六年前の恋慕。今の俺の心
明日に投稿すると言っておきながら、その日の内に二話目を投稿してしまうスタイル(元々は一話目に含めようと思っていた部分だっただなんて口が裂けても言えない)
九月上旬。夏もそろそろその勢いを停滞させ、この蒸し暑い夏も終わり、ようやく秋が来るのかと想いを馳せるようになる頃。
そんな季節の土曜日の午後。俺は一人、最近押し入れから引っ張り出してきた秋物の服を着て、とある場所へと向かっていた。
家を出て、見慣れた交差点を渡り、道端で呑気に顔をヌグヌグと洗っている野良猫の傍を通り抜け、従業員が一人しかいない電気屋の軒先で二世代ほどは前であろう、少し古ぼけた薄型テレビがニュース番組の天気予報を映しているのを横目に見ながら歩き続けたその先に、俺――戸上裕翔の目的地はある。
目的地とは、閑静な住宅街から少し外れた場所にある二階建ての一軒家。
真っ赤な屋根が目印のその家に辿りついた俺は、家の前で箒を持って掃き掃除をしていた四十代過ぎかと言う年齢の女性に声をかける。
「あの……」
「あ……裕翔君?」
「お久しぶりです。佐奈おばさん」
「えぇ、お久しぶり。元気にしてた?」
そういって、女性はどこか儚げな微笑を浮かべた。
彼女の名前は篠咲佐奈。
六年前、行方不明となった俺の幼馴染、篠咲美弥――みーちゃんの実の母親である。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
佐奈おばさんに案内されながら、俺は篠咲家にお邪魔した。
「ゴメンね、あまり片付いていなくて」
「いえ、いきなりお邪魔したのはこっちなんで」
佐奈おばさんはそう言うが、部屋の中はいたってきれいだ。
今現在、俺が居るリビングにはゴミ一つ見当たらないし、俺が座っている四人掛けのダイニングテーブルには傷一つ付いていない。家主が余程綺麗好きなのだろうという事が垣間見える光景である。
「今日は何故こっちに?」
二人分のカップを用意し、ポッドでお茶を淹れる佐奈おばさんが問うてくる。
「今日は、久しぶりに『みーちゃん』に会いたくて」
俺の言葉に、一瞬、佐奈おばさんは手の動きを止めた。
「そう……会いに行ってあげて。きっとあの子も喜ぶわ」
「はい。そうさせてもらいます」
「じゃあ、お茶は後にして今から行く?」
「えぇ。それでもいいなら」
俺の言葉に、おばさんは『勿論よ』と答え、
「あの子はいつも通りの場所にいるわ」
と言葉を付け足した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
佐奈おばさんにお許しを貰った俺は、リビングを出て二階へと上がった。
「ここに上がるのも七か月ぶり……か」
フローリング張りの廊下を進み、アルファベットで『МIYA』と記されたピンク色のコルクボードが掛けられている扉の前で俺は立ち止った。
ここが目的の場所――みーちゃんの部屋だ。
少し深呼吸をして、ドアノブを捻る。
ガチャリという軽い音を立て、ドアノブが回って扉が開く。
「お邪魔します……」
誰かがいるわけでも無いのにそんな事を口にしながら、およそ七畳ほどの部屋に入り、俺は勝手知ったるその部屋を見回した。
右手側の壁には比較的一般的な大きさであろうという引き窓が取り付けられていて、その脇にはこれまた一般的なデザインの子供用の勉強机が置かれている。ちなみに、勉強机は全体的に淡いピンクっぽい色をしている。
逆に左手を見れば、大人でも寝転がれそうな大きさのピンク色のベッドがあり、じゃあ正面はと言うと、16インチの小さなテレビと、俺の背丈――170センチはあるだろうという、五段に仕切られたブルーの棚が設置されていた。
俺はそのブルーの棚の方へ歩み寄り、その丁度中段、三段目から、シンプルなデザインの額縁に入れられた、一枚の写真を手に取る。その写真に写っているのは、一人の少女の顔だ。他でもない、六年前に忽然といなくなった篠咲美弥という女の子の顔写真である。
写真は彼女が行方不明となった時から、更に一年前、丁度七年前に撮られた物だ。
当時の彼女はまだ小学三年生の女児に過ぎず、その顔には少女と呼ばれる年ごろになる前の、特有のあどけなさが残っている。だがしかし、その顔の造形が整っている事は一目瞭然で、将来的――そう、ちょうど今頃には誰もが振り返らざるを得ない可憐な少女になっていたことは間違いないだろう。
そんな幾度となく見た少女の笑みが、当時そのままにその写真に写っていた。
「――久しぶり」
手に取った写真に向かって言葉を投げかける。
無論、自分以外誰もいないこの空間において、俺の言葉に誰かの言葉が返ってくるなどという事はあり得ない。それは十分に理解している。
だから、あくまでもこれは俺の独り言なのだ。
ただ、自分の近況を呟くだけの、そんな独り言。
「俺さ、高校生になったよ――」
――それからしばらく、俺はここ最近自分の身に起こった出来事をひたすらに語った。
四月に高校へと無事に入学したこと。
高校には中学時代の知り合いは一人もいなかったこと。
けど、クラスメイトになった奴らが、みんな気の良い奴らだったから、そこまで寂しさを感じていないこと。
部活には入らなかったこと。
中学の頃に比べて、登下校に時間がかかってしまうこと。
電車で通学するのが、思っていたよりも重労働だったということ。
そんな在り来たりで、それほど中身のない話をし続けた。
飽きもせず、休むことなく、無意味で、理由なんて無くて、ただ『彼女』との繋がりはまだあるのだと、そう信じたいがために。
――いや。そう信じているのだと、半ば自己暗示を掛けるように。
「もう、こんな時間か」
そうしてつらつらと話している間に、かなりの時間が経過してしまっていたらしい。
ふと時計を見て現在時刻を把握した俺は、持っていた写真を棚に戻そうとして――、
一瞬、ほんの一瞬だけそれを躊躇ってしまった。何故か。
多分、だけど、俺はもう少しこの空間に留まった居たかったんだと思う。六年前と同じ、あの頃と何ら変わりのない、『篠咲美弥』という少女との思い出がたくさんある、この部屋に。
……けど、それは出来ない。分かっている。
それに、過去に浸った所で前に進むことは出来ない。それも分かっている。
だから、過去に浸るのはほんの一瞬だけで良い。
『彼女』との思い出に浸るのは、ほんの少しの間だけでいいのだ。
「そう……だよな」
未だに抵抗を見せる感情を押し殺して、今度こそ写真を棚に戻した。
そして、
「――じゃあ、また来るから、みーちゃん」
写真の中の少女に声をかけ、俺は部屋を後にする。
当たり前なのであるが、やっぱり返事は返ってこなかった。
次回こそ明日の更新です。
時間帯は一話目の時と同じ、18時前後になると思います。