16話:月ヶ瀬四恩は人混みが苦手
「利業様、あのような事を引き受けてしまってよかったのでしょうか」
乗客のいないバスはゆっくりと、どこまでも続く田舎道の中を走る。
変わらない風景は安全運転のバスの速度をさらにゆっくりと勘違いさせる。
そんな思わず欠伸が出てしまいそうな昼下がり、最後尾のバスのシートに行儀良く座った四恩は目の前の広大な田園風景のように平坦な声で利業に尋ねる。
四恩がこのようなトーンで話す時は機嫌が良くない時であることを利業は知っていた。
これから楽しい買い物に行こうというのに、それは良くない。
「文目に勉強を教えることか?まぁ、中学生くらいの内容なら大丈夫だろ」
「何も利業様の学力について心配しているのではありません。そうではなくて私達は旅の途中だったのではないでしょうか」
「あんなに喜ばれたら断れないだろ。いいじゃなきか、元々目的のない旅だし。折角出会ったいい人たちだ」
「お兄さんは女心が分からない人ですねー。お姉さんが可哀想ですー」
当然のように利業を挟んで四恩と反対側に座っている桜花は利業を指でつつきながらニヤニヤと笑う。その度に揺れる肩から、上機嫌な様子が伝わってくる。
誰もいないバスの中でわざわざ利業達が後ろの席に座っているのは、この神様と話していても不審がられないようにするためだった。
「それに桜花の頼みでしばらくこの町に留まる予定だしな」
「お姉さん!お兄さんと一緒にアルバイトやりましょう」
しばらく町に留まるためと聞いて目を輝かせる桜花に、諦めたように四恩は小さなため息をついた。小さな声で主人に対して失礼な事を呟く声が聞こえた気がしたが気が付かないフリを決め込んで利業はずっと疑問だったことを桜花に尋ねてみた。
「ところで、思いっきり隣町まで来てるんだけど、土地神的には、オッケーなのか?」
気がつくと小さな山道を抜けて、それまでの田舎道から少しだけ雰囲気が変わたった道を利業達は走っていた。
相変わらず殺風景なのは変わらないが、それなりに綺麗に舗装されている。
バスはそのまま、自動改札がギリギリなさそうな駅の駐車場、シャトルバス乗り場と書かれた看板の前に停まる。
バス停の前には遠目にも分かる程に学生たちが集まっていた。
「この辺りは10年くらい前から大企業の工場が出来て再開発が進んで番地が変わってますけど、ずーっと昔は相可と同じ地名だったんですよ。だからセーフです。私の移動範囲は意外と広いんです」
桜花はそれだけ伝えると「あわわ、人がいっぱいです」と声を上げながら姿を消す。
入れ替わりでバスになだれ込んできたのは、少し顔つきに幼さが残る地元の中学生と思われる子供達。
恐らく、この辺りだと休日はバスに乗ってショッピングモールに行くのがイケてる子達の過ごし事なのだろう。
窓の外の風景とは対照的なカラフルな服とやんちゃな髪型が少し眩しかった。
こんな田舎から、よくもこれだけ集まったと感心するレベルだ。
「ちょっと詰めるぞ」
そう言っている間にも、人口密度200%。あっという間に渋谷の通勤ラッシュと言わんやばかりといった人混みになる。
窓際に座った四恩を守るように席を詰めると、否が応でも肩が当たった。
中学生達の熱気のせいか、体がじんわりと熱を帯びている。思わず、利業は少しテントで一泊した時の夜の事を思い出しそうになり、首を振る。
「四恩、人混みは苦手だろ。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。気を遣っていただきありがとうございます」
そう告げた四恩の顔は利業の想像よりもずっと近くにあった。
思わず目を逸らしてしまったことを誤魔化すために、桜花の姿を探したが案の定姿は見えない。
桜花は基本的に人目に着く場所では姿を消すことを利業は知っていた。
ショッピングモールも人でごった返していたら、どうするつもりなのだろうか。
「しかし、俺たち意外に乗ってるのが中学生ばっかりというのは何というか居心地が悪いな」
「そうでしょうか。利業様のお手持ちの金額も中学生と同じくらいですし。丁度良いかと思いますが」
「四恩。それは男として非常に傷つくセリフだ。あと、中学生よりは持ってるわ!いいか、確かに俺の今の所持金は貧しい。なぜか分かるか?」
「私や奥様からの助言も聞かずカードの1枚も持たずに家を飛び出したからです」
「そうだ。俺たちは旅の途中だ。本当の俺の懐は広いんだ。覚えてろ?家に戻ったら、何でも買ってやる。おねだりの一つや二つ考えとくといい」
冗談半分に言ったが利業の言葉はほとんど事実だ。月ヶ瀬利業は今はニートだが、数ヶ月前までは取締役、社長だった。
しかも実家暮らしである。
「でしたら、今ずく旅を再開して、さっさと帰りましょう。ご主人様、四恩は最近よくCMで見るサイクロン式の掃除機が欲しいです。ゴミ捨てが簡単な奴です」
「ああ、いいだろう。というか、それくらい俺の母親に頼んだら買ってくれると思うぞ」
前半の要求は軽く流すとして、後半のおねだりは悪くなかった。
家に戻ったら駅前の大型家電量販店に行くことにしよう。四恩と一緒にだ。
今までの四恩であれはきっと人の多い場所に行く事を嫌がっただろうが、この旅で四恩ももっと普通の女の子になって欲しい、それが利業の夢だった。
「まぁ、それはそれとして、今日はデートを楽しもうじゃないか。余計な荷物がくっついてるが」
余計な荷物じゃないですー、と元気な声が頭の中に響く。
「利業様もそういうチャラ男みたいな冗談を口にされるのですね。お似合いではないと思いますが」
「ここは俺たちの町じゃない。昔のお前を知ってるやつはどこにもいないさ。俺も含めてな」
「………そうですね」
大きな目をさらに大きく見開いて、四恩は微笑でいた。
その笑顔に、四恩を連れて行くつもりはなかった自分探しの旅だったが、あぁ、一緒に来てよかったと、利業は改めて思うのだった。