だと、私たちは、そんなあなたを見て』
相も変わらず、幼い系少女(精霊)の発言は文法が滅茶苦茶で支離滅裂だったが、俺自身、彼女の独特な言い回しに慣れてきたのか、その言わんとしていることは何となく理解できた。
「……だから、さっきは俺を動けなくしたのか。俺が君達を見る事が出来る、その理由を探るために」
『えぇ。そうよ。まぁ、うちの早とちりお馬鹿のせいであなたが半殺しにされちゃいそうだったから、解除せざるおえなかったのだけれどね』
「……思ったよりもあっさりと肯定するんだな。もう少し素面を切ると思ってだんだけど」
大人びた少女は側で『誰が早とちりお馬鹿だ! あぁん?!』と粋がる勝気少女の脳天に強烈な手刀を喰らわせながら、器用に肩を竦めてみせる。
『ここで嘘をついても仕方がないから。それに……どうせ人間は私たち精霊のことを記憶に留めてはおけない。真実を話しても、話さなくても、結局は同じなのよ』
「……? それはどういう事だ」
『意味、言葉通りの、そのまま。覚えていられない、私たちを、人間は』
『ここで私たちと出会った事。そして、こうして私たちと会話をしたことを人間である貴方は忘れてしまう。跡形も無く。綺麗さっぱりと』
「そんな……」
彼女達の話を聞いて。
俺の胸には、一つの感情が去来していた。
どこか胸を締め付けられるような、そんな感情が。
……だって、そうだろう?
誰の記憶にも留まる事が出来ない。等しく、全ての人々から忘れられてしまう――これを悲しい事と言わず、悲劇と言わずして、他にどんな言葉で表現すればいいのだろうか。
突然金縛りにされただ――とか。半殺し宣告を受けただ――とか。そんな事は、今の俺にとってはどうでも良くなっていた。
心の揺らぎの前に、そんな些細な過去(だと言えるかは正直微妙なのだけど)は障害となり得ない。気が付けば、俺の胸中は切ない感情で埋め尽くされていて、その一片が口を突き、声となって排出される。
「なんで……それじゃあ、君たちはずっと――」
『てめぇがそんな顔をする必要はねぇよ。これは、こういう世界が構築されてからずっと続いてる、自然の摂理ってやつなんだからな』
俺の言葉を遮り、先程手刀を落とされた頭を抱えながら、勝気少女はぶっきらぼうに言い放つ。
『そもそも、バグみたいなもの、世界の、私たちは』
幼い少女が事実を羅列するように、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
『創造主の夢の中で生まれ、時には消えて、時には増える。時間の流れに逆らわず、運命の導きに付き従う。それが、私たちの本質。精霊としてのあるべき姿なの』
最後に、大人びた少女がそう締めくくった――その直後のこと。
前触れもなく。フッ――と。体全体の力が抜け、俺は自分の体を支えられなくなった。
脱力感とは少し違う。何か、自分とは別の存在に力を吸収されているかのような……自分の中にある色んなものが、誰かに吸い取られているような、そんな感覚が身体中を駆け巡る。
「あっ――」
何か言葉を発する暇も無く、俺は地面に倒れ伏す。すぐに体を起こそうともがいてみたが、ダメだった。
――四肢に力が入らない。
先ほどの金縛りとは、少しばかり異なる違和感。先のそれは、どれだけ力を込めようが、体表が分厚い鉄の層でコーティングされているかのようにピクリとも動けなかったのに対し、今はまず根本的に力が入らないのだ。まるで底に穴が開いた鍋に、延々と水を注ぎこんでいるかの如く。籠めた傍から力が次々と霧消してしまい、一向に蓄積されない。
とどのつまり、俺はそもそも体を動かそうとすることが出来なくなっていた。
『人の子よ眠れ』
『てめぇは眠りに落ちろ』
『人の子、眠れ、大人しく』
少女達の声が頭の中に反響する。
すると。彼女達の声に引っ張られるように、意識が眠気に侵食されていく。
引っ張られるな。目を開けろ。自分への激励の言の葉も湧いた傍から濁流に呑まれる様に遥か彼方へと流され、消失する。
『眠れ』
『眠れ』
『眠れ』
瞼が重い。途轍もなく、重い。
徐々に視界が狭まっていく。目に見える光景が、少しずつ黒く、黒く――。
……あぁ、ダメだ。もう、目を開けていられない。
そう感じた時には、既に頭の中は真っ白になっていて、対照的に視界は真っ黒になっていて。
遂には、何も考えられなくなる。
『 『 『 眠れ 』 』 』
そして、少女達の重なり合った声を聴き届けながら――俺は意識の手綱を手放した。




