14話:月ヶ瀬利業は風呂上がりのゆっくりとした時間が好き
いつもより早めのお風呂から上がった利業と四恩は、普段は意識することのないお風呂上がりのゆっくりとした時間を二人で満喫していた。
利業は見当たらない桜花の姿を四恩に尋ねたが、どうやらご飯を食べるために家に戻ったらしい。神様は食事がいらないですから!とか言っていたくせに、よく分からない。
「あ"あ"ぁ〜、ようやく布団に入れる。風呂上がりの布団に勝るものは何もないな。このまま、俺は寝れるぞ、四恩!」
この旅の最中、何度か安いビジネスホテルに泊まりはしたが、ベッドではなく布団にゴロゴロ転がりながらというのは別の味わいがある。
「そうですね、利業様」
「あのなぁ、そういうセリフは口だけで言っても意味ないぞ」
四恩は布団に包まる利業の姿を一瞥もくれずに正座姿で2人分の着替えを几帳面に畳み始める。出来たメイドだが、可愛げが少しだけ足りない。
「風呂上がりのまだ体が温かいうちに入る冷たい布団程最高のものはないんだぞ?お前が風呂から出てくる間、俺がどんな気持ちでロビーで待っていたことか!?危うく女湯に突撃するところだった」
由縁の半ば強制に近い勧めにより、早めのバスタイムに突入した利業は少し熱めの湯船を満喫した。昨夜はしっかり眠れなかった上に、長距離の自転車運転は想像以上に辛かった。熱い湯に疲れまで溶け出していくのを感じた。
しかし、問題はその後に起きた。軽く髪を乾かした後に己の犯した失敗に気が付いた。
部屋の鍵は四恩が持っているのだ。これでは欲望のままに布団に飛び込むこともできない。
四恩の風呂好きと入浴時間が長い事は月ヶ瀬家では有名だ。しかもドライヤーであの長い髪を乾かすとなると、長期戦を覚悟しなくてはならない。
しかし、どれだけ悔やんでも過ぎてしまったことは仕方がなかった。諦めて外の自販機で飲み物でも買ってロビーで時間を潰そう。しかし、その時、利業の最後の望みである、お風呂上がりの一杯すら叶うことはなかった。
財布は部屋に置いてきていた。
「その件は申し訳なく思いますが、女湯に突撃するのだけは辞めて下さい。私だけならまだしも、この宿には由縁様や文目様、桜花様もいらっしゃいます。利業様が警察のお世話になってしまえば、私にお給料を払ってくれる人がいなくなってしまいますから」
「自分の給料だけじゃなくて、俺の事も少しは心配してくれ」
「犯罪者にかける情けはありません」
そうバッサリと切り捨てた四恩は着替えを畳み終えたのか、部屋の隅にかためておいた荷物に手を伸ばす。それは今日、利業が事故現場から回収してきたものだ。
バイクのサイドバックに入れていた入った小さなカバンは無事だったが、着替えを入れていたカバンは雨と泥で汚れてしまっている。
「一応、荷物は全部回収してきたつもりだ。四恩も何か失くしたものがないか確認しておいてくれ」
「はい。どうやら、なにも盗られていたりはしないようです」
そう言った四恩の手が少しだけ止まる。
四恩が手に持っていたのは、旅の初日に着ていた白のニットだった。カバン越しとはいえ、一晩雨に濡れて湿ってしまったせいか、少しだけ色が黒ずんでしまっていた。
「………本当にすまなかった」
「いえ、利業様は悪くありません。それに濡れているだけですので。洗濯して乾かせばまた着れるようになります」
「確かその服は俺の母親と買いに行ったとか言ってたな」
「はい、奥様に選んでもらいました。利業様が会社を辞めるとおっしゃられた日、奥様が私も一緒に長い休みを取るように言って下さったのです。その時、お出かけ用にと」
気付かないうちに実の母親と買い物に行くほど仲良くなっている四恩に少しだけ驚いたが、その様子は容易に想像できた。どうせ、俺の母親が無理やり連れ回したのだろう。
利業の母親は美容系の会社の社長という事もあり、ずっと女の子を欲しがっていた。
まぁ、仲良き事は良き事だ。
「そうか、大事なものだったのに本当に悪かった」
「いえ、利業様は悪くありません。悪いのは私です。あの日、体調の悪い私を気遣って利業様は急いで下さったのですから」
こう言い始めた四恩は意外と頑固だ。自分が悪いと言って譲らないだろう。
俺の母親と買いに行ったというその服の代わりにはとてもならないだろうが、明日の買い物で四恩には服を買ってやろうと改めて決めた。旅の資金が心許ないのが不安点だが、何とかなるだろう。
「それはともかく、利業様は今日のお昼から何をされていたのでしょうか?綾織様とおっしゃっていた不審しy、いえ教授先生とお知り合いになっていたようですが」
最初の登場の仕方のせいで、既に不審者認定されつつある教授を偲びつつ、利業は殃禍谷であった事を説明した。事故処理は警察を呼んであっという間に終わった事、その後で綾織教授と熊野乙姫の奇妙な二人組と出会った事。教授達は民俗学のフィールドワークの一環でこの町に来ている事。
「あの、利業様。ずっと気になっていた事があります」
黙って利業の話を聞いていた四恩は荷物を片付ける手を止めると、いつにも増した真面目な表情で尋ねた。
「あれは本当に"事故"だったのでしょうか?」
その言葉に利業の口角は少しだけ上がる。
驚いた。荒唐無稽な話を切り出した事ではなく、ずっと意識を失っていたはずの四恩がその事に確信を持っているように話し始めたことにだ。
「どうして、そんな事を考える?」
「信じられなかったのです。私の知る利業様は頭の良い方です。視界の悪い道と天候、私なんかのために急いで下さっていたとしても、本当に事故を起こしてしまうのかと」
「買い被りすぎた。実際に俺は事故を起こした。お前を危険な目に遭わせた。本当に申し訳ないと思っている」
「昨夜、利業様は急にやって来た対向車の光に目を眩ませてハンドルを切り損ねたと仰っていました。」
「そうだ」
「私は事故現場を見て来た訳ではありませんし記憶もほとんどありません。しかし、明かり付けた対向車というのは直前になるまで気付かないものなんでしょうか?いえ、利業様が気づくか気付かないかは些細な問題なのです。ーーーーーー対向車がいたなら、その車に乗っていた人はその後どうしたのでしょうか?」
「見て見ぬ振りをした、だろうな。別に不思議な話ではないだろ。あの道は1日の中でもほとんど使う人はいないという話だ。誰にも見られていなければ逃げたくなる、というのが人の心というやつだろうさ」
「だとしたら妙な事があります。私は利業様が今日外出していらっしゃる間に由縁様に聞いてみたのです。『事故の起きた日、殃禍谷で対向車とすれ違いましたか?』と。由縁様の答えは、誰ともすれ違ってない、でした」
あの道は長い長い一本道だ。
という事は利業達がすれ違った対向車は相可町から隣のM市に向かっている最中だった。ならば、事故が起きた日に利業達と同じようにM市から相可に戻る最中だった由縁が対向車とすれ違っていないのは不自然。
対向車がUターンして相可に引き返したという可能性もあるが、偶然事故に立ち会った車がそんなことをするかと言えば、これも不自然か。
「そして、利業様から聞いた警察のお話も納得できません。珍しい事故じゃないから帰っていい、そんな事があるのでしょうか。私は事故の事を隠しているようにしか聞こえませんでした」
そこまで一気に話きると、四恩は大きく息を吐いて何かを心配するかのように利業を見つめた。それは四恩が時折見せる表情だ。四恩は昔から色んなものに追われている、だから色んな事に気が付く。
月ヶ瀬四恩は賢明な女だ。
「安心しろ、俺も四恩と同じ事を考えていた」
ピクリと四恩の肩が震える。
こんな二流の台詞で四恩が安心するかどうかは分からないが、それでも利業は力強く伝える。
「さっきは話さなかったが、実は気になる点はまだある。昼に事故現場で確認したが、俺が付けたブレーキ痕は道路にくっきり残っていたのに対向車のものは見つからなかった」
「さすが、利業様です。申し訳ありません。余計な事を口出しました」
四恩を家族にすると決めたあの夜から、月ヶ瀬利業は月ヶ瀬四恩の主人だ
過去から逃げ続ける四恩の安息には、彼女より遠くを見渡す目と、小さな足音も聞き逃さない耳が必要だった。
今回はどうやら主人としては合格だったようだ。
「まぁ、気になる事は何点かあるが、現実的にはただの事故だ。四恩も忘れていいぞ」
「余計な事を申し上げたと言ったそばから差し出がましいようですが、一度お屋敷にお戻りになるのが一番かと。バイクも壊れてしまいましたし」
目を逸らさずに話す四恩からは先ほどの不安や心配はすっぱりと消え失せていたが、代わりに強い意志を感じた。こんな場所に長居すべきではない、と。
「四恩も理解してるだろ?俺たちには多少の秘密はあるが、命まで狙われる理由は今はもうない。考えすぎだ」
「はい。ですが、動機など関係ないのです。些細な事で事で人を殺す人もいれば、想像を絶する過去を抱えながらも誰も恨まない人だっています」
「まぁ四恩のその考えは慎重すぎるとは思うが、正しいと俺も思うさ。ただ、約束しちゃったからさ、神様と『もうしばらくこの町に残って手伝ってやる』って」
利業は正直に話してしまったことに苦笑する。四恩相手だといつもこんな感じだ。
四恩は呆れるだろうか、馬鹿だと思うだろうか。
しかし、そんな利業の"情"こそが四恩が憧れて憧れてやまない月ヶ瀬利業の核だ。
「それに、俺だけじゃなくて四恩の命を助けてもらった恩がある。何より、なんかあの神様、危なっかしくて放って置けないんだ」
「やはり余計な口出しだったようです。申し訳ありません。私、失念しておりました。利業様は誰にでもお優しい方ですからね」
止めていた手を再び動かして、荷物の整理を再開した四恩は、何故か呆れている訳でも、馬鹿にしている訳でもなく、ちょっとだけ怒っているようだった。
「私は利業様のメイドですから。どこであろうと、利業様に付いて行くだけです」
「そ、そうか。俺も荷物の整理を手伝おうか?」
「いいえ、結構です。というか私の下着とかもあるので、そのまま布団の虫になっていて下さい」
少し棘のある四恩の言葉にいたたまれなくなってご機嫌取りに向かった利業だが、四恩はピシャリと主人の提案を断った。
女心の難しさを痛感しつつ、すごすごと布団に潜り込もうとした利業を救ったのは、姉とは真反対のダウナー系の少女の声だった。
「利業さん、四恩さん、ご飯出来ましたよ。あんまり遅いとお姉ちゃんが怒っちゃうので早く降りてきて下さいねー」
「ほら!四恩、飯だぞ、飯!楽しみだな、昨日のご飯も美味かったし。さあ、降りるぞ」
利業は布団から文字通り飛び起きると、四恩の手を引いて部屋を出た。
飛び起きた拍子に床が大きな音を立てたがご愛嬌だ。
階段の下からは、心なしかいい匂いが漂ってくる。
そうだ、まだまだ屋敷に帰るのは勿体無いに決まっている。利業は改めて明日からの生活に想いを馳せるのだった。




