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この町の神様は嘘をつく  作者: 駄犬
2/16

2話:月ヶ瀬四恩は甘口のカレーが好き


三月初旬、国道沿い。

虫や動物の声が騒がしい夏の山とも、積もった雪が辺りの音を吸い取ってしまう冬の山とも違う。人気の無い春先の山奥は不思議な音色に包まれている。

そんな春の音楽とエチュードを奏でるように月ヶ瀬四恩は鼻歌を歌いながら、真っ暗な駐車場のど真ん中で夕飯の準備をしていた。


駐車場の前にある小屋の前には、妙に綺麗な木製の看板が立っており、「道の駅。平日10時〜16時」と書かれたその看板は、今日はもう誰も人が来ないであろう事を真っ赤な文字で主張している。


四恩は食事を作るのも食べるのも好きだ。「昔の彼女」にとって食事とは生きるために必要な消費でしかなかった。食べずとも生きれる体が欲しいと本気で何度も考えた事があったくらいだ。そんな四恩だからこそ、他人のために料理を作るという行為は「今の自分」のアイデンティティの一つだと思っている。


「と言うわけで、料理は私にお任せください。利行様は寝床のご準備を」


「あぁ、期待している」


ご機嫌な四恩に命じられるままにテントを組み立てる月ヶ瀬利行の体は少しばかり重たい。

屋敷を出ることニ週間、その中で野宿をしたのは6日ほどだが、既に野宿の厳しさを利行は実感していた。


四恩がいなければ利行は野宿する拠点すら見つけられなかったかもしれない、と利行は溜息をつく。

さびれた無人駅、子供なんていなさそうな山奥の公園、季節外れのキャンプ場。四恩は立ち寄った先々で「利行様、今夜はここで野宿をしましょう」と的確に判断した。おかげで快適な野宿であったと利行は思う。


しかし、それでも中々寝付けないのだ。

人気がなさ過ぎて怖い。逆に人の気配がする。寒い、固い、五月蝿い、等々。野宿には慣れが必要だと利行は学んだ。

………まぁ、眠れないのには、もう一点致命的な原因があるのだが。


「四恩がいてくれて助かった。俺一人なら、こんな旅は出来なかっただろう」


「どうしたんですか、急に?お褒めになったところで、カレー以外の夕飯は出てきませんよ」


「カレーか」


「ええ、カレーです」


カレーという言葉に思わずわくわくしてしまう。利行がテントを組み立てる作業を中断し四恩の方を振り返ると、四恩の両手には甘口と辛口のレトルトのカレーが握られていた。


「なぁ、四恩よ。こう言う場合のカレーというのは野菜を切って、飯盒炊爨するものじゃないか?」


「利行様が仰っているのはキャンプのお話でしょう?私たちがやっているのは野宿です」


四恩は淡々と温めたお湯にレトルトカレーを放り込む。料理はお任せ下さい、と言った先の言葉は何だったのか。

とは言え、四恩の言い分は最もだと利行もこの数日で学んだ。野宿には早起きが求められる。人様にご迷惑をかけないように早朝には立ち去らないといけない。キャンプとは違い、フットワークは軽くが肝要だ。


「野宿と言えば、四恩は虫とか食べるのか?」


「……………。利行様、私は利行様のメイドですが、それ以前に一人の女性です。流石に今の質問はどうかと思うのですが」


たっぷり数秒の間を空けて、答えた四恩の顔からは「私の主人は頭がおかしくなってしまったのでしょうか?」とドン引きしているのがはっきりと分かった。

慣れた手つきでテントを組み立て終えた利行はドン引きした表情のままレトルトカレーの袋を鍋の中でぐるぐる回している四恩の隣に腰掛ける。


「俺は昔のお前の事をそんなに知らないからな。せっかくの旅の中だ。腹を割って昔の話をするのもいいかと思ったんだ。気に障ったか?」


「何やらとてもいい事を仰っているのは分かりました。しかし、その結論がなぜ、私が虫を食べたことがあるか?に繋がるのか理解しかねるのですが」


「四恩が昔どうやって野宿生活していたのか気になってな。昆虫はタンパク質が豊富とか聞くじゃないか」


「食べていません!」


「そ、そうか。すまなかったな」


「はぁ、利行様はもう少しデリカシーを大事にした方がよろしいかと。……でも野草なんかを探して食べていたのは事実です。あと、釣りをしている方からお魚をいただいたりもしました」


利行は少しだけ安心する。昔の四恩の生活が想像より大丈夫そうだったこと。そして、溜息をついた今の四恩の表情が穏やかだったことに。


「そうか、魚を釣るという案があったな。明日の夕飯はそれにするか」


「私も昔、夕飯に魚を釣ろうとしたことはあるのですが、魚釣りというのはとても難しいのです、利行様。釣りは魚との頭脳対決だと魚をくれた優しいおじさんか仰っておりました。その通りだと思います。つまり、利行様では無理です」


「たまに思うが、四恩は俺を舐めすぎじゃないか………」


「初心者の私にチェスでも将棋でも負けたのはどこの主人様でしょうか」


四恩は意地悪く笑う。

月ヶ瀬四恩は賢い。四恩が今利行のメイドとして雇われているのは、彼の贔屓だけでは決してない。四恩は記憶力もいいし、何より人並み外れた理解力があった。


「……………。俺の頭脳の見せ場はビジネス、交渉の場なんだ。アイディアと交渉で、俺が会社を立ち上げたのは四恩も知っての通りだ!」


「はい、確かに利行様の手腕はお見事です。そんな利行様が魚相手にどのような革新的なアイディアと交渉をされるのか、私、とても興味がございます。どうぞ、私がお魚さんの役をやりますので、是非その一端をお見せください」


魚のモノマネのつもりなのか、四恩は顔の横に両手をつけてパタパタと動かしながらそう言った。やれやれ、四恩が恥も外聞も投げ捨て魚に成り下がってまで、月ヶ瀬利行の釣りを見たいというのだから仕方ない。メイドのために一肌脱ぐのも主人の役目だ。


「いえ、恥も外聞も投げ捨てているのは、魚相手に交渉などと言っている利行様の方かと」


「見せてやろう!まず設定は夜だ。人間も魚もお腹が空くのは夜中だからな」


「私は朝が一番お腹が空くのですが」


「……お前はもう少し夜食とか食べた方がいい。月ヶ瀬の人間のくせにお前は健康的過ぎる。屋敷に戻ったら俺の秘蔵の菓子パンの差し入れをやろ」


お魚はお夜食など食べないのでは?というツッコミをする程、四恩は無粋ではなかった。ただ、屋敷に戻ったら、利行の部屋から菓子パンを取り上げることを心の中で誓った。屋敷の朝食を作るのは四恩の大切な仕事の一つだ。一生懸命につくった朝食の食い付きが、菓子パンにも劣るとなるとメイドの沽券にかかわる。


「続けるぞ。野宿の最中では釣りの道具もないからな。しなりのいい木の棒に糸をつけて、先端に餌をつける。餌がなければ交渉にはならないからな」


「おっしゃる通りで。しかし、利行様。餌といっても釣り餌などありませんよ」


「釣りはしたことないが、魚の好物くらい知っているぞ!虫だ!」


「………………………」


「さぁ、四恩!いや、矮小な魚よ!交渉のスタートだ!!夜も更けてお腹が空いてきただろう?ここにお前の好物の昆虫がぶら下がって!?痛った!?なんで何でいきなり殴るんだ?おい、殴るのを止めろ!痛い、痛いって!!」


四恩は無言で利行を殴打する。殴打する。殴打する。


「何やら酷く馬鹿にされた気がしました」


「いたたた………。お前が魚の役をやると言ったのだろう」


「もう、知りません。ほら、利行様、くだらない事を言ってる間にカレー出来ましたよ。お皿を出して下さい」


四恩は鍋の中から辛口のルーを取り出すと、利行の皿の上に盛り付ける。カレーのスパイシーな香りが一面に漂う。やはり、レトルトでも外で食べるのカレーは特別だ。


「よし、四恩。旅から戻ったら今度は野宿じゃなくて、キャンプに行くぞ」


「はい、利行様。その時は喜んでお供いたします」


昔の事は少しずつ知っていけばいい。今日のところは目の前のこの笑顔だけで十分だと思う。そんなことより……、と利行はレトルトのカレーを掬いながら考える。

場所は川沿いの水遊びや釣りが出来る場所がいい。そして、その時はレトルトないカレーを作ろう。目の前の彼女に外で作るカレーの美味しさを教えてやらねばと、利行は思った。


「しかし、旅の終わりもいつになるやらですね。利行様、ご自分は見つかりましたか?」


「四恩、先ほどデリカシーが何とか言ってたのは誰だったかな」


「これは申し訳ありません。私、利行様を傷付けてしまいました。改めまして、目的は達成できそうですか?」


「いや、別に傷ついてはいない。とりあえずの目的は最初の予定通り西だな。特にこの山を何個か越えて行くと海沿いに出るらしい。その海沿いには、宝石になぞらえた名前がついた道がずーっと続いて、その景色が絶景だと聞いた。その道を思いっきり走ろうと思う」


ここに来る道中、やたらとその景色を勧めてきた同じバイク乗りのおっさんを利行は思い出す。あの小汚いおっさんが、あんな子供みたいに目を輝かせるのだから、さぞ素晴らしい景色に違いない。


「それは楽しみです。ところで一体何の宝石なのでしょう」


「四恩よ。それを確かめに行くんじゃないか」


「そうですね、それを確かめるための旅でした。でしたら、明日も早朝に出発しなくてはいけませんし、今夜も早く寝ることにしましょう」


「ああ、そうだな。ゴミを貸せ、片付けは手伝う」


なんの宝石に例えられた道なのか利行が尋ねると、小汚いおっさんは「それは、あっちにいる彼女さんと二人で確かめてきな。それが自分探しってもんだぜ」と粋な一言を残して去っていった。

もはや、自分探しの旅どころか、単なる四恩との貧乏旅行になりつつあることに利行は気が付きつつある。けれど、その場その場の出会いと、思い付きで行き先を決める、そんな自由な旅は悪くないと思った。




そして、夜が更ける。


一人用のテントの中に月ヶ瀬利行と四恩はほとんど隙間なく密着していた。

隣から一定のリズムで聞こえる寝息から四恩は恐らくぐっすりと眠っていることだろう。


「眠れない……」


利行の独り言は誰に聞かれることもなく夜の音に紛れて消えて行く。

利行と四恩の関係は主人とメイドだ。当然、主人がメイドに劣情を抱くわけには行かない。しかし、この状況で平然と寝れるほど利行の精神は図太くなかった。


そもそも、一人用のテントで二人で寝ることを利行は旅の初期から反対していた。持って行くのは大きめのテントに変えようと提案した。

「利行様、野宿の基本は身軽にです。安心してください、無理を言って着いて行くのは私です。私は外で大丈夫ですから」

しかし、四恩がこんな事を言うものだから説得を諦めた。旅が始まってからも、利行が「自分は外で寝るから四恩はテントを使え」と言っても、当然聞かない。結局、同じテントを使う事に収まってしまった。


「やはり野宿に慣れているとどこでも寝れるのか。いやいや、でもこの状況は違うだろ」


暦の上では初春と言えど、夜の野外は冬と変わりないくらい寒い。にも関わらず、くっついた背中と肩から四恩の熱がじんわりと伝わって、汗ばんでくるのが利行には分かった。

また、隣からは普段は使わない香水の香りがする。恐らく、風呂に入れない四恩がつけたものだろうが、少し強めの、香水の香りに頭がくらくらとしてくる。


体温が、匂いが、寝息が、そして彼女の綺麗な寝顔が利行の五感という五感に襲いかかってくる。


「五感というか股間だが。そういや、触覚、嗅覚、聴覚、視覚ときて、五感で足りない残りは味覚か………」


ふと、顔を動かすことなく目線だけを四恩にやる。そこには形の良い彼女の……


「………んっ」


「わ、悪い四恩!だが、別に俺はやましい事なんて何も………って寝息の音か」


四恩はまたすぅすぅと寝息を立て始める。これだけ熟睡してれば起こすことも無いだろう。利行は慎重に体の向きを変えながらテントの外に出た。

一端、外の空気を吸って落ち着こうと思う。そもそも普段の利行の生活サイクルからして、この時間は寝るのには早過ぎる。少しだけ星でも眺めて時間を潰してからテントに戻ろうと思った。


そんな彼の気配が離れて行くのを感じ、少しだけホッとしながら、でも不思議な苦しさを月ヶ瀬四恩は感じてきた。

さっきまで胸いっぱいに何かが詰まっていて息が出来ないくらい苦しかったのに、今は肺に穴が空いてしまったような息苦しさを感じる。

自分はどうしてしまったのだろうか、一人で野宿をしていた時はどこでも寝れていたというのに。体調でも崩してしまったのだろうか。今のうちに寝てしまおう、四恩は先程まで利行がいた方へと体を傾ける。



眠れないのは四恩も一緒です。利行様。





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