紅蓮聖女
2/26に更新すると言っておきながら、日を跨いでからの更新となってしまい、本当に申し訳ないです。
その後、俺はクラン『紅蓮聖女』のメンバー及び、彼らが運営する孤児院の子供達が一堂に会する夕食にお呼ばれされ、クラン内の家事を一手に引き受けているという、ヨミが作ったご飯をいただいた。
それは悠久の館を出てから始めて食べる異世界の人が調理した料理で……実を言えば、その一口目を口に運ぶ時、俺の中には一抹の不安が漂っていた。
なんせ、地球に和食や中華、洋食があったように、例え同じ世界であったとしても、地域によって食文化や大まかな好みの味付けは変わるのだ。ましてやそれが全く違う世界になったとなれば、如何ほどの違いとなるのか……予測はつきそうにない。
いや、確かに、悠久の館でシェリルさんが作った料理の数々はとても美味しくいただけた。だが、彼女が外の世界と隔絶されてかなりの歳月が経っているはずだ。その間に外の世界の食文化が大きく変貌していても何らおかしくは無いのである。
しかし、そんな俺の心配は杞憂に終わった。食べた人を笑顔に変える――俺と一つしか違わない少女が作った料理には、そんな力が籠っていた。
異世界から転生してきた身である俺もその例外では無く、一口目を咀嚼して以降は、しばらく食べ物を口に運ぶ手が止まらなかった。お呼ばれされている身でみっともない事をしたかと思うが、それは後の祭りだ。
肉の入ったスープ。色とりどりの野菜が盛られたサラダ。柔らかいパン。メインディッシュには、牛肉の様な、あるいは鶏肉の様な――少し不思議な見た目と食感の肉のステーキ。
テーブルに並んでいた料理は至ってシンプルで、素朴な物が殆どだったけど、そんな事は関係ない。少なくとも、今まで食べた中で一番うまいと断言できる夕食だった。
夕食を食べ終えた後は、クランのメンバー紹介や、孤児院の子供達とのちょっとした交流会に移った。
クラン『紅蓮聖女』のメンバーは全員で六人。
エルフ族でクランマスターでもある、レティアさん。
クランのサブマスターで、ヒューマンのノエルさん。
同じくヒューマンで、クラン内最年少のヨミ。
逆にクラン最年長の67歳。酒が何よりも好きだというドワーフのガストン爺。
レティアさんと同じエルフの女性で、クラン内の事務や書類仕事を担当しているファニールさん。年齢は28。
最後に、孤児院で子供の相手を務めることが多いという獣人――その中でも狐に酷似した耳や尻尾を持つ、狐獣人の少女リーリア。16歳。
――以上がクランメンバーとなる。
俺は六人全員と自己紹介を交わし、皆から歓迎された。見ず知らずの俺に対してあまりに友好的すぎないかと思ったが、皆、ノエルさんの『目』を信頼しているらしい。
ノエルさんの目に適うならば、悪人じゃないだろう……そう信じているのだそうだ。
なるほど。ノエルさんが自慢げに『俺の家族だ』と豪語する訳だ。このクランは互いの事を信頼し合い、尊重し合い、とても居心地のいい雰囲気を漂わせている。その光景は正しく『家族』。……いや、それ以上のものに見えた。
クランメンバーの紹介が終わった後は、孤児院の子供との交流会が続く。
とは言っても、孤児院に保護されている子供は男女合わせて四十人近く存在していて、その全員と交流するとなれば、取れる選択肢はそれなりに限られている。
俺は幼子たちに地球に存在した話を語って聞かせることにした。
だが、ここは魔法や魔物、その他摩訶不思議なものが『日常的』に存在する世界。適当に選んだ物語では子供たちの関心を引くことが出来ないのは簡単に予測できた為、実際に語る物語の選択は慎重に慎重を重ねることとなった。
それが功を奏したのか否か。
子供達は俺が語った『英雄譚』に胸を躍らせ、高揚した。
興奮した彼らは無意味に俺の周囲を走り回る。
「もっときかせて!」「まだおはなしききたい」
舌足らずな言葉で、目を輝かせながら懸命に話の続きを強請って来て――
「もっと聞きたい……ユートン、もっと話して」
その子供らに交じり、俺と同い年のはずのリーリアが一番熱心にこちらに訴えかけて来ていたのが何とも印象的だった。
狐耳がピクピク動き、尻尾は彼女自身の興奮を表現してか、ブンブンと音を立てながら左右に振り回される。その様子は穢れを知らない純粋な子供のようで、何故、彼女が子供の相手をより多く勤めているのか……その理由の一端を垣間見た気がした。
それにしても『ユートン』って……いや、まぁいいか。
中学時代に付けられていたあだ名よりは大分マシだし。
それに、賑やかな場の雰囲気に当てられたせいか、俺はいつもより陽気な気分になっていた。だから小さなことは気にせず、子供達(と若干一名の同年代の狐獣人)に催促されるまま、俺は自分の知る限りの空想の物語を語り続けた。
――結局、幼子たちの笑い声は夜遅くまで止むことは無かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そして――次の日。
俺は見知らぬ部屋で目を覚ました。
体を起こし、辺りを見回し……昨晩、自分が『紅蓮聖女』のクランホーム兼孤児院の客室で眠りに就いた事を思い出す。
部屋に取り付けられている窓から外を覗くと、丁度、眩い朝日が地平線から顔を出すところだった。どうやら、地球にいた頃じゃ考えられないくらい、早い時間に目が覚めてしまったらしい。これでも、昨晩は子供達への語り聞かせでそれなりに夜更かししたはずなんだけどな……。
「……まぁ、でも、早起きしちゃうのはしょうがない事なのかも」
俺はここ――グリモアの街に辿りつくまでに、十日という長い時間をかけ、深い森の中を突っ切って来ている。その間は、危険度が格段に跳ね上がる夜に動くのを避けるため、日の入りと同時に野宿の準備をし、その分多くの活動時間を確保するために、日の出と同時に起床するようにしていた。その影響が今朝も発現してしまったという訳だ。
「今から寝るって気分にもなれないし……ちょっと外に出てみるか」
寝ぼけ眼を擦りながら、俺はベッドを抜け出す。
部屋の戸を開け放った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
昨日の夕方と同じように、グリモアの街全体が赤一色に染まっていた。
ただ、その趣は昨日のそれとは大分異なっている。
まず、影が伸びる方向が真逆だ。街を染め上げる赤色の濃さも全然違う。昨日の夕焼けが『燃えるような』と表現できるとすれば、今俺の目の前に広がっている光景は、『じんわりと染みこんでいくような』――そう称えるべきだと思った。
俺は淡い赤色の光を全身に浴びながら、孤児院の敷地内に広がる、比較的広い運動場に出た。
早朝特有の涼しい風を頬に受け、まだほんの少し寝ぼけていた自分の頭が徐々に完全なる覚醒へと向かっていくのを実感する。
「――こうしてのんびりするのは……なんだか久々な気がするな」
そうだ。
俺がこうして呑気に朝日を拝むなんて……いつ以来の事だろうか。
一か月? 一年? ……いや、多分、もっと前。
少なくとも、『あの娘』が居なくなった六年前から、俺はこうして目の前の光景を愉しむ余裕は失っていた様に思う。全てが狂ってしまったあの日以来、俺はいつも心のどこかで『あの娘』の姿を探していた。いつも心の奥底で『あの娘』の存在を渇望していた。
――なんて言うと、自分がストーカーの様に思えてしまうけど……。
何故だろう。
今は、あの余裕が全くなかった時の様な、胸を焦がす程の激情は湧いてこない。
相も変わらず、心の中には『あの娘』に対する大きな恋慕があるというのに。
激しい感情の波が無いせいか、今の俺にはこうして景色を眺める余裕がある。
不思議……だと思う。まるで、自分が自分じゃなくなったかのような、そんな気分に陥りそうになる。今の『俺』は本当に『俺』なのか。実は、転生した時に自分では気が付かない変化が起きたんじゃないか。……今更、そんな事を考えてしまうのだ。
「あ、ユウト君」
朝日を全身に浴びながら一人で黄昏ていると、背後から声をかけられた。
「――レティアさん」
赤髪のエルフは「おはよー」と、軽い感じでこちらに挨拶を寄越すと、俺の隣までやって来て、その場に立ち止まった。結果、俺と彼女はたった二人で肩を並べる形となる。
……うん。なんか、ね。昨日会ったばかりの綺麗な女性と二人だけでいると思うと、途端に緊張してしまうなこれ。
「ユウト君、何だかボーッとしてるみたいだけど、どうかしたの?」
ちょいと邪な事を考えていると、レティアさんから中々に鋭い質問が飛んでくる。
「――ッ、い、いえ。何でも……」
俺は唐突な質問に面食らい、たどたどしい口調で答えた。
「ふぅん。そっか」
レティアさんは何度か小さく頷き、チラリとこちらを見る。
「それにしても、君はとても早起きなんだね……こんなに朝早いのに、突然玄関が開く音がしたから、少しビックリしちゃった」
「あー……もしかして、起こしちゃいました?」
「ううん。私は元々起きてたから大丈夫。他のメンバーや子供達も、今はまだ夢の中なんじゃないのかな。昨日は結構遅くまで皆起きてたしね」
どうやら自分のせいで安眠を妨害されたらしい人がいないという事を理解し、俺はホッと胸を撫で下ろした。俺は現在、ノエルさんやレティアさんを始めとしたここの住人達の好意にあやかり、ここに泊めてもらっている立場だ。そんな俺がここ本来の住人達の睡眠を妨害してしまうのは流石に不味いだろうし、俺自身かなり気が引けるのである。
「レティアさんや皆の安眠を妨害してなかったのなら……良かったです」
俺は安堵と共に声を吐き出す。……すると、真横から何やら不機嫌そうな気配が漂ってきた。
その気配を肌で感じ取り、咄嗟に横を振り返ると、赤髪のエルフが不満を前面に押し出すように、ぷうと頬を膨らませているではないか。しかも、どこか恨めし気に横目でこちらを見上げてもいる。
……ふむ。
理由はよく分からないが、どうも彼女は少し機嫌が悪くなりつつあるらしい。
「えっと……俺、何か変なこと言いましたか……?」
少女が怒っている原因をいまいち把握できず、恐る恐る聞くと、彼女はより一層不満気な表情を作り、右の人差指を俺の鼻先に突きつけてきた。
「それ」
「……へ?」
「それだよ、それ」
「それ? ……えっと、『それ』っていうのは何なんでしょうか?」
「だから、『それ』だよ! ユウト君のその口調と『さん付け』!」
レティアさんは唇を尖らせ、綺麗なくびれのラインを描く腰に両手を当てた。その様子からは『私、怒ってます』という、彼女の心の声が鮮明に伝わってくるようだ。
「せっかくこうして知り合えたんだから、そうやって他人行儀な口調はしなくても良いと思うんだよ、私は」
「え……でも、俺はレティアさんより一つ年下な訳ですし――」
「歳が違うって言っても、たった一つだけの違いだよね。そんなの、あってないような物だと思うんだけど?」
「うっ……」
こちらの言い分に被せるように放たれた少女の主張に対し、俺は瞬時に上手い切り返しを思い浮かべる事が出来ず……、
「……まぁ、確かにそうかもしれません」
限りなく小さな声で呟く。
「そうでしょ」
俺を言い負かしたレティアさんは、何処か勝ち誇ったような表情をしている。
「だからほら、言ってみてよ。さん付けなんてしないで、堅苦しい言葉は取っ払って……ね?」
朝日を正面から受け、ほんのり赤く染まっている少女の顔はすごく綺麗で。
俺は、こっ恥ずかしさを取り繕う為に頬をポリポリ掻きながら、声を絞り出した。
「えっと……じゃあ、いきなり口調を完全に崩すのは難しいけど……これからは、出来るだけフラットな口調で話す様に努力する。……これでいいかな、レティアさ――じゃなくて……レティア」
「うん! じゃあ、これからよろしくね……あ、今更だけど私は君の事、『ユウト君』って呼ばせてもらうから」
「分かった。好きなように呼んでくれていいよ」
それから。俺達はどちらからともなく右手を出し、握手を交わした。
レティアがリーダーを務めるクラン『紅蓮聖女』――”アぺフチ・カムイ”ですが、この名前はアイヌ民族に伝わる、火・炉を司る神様の名前から借用させていただいています。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。




