異種族と言語
悠久の館を飛び出してから、俺は来る日も来る日も森の中を歩き続けた。雨の日も風の日も一日たりとも休むことは無く、時折魔物を相手にしつつも足は前に進める。
そうして十日が経過し、あまりにも単調すぎる景色に流石に辟易としてきた頃、俺は前方の木々の隙間から眩い光が漏れている事に気が付いた。
「あれは……」
見えた光に向かって、俺は一目散に走りだす。
森の中で何度も戦闘を繰り広げ、レベルが上がってステータスが上昇し、成長を遂げた俺の体は、以前と比べて格段に速く走れるようになっていた。あっと言う間に景色が後ろに流れていく。
早く。早く。早く――
今にも嬉しさのあまり爆発してしまいそうな感情を持て余しながらも走り難い森の地形を一気に走破する。やがて瞬く間に森を抜けた俺は、辺り一面、緑色の絨毯が敷き詰められているかのような広大な草原に飛び出た。
そう。十日目にして、ようやく森を抜ける事に成功したのだ。
「やっと、森を抜けられた……」
ここ十日で溜まった疲労を吐き出すように声を漏らすと同時、爽やかな風が頬を撫でた。
俺はその風にどこか心地いいものを感じながら、いやいやまだ油断するには早いと安堵しそうになる気持ちを切り替え、即座に辺りを見回す。
どこまでもどこまでも続いていそうな、広大な草原だった。
時折、下草の緑色の合間に見える赤色や黄色は花の色、なのだろうか。ほんのりと甘い香りが鼻孔を突く。
視線を少し遠くにやると、ここから少しばかり離れたところを踏み固められただけの簡素な一本道が通っていて、その道の上を幾人かの人々が行き交っていた。その数は目に映る範囲の中だけでも数十に及んでいる。
「あんなに人が……この近くに街があるのか」
改めて辺りを見回すと、右の方向、ここから少し離れた場所に、巨大な石造の壁が存在しているのが見えた。
あの壁に付いては、一度シェリルさんから話を聞いた事がある。
「あれがシェリルさんの言ってた街の外壁か……思ってたよりもデカいな」
この世界にはありとあらゆる場所に、人類の天敵――魔物が生息している。
一部を除いた魔物達は好んで人を襲い、文明的生活圏を脅かし続けている。
あの壁はそんな魔物達から人々を守る防波堤の役割を果たしているらしい(以上、シェリルさんの説明より抜粋)。
「まぁ確かに、あれだけデカくて強そうな壁なら、そう易々と突破される事は無さそうだな。人々も安心して町に滞在できるって訳か……」
途轍もない程の存在感を放つ巨大な外壁を眺めながら、そんな事を呟き、やがて俺は一つの決断をする。
「よし。とりあえずあの街に行ってみよう」
――悠久の館を出るにあたり、俺は大きな問題を二つ抱えていた。
一つは、館の外に広がる森が如何ほどの規模を誇っているのかが皆目見当もつかなかったという事。そしてもう一つが、どのようにして『この時代』の常識や知識等を得るかという問題だ。
二つの内、前者は俺が森を踏破したことによって既に解決済みだ。対して後者は……これがまた厄介極まりない。
そもそも常識や知識は基本的に日常的な生活を送る中で自然に習得する物だ。それをわざわざ誰かに習ってそれらを覚えるという状況になる事が極端に少なく、相対的にそれを実行に移してしまえば否応にも目立つ。それはもう、物凄ーく目立つ。
まぁ、目立つだけなら別に良いのだが、それによって色々と厄介な出来事を引き寄せたり、何か変な疑いでも掛けられたりなんかすれば目も当てられない。もしそうなった時は、「アホか」と自分を罵りたくなると思う。
かと言って、その辺りの知識が無いままに人と関わっていくのはリスキーだし、じゃあそもそも人と関わらない方が良いのかと言えば、それはそれで無理がある。
何より、十日も一人で森の中を彷徨っていたからか、少し人里が恋しくなってきているのも確かだった。それに生きている以上、いつか人とかかわる事は避けられないのだから、ここで立ち止まってうじうじとメリットとデメリットを天秤にかけ続けるのもバカらしいなという事に思い至り、俺はあの外壁に守られた街へ足を踏み入れる事を決意したのである。
「そうと決まれば、さっさと行くか」
空を見上げる限り、現在の時間は丁度夕方に移行する直前かという頃だ。もしかすると、夜になれば、防犯上の理由で街の中に入れない――なんてこともあるかもしれない。
無理に急ぐ必要はないだろうが、無駄にのんびりする事もないだろう。
俺はそそくさと草原を横切り、人々が行き交う道に合流する。そして、堅守を誇っているのだろう、高くそびえ立つ外壁の方へと歩き出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
名も知らぬ街を目指し、草原の道を往く道中、俺は様々な『人』を目にした。
武骨な大剣を背負った強面の男。恰幅が良く、趣味の悪い上着を着て胡散臭い表情を浮かべるじいさん。やたらと肌の露出が多く、艶やかな色気を放つ女性――。
もしここが地球ならば、まず間違いなく様々な意味で好奇の目を集めるだろうという格好をした人々……だが、俺の視線はそんな奇抜な格好をした人々では無く、向こう側から歩いて来る一人の女性に引き寄せられていた。
いや正確に言えば、その女性の耳に……だろうか。
(あの人の耳……尖ってる?)
少々女性の耳の事が気になった俺はスキル『鑑定』を使って、その女性のステータスを覗いてみた。すると、種族の項目に『エルフ』と表記されている。
それを見た途端、歓喜の声を上げたい衝動にかられた。エルフと言えば、RPGゲーム等では定番の『異種族』の一つ。その存在は、少しRPGゲームを齧っているだけの俺でも知っている程、あまりにも有名だ。
耳が尖っていて、男女問わず端整な容姿を誇り、森の奥深くに住み、他種族を嫌う排他的な性格をした種族――勿論、ゲームよって『設定』はまちまちだが、俺が『エルフ』という種族に対して抱いているイメージは概ねこんなところか。
今にもすれ違いそうになっている件の女性を見る限り、この世界のエルフの容姿は俺のイメージのそれとかなり近いらしい。なにせ、エルフの女性は『妖精の様な』と比喩したくなるような、美しい顔立ちをしていた。
まぁ、実際はただあの人が綺麗なだけで、他のエルフの人達はそうでも無い可能性もあるんだけど。
(それにしてもエルフがいるのか……意外だな。シェリルさんはエルフみたいな『ヒューマン』じゃない人がいるなんてことは一言も言ってなかったんだけど……もしかして、シェリルさんが伝え忘れた? それとも、シェリルさんが外の世界にいたころには、そもそも『異種族』なんてのは存在していなかったのか?)
その後もしばらく頭を捻って考えてみたが、結局シェリルさんが異種族に関しての説明を行わなかった理由はよく分からず……、
(……まぁ、他人の事情である以上、俺がそんな事を分かる訳が無いか)
そう思い直した俺は、エルフの女性から視線を外し、周りの人達を注意深く観察することにした。
相変わらず、今の俺の周りにはたくさんの人々がいる。
街がある方向からやって来る人。逆に街へ向かう方――俺と同じ方へと歩いていく人。よくよく見れば、その全員が地球で見ていたような物とは毛色の違う服を着ていて、改めてここが異世界なんだなって事を思い知らされる。
そして、地球と違うのはファッションだけじゃない。
行き交う人々の中には、さっきチラリと見た女性と同じ様な耳を持つ容姿端麗な人々が混じっているし、頭の上や腰の後ろから動物の耳や尻尾が生えている人々、背が低く全体的に童顔な人々、同じく背が低いながらも老け顔で気難しい表情を浮かべた人々なんかもチラホラ見かける。
他にも何だかよく分からない種族の人達もいるし……ありとあらゆる種族の人達が肩を並べて歩くその様は、正しく『人種のサラダボウル』とでも呼ぶべき光景だと思った。
それにしても、あれだ。初めてステータスを見た時や魔法を使った時も思ったけど、本当にRPGゲームの世界みたいだなここ。異種族――しかも、自分が親しんでいる名前が付いているそれを目の当たりにすると、余計に強く実感する。
そして、同時にこう思うのだ。
何故、この世界の異種族の呼び方は俺が知っている物になっているのか……いや、それ以前に、何でこの世界で『日本語』が通じているのだろうか……と。
この世界に関して無知な俺が、今そんな事を考えてみても無駄だって事はよく理解している。だからあまり深くは考えない。けど、気になるものは気になる。
――まさか、こっちの世界で『日本語』と全く同じ言語が独自に形式化したとは到底思えない。仮に、実際にそうであったとして、二つの全く違う世界で全く同じ言語が出来上がっただなんて――どれほどの低確率を潜り抜けた結果なのか……お粗末な俺の頭では全く想像がつかないからだ。
分かることといえば、兎にも角にもこの状況が少しばかりおかしいだろって事ぐらい。
そう。おかしい。明らかにおかしい。実の所、この『日本語問題』は悠久の館にいた頃から頭の中で引っかかっていたのだが……うん。やっぱダメだ。さっぱり分からない。
まぁ、これもさっきと同じで、うじうじ考えてても仕方ない事なんだろうか。このまま考えてて何か分かるような気もしないし。
(もし、街に入って余裕が出来たなら少し調べてみる……って感じで良いのかもしれないな。俺としては、日本語が通じて困ることなんて無いわけだし)
そう自分の中で結論付け、問題の解決を一旦保留する。
そして、俺はのどかな草原を道なりに進んでいく。
次回は明日か明後日の更新となります。
では、今回も読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いします。




