夜空は彼らを見つめている
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悠久の館を出立し、三匹の狼を倒した後、俺は予め決めていた一定の方向に向かって森の中を歩き続けた。
避けられそうな戦いは極力避け、どうしても避けられない場合のみ、魔物をナイフや魔法で倒す。そして、その死体はアイテムボックスに収納する――という作業を繰り返し、体感的に館を後にしてから12時間程が経過した頃、俺は木々の隙間から見える西の空が赤くなりつつあることに気が付いた。
夜の森の中を進むのはとても危険である。活動する魔物の数は昼間と比べて劇的に増加する上、個々の凶暴性も増すからだ。
『夜の森に分け入るのは自殺願望者か愚か者、あるいは相当な実力者のみである』とは、シェリルさんの言葉。その意味は読んで字の如く。勿論、自殺願望者じゃ無ければ、愚か者になるつもりも、ましてや、自分が実力者などと宣う気もさらさら無い俺は、丁度都合よく、少々狭いながらも野宿に適した比較的開けた場所を見つけたという幸運もあり、森の中を進むのを一時中断として、野宿の準備を始めた。
まぁ、野宿といってもそう大層な事はしない。せいぜいが魔物に不意打ちされないよう、悠久の館に滞在していた三日の間に覚えた『結界魔法』を展開するぐらいだ。
展開する『結界』の効果は結界内部の五感情報の隠蔽と、外の輩が結界に近づかないように軽い思考誘導を行うというもので、悠久の館の周りで展開されていたそれとかなり似ている部分がある。
だが、館の結界の効果範囲が半径300メートル近くにも及んでいたのに対し、俺が展開したそれは半径10メートルをカバーするのが精一杯。思考誘導に関しても、それなりの力を持つ魔物や人物には全く効かないという制限まで付いている。もっと言えば、そういった『力を持つ者達』は”そこに結界がある”という事を知覚する事さえ出来るのだという。
つまり、俺が展開した結界は、館のそれとは似ても似つかぬ圧倒的下位互換の効果しか持たない代物だ。
しかし、そんな陳皮な結界であっても、この森の中では十分に効果を発揮するらしい。
現在、結界を展開してからかれこれ数十分が経過しており、森の中は完全に真っ暗となっていた。そしてそんな中、俺は火を焚いている。真っ暗な森の中で赤く燃え盛る炎の輝きはかなり目立つはずなのだが、俺の周りには魔物の気配は一つも無い。
たまに少し離れた場所から狼の遠吠えが聞こえる事があるが、それだけだ。その遠吠えにしても俺を意識したものでは無く、一つの遠吠えに続いて別の場所からも一つ二つ三つと別の遠吠えが聞こえる事から、それぞれの縄張りの主張とか、仲間同士での交信でもしているのだろうという推測が立てられる。
「とにかく、この結界の中にいればある程度は安全っぽいな……」
改めて周りの気配を探り、自分の身の安全を確保できたことを理解した俺は、アイテムボックスの中から瑞々しい果実やスープが入った鍋、柔らかい食パン等を取り出し、少し早めの夕食を取った。
丸一日森の中を歩き、魔物と戦い続けた体は莫大な栄養を欲していたらしく、自分でも驚くぐらいに次々と食料が食道を通り腹の中に納まっていく。結局軽く二人前はありそうだった食料は三十分ほどで無くなってしまい、手持無沙汰となった俺は、食器類をアイテムボックスに戻し、入れ替わりに一冊の本を取り出した。何らかの動物の皮が表紙に用いられている、例のとある調合師の手記である。
ここ三日、俺は暇な時間を見つけると、この調合資を読むようにしていた。
理由は勿論、調合師としての知識を蓄え、今後の生活に活かすため。時折、「風を感じろ」とか「答えはお前の中にある」等、意味不明な記述が混じっているのが玉に瑕なのだが、その欠点を差し引いても、この本の有用性はかなり高い。実際、俺はこの本を読み込む度に、自分の中の調合師としての知識が深まっていくのが実感できていた。
「へぇ……この素材はこんな事にも使えるのか……」
夜遅く、真っ暗闇に染まった森の中。火を焚く為の燃料としている薪が奏でる、パチパチという音が時折耳朶を打つ。
そんな静かな世界の中で、俺は炎の赤い輝きを光源にして本を読み進めて行った。
――こうして旅立ちの日の夜は静かに過ぎて行く。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
裕翔が森の中で一冊の本を読み耽っている時、そこから遠く離れた地にあるとある王国の王城の一室では、一人の少女が眠りに就いていた。
穏やかな寝顔を見せるその少女はこの世の物とは思えない程に整った顔立ちをしている。肩口で切り揃えられた艶やかな黒髪。長いまつ毛。小振りな鼻。時々「……ムニャムニャ」と少し気の抜けた声を漏らす瑞々しい唇――
もし、少女が寝ている今の光景を吟遊詩人達が見たならば、きっと彼らはこの光景を彼らが持ちうるありとあらゆる賛美の言葉で表現し、それでもその美しさを言い表しきれず、自身の心を空虚な絶望感で満たしていくことになるだろう。
そんな、傍から見れば突拍子もなく映る推測を立てられてしまうぐらい、少女は……暴力的なまでに美しかった。
「……ん」
窓から黄色の月の光が部屋の中に差し込んできて、大きなベッドの上で一人眠る美しい少女の顔を照らした。唐突に顔に降りかかって来た光に、少女は辛抱堪らんといった様子でうめき声を上げながら目を開ける。
瞼の奥から現れたのは、少し眠そうな色を湛える大きく黒い瞳。
月のいたずらによってすっかり目を覚ましてしまった少女は、しばらく何もない虚空をぼーっと見つめた後、窓の外で己の存在を誇示するかのように光り輝いている、自身を起こした犯人を見た。
次の瞬間、少女の口から呟きが漏れ出る。
「……ユウ君」
少女の中に残っている、六年前の記憶。それに刺激されるように紡ぎだされたその呟きに、答えるものは誰もいない。
当たり前だ。
彼女と『彼』が再開するには、まだしばらくの時を必要とするのだから。
――遠く離れた地で眠る、少年と少女。
まだ、彼らは知らない。知る由も無い。
互いの大切な人が同じ世界にいる事を。
そして、予期せぬ自分たちの邂逅が新たな渦を生み出す事を――彼らは、まだ知らない。
次回は明日更新予定です。
今回も読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m




